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心理的距離と承認欲求①

コロナ禍において引きこもりが合法になるという前代未聞の事態。
この自粛期間中に家から出てどこかに行きたいと思うことも、誰かに会いたいと思うことも
一度もありませんでした。

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友達がいない筆者ですが高校の頃からの友人が1人だけいまして
何度も何度も音信不通になったりまた遊び出したりしながらもうじき30年。

30年?
今視覚化して自分でびっくりしました。高校出て25年以上経過してるとか
私そんなにばばぁだったとは驚きです。
いつまでも若いつもりでおり大変申し訳ございません。

先頃その彼女と何度目かの音信不通3年目くらいだったんですが、
在宅ワーク期間に会社の緊急連絡網がLINEで回ってくるということで
半強制的にLINE登録をさせられたところ友達に表示されたようで
私の誕生日に連絡をくれました。
久しぶりにやり取りをするとフォーマットのように「近々飲もうぞ」という話になり。

以前から書いています通り私こうゆうとこ本当サイコパスだなぁと思うんですが
今日は私の人間関係を通して語りますので私自身の取説にもなります、長年自分自身を研究した結果を伝えたところ心理学を一ミリも齧っていない彼女でもわかりやすかったと言ってくれたのでそれを記事にして置いておきます。

本当に性格の悪いことを書きますので本日の記事でこいつの記事もう読まんてなる方もいらっしゃるかもしれませんけどこのレポートでw人間の心理がばっくり掴める結構大事な話です。


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コロナ禍において引きこもりが合法になるという前代未聞の事態。
この自粛期間中に家から出てどこかに行きたいと思うことも、誰かに会いたいと思うことも
一度もありませんでした。

じゃあ今まで一緒に遊んでた友達が嫌いだったのかといえば全くそんなことはなくて
会って喋れば楽しいんですが

どんなに仲が良くても全て何かしらのキャラを通しての人間関係になるので激しく疲弊するわけです。
ここの辺りが難しく、健康的な育ちをされている方には説明が必要です。

今からまじで人としてクソなこと書きますけど

私は誰かに会えなくなる、ということに対しての寂しさを感じません。
子供嫌いを公言していますが産まれたてから可愛いさが1ミリもわからないし
何の虚勢でもなく本気で一度も産み育てたいと思ったことがありませんでした。同様に自分以外の誰かと生活を共にすることも苦行であるため無駄に恋愛遍歴がある割に本物の愛情で繋がれた関係もありませんでした。

20代の頃の本音をいえば私を好きな男さえ何人かいれば良いので同性の話を聞いてる時間が無駄にしか感じられず
自分に何かあった時はひとりで抱えるのが一番楽だから自分の話はしないし
私にとって友達含め周囲の同性の人々は
私が関心を持つ対象が私を見た時のイメージ創りに必要な存在というだけでした。
だからその人達が苦しかろうと幸せであろうと自分には関係なく何も思わないので
友人関係で発生するであろう感情をかなり巧妙に演じていた自覚があります。
”誰かに見せるための自分”というのが全ての選択の基準であり、その大元は母親への復讐であった

というところまで、自伝小説の中に書きました

どうしてこんなに非情で冷酷な人間になってしまったのか(笑)ずっと自分を研究していました。

下図は人間関係においての心理的距離を表したものです。

心理的距離

「私」を中心にしてみた時、通常一番近くにいるのは母親です。
お母さんがいらっしゃらないとういう場合はお婆ちゃん、もしくは空洞になり、ここに父親が入ることはありません。
そしてその次にお父さん、兄弟、祖父母親族、友人・・・といった順番で心を開いていきます。

このピンク部分はどうゆう状態かというと
おなじみアザラシの右側、ピンクの部分の感情を隠すことなく表現した時に一旦そのまま受け止めてくれる人物がいた状態です。

身体理論

地球上に生を受け最初に属する家族という社会の中であらゆる感情が発生し、それを表現した時に初めて感情のエネルギーは去ってゆくのですが
表現できる感情が”全て”である必要があるというところがポイントで。
例えば喜ぶ、笑う、受け入れるなどのポジティブなものだけが表現できる環境ではピンクの位置に誰も入ることができません。
ネガティブな感情を表現した時に揶揄われたり怒られて怖い思いをしたりといった経験を重ねると、子供はその感情を表現することを抑制するようになります。
つまり家族に対しても反応を見て一部の感情を表現しないという関係性(演技)が成り立つ原体験を作ります。

子供が、表現する感情を選ぶという作業では思考を使いますのでエゴが発達します。
(下図の緑の部分)
この部分が発達し、ピンク部分で発生した感情を抑制するので
ピンク部分と緑部分では性格が違うという矛盾が生じ始めます。
人間の体は緑の部分(思考)=男性性、ピンクの部分(心)=女性性として見ます。
感情(感覚)を受け止めるのは女性性ですので、ピンク部分は母親か祖母であることが多くなるわけです。

身体理論

ピンク部分に発生した感情は表現することでしか
厳密にいうと感情に対して自分の中でOKが出ない限り発散されず体内に蓄積されたままになります。
しかし感情は日々新たに発生するので、やがて小さな身体では蓄積しきれなくなっていきます。
そのため下痢や嘔吐、発熱、皮膚炎などで外に出そうとするんですね。

登園拒否の記事に書きましたが

幼稚園に行きたくないのは、小さな体内が発散されていない感情でいっぱいで新たな感情を受け入れるスペースが無いので、都度感情が生まれる他者との接触を避けたいということを訴えています。
”繊細な子供”とカテゴライズしがちですが
傷ついた時の感情も表現できないということになりますから、自分が傷付くことに必要以上に怯え、親の反応を細かくチェックする必要が出てきます。
そのため敏感にならざるを得ないのです。これがHSPというものだと私は解釈しています。

ピンク部分に母親がいない場合は、その隣に父親もいないことが多く
人間関係のパターンが下記のようになります。

◆Aパターン

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斜線部分には”誰にも見せられない自分(感情)”が入ります。
ですからここが俗にいう”プライド”というものの大きさに比例しますね。
現代の親子関係はほとんどがAパターンです。
昭和の家庭では我慢が美徳、善と悪が存在するという概念の中、毎日寝床があってご飯が食べられるだけで幸せと思えといった風潮がありましたから当然ですし
平成になると自由度が上がった反面片親の家庭も増え始め、子供が片親だからと言われないようにという想いから親自身が”いい親”を演じていることが多いので、仕方ないのです。
結局親自身が自分の幸せ以上に人様から見た自分の家族というものに重点を置いていたということ、
ですからAパターンの距離感が多くの人の”普通”であると思います。

しかし心身の虐待やネグレクト、ADHDなどの発達障害を持つ親がいる家庭で育った場合はBパターンになる可能性が高く

◆Bパターン

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この場合は両親とも友人と同じ、もしくは友人以上に遠い位置に両親を置いたりします。
断定できる判断基準として、家庭内で表現できない感情の中に「泣けない」というものがあると限りなく100%に近い確率でこうなります。
ちなみに私の家庭がこれでした。
私が泣けないだけではなくて両親祖父母誰の涙も一度も見たことがありません。
(※別記事に書きますが社会的地位の高い家庭内で殺人が起きる理由はこれであろうと思っています)

プライド部分がこの大きさになりますので
ほぼ全ての対人関係がある種の演技になり、また恋愛などで親密な人間関係を築くと親密になりすぎるか遠すぎるかのどちらか極端な関係性になり何らかの問題が生じやすくなります。
恋愛関係で起きる殺人はこの距離間(感)の問題であり、間接的に親への怒りを転嫁したものが多い印象です。

エゴが発達している時点で自分の見せ方も他者を上回ることに長けていますから、若年の間は目立って魅力的な人が多いのも特徴です。
スピリチュアルな視点で語るのであれば周囲の人々と健全な関係が築けないことで得る学びのために生まれているので物理的な孤立を避けるために容姿が美しかったり
何かとよくデキる人が多いです。
しかしある一定の年齢を過ぎエゴの望むような自分を見せられなくなった時に挫折し
高齢ヒキニートになったり鬱病を発症したりするケースも多く存在します。


長くなりすぎましたので何回かに分けます(笑)
一旦終わり。










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