見出し画像

暗闇の向こうに灯る愛

気付けば大晦日、、掃除もできないまま蕎麦を茹でなきゃいけないし夕方でスーパー閉まっちゃうから買い出しも行かなきゃいけないしで結局毎年元旦の昼間から洗濯・・・←なんでこの人元旦から洗濯機2回も回しとるんやとうちの母親を見て思っていたけどここ数年は私もシーツなどの大物を洗濯することから元旦が始まっています。明日もそうです。

年々一年過ぎる速度が加速してくように感じますね。
実は感じるんではなくて実際にそうらしいです。笑
気付けばコロナにも自粛生活にも慣れていて、今までと変わらない年末が訪れたように思います。

ファッションビルが閉まっていた期間は暇でしたがありがたいことに弊社はお給料が出ていたので、のんびり野菜を育てたりしました。
しかし社会が元に戻り始めた頃から、売上げを取り戻そうとしてか会社の仕事がものすごい忙しくなってしまい、ブログを書く時間も全然取れず、、
それだけなら良いんですが、毎日サービス残業をして土曜日も作業をしなければ終わらないような仕事量になってしまい、3~4時間睡眠が続いていて
・・・人生について考えてしまいました。笑

困ったときにはこうしたら良い、なんていうささやかな術をいくつか学んできたので
ここでシェアしたりしていましたけれど
睡眠時間が削られ続けると冷静な判断ができなくなるので、そんな余裕さえなくなってしまい、久しぶりに精神を病みました。
V系の音楽が身に沁みますw

そうゆう時って、普段考えないネガティブな波動を拾ってしまうんで
なんで自分の人生こんななんだろう、とか、なんでこんなに大変な思いをしないとお金もらえないんだろう、とか
そんなことが頭を巡るようになってしまったんですけど
その渦中でふと、思い出した映画の中の台詞があったので、それを今年の締めの記事にしたいと思います。

劇団ひとりが天才でしかないと思ったこれ

『青天の霹靂』

公開されて半年ぐらいしてから映画を観て、そして本も読んだっていう
気に入るといつも両方見るんですけど
これすごく良い作品な上に劇団ひとりがイケメンにしか見えなくなってくるんで観てない方は是非お正月に。

トレーラーの中に出てくるんだけど、主演の大泉洋さんのこんな台詞があります。


ろくでもない親父がいて、俺を置き去りにした母親がいて

 だから俺の人生惨めなんだよ。そうだろ?


私がお金を稼ぐのが大変なのは、
貧乏育ちの父親が苦労して家計を支えていたのに母親に馬鹿にされていたので、私が父親の人生を肯定するために無意識に大変な仕事を選んでいるからだ、っていう話をどこかで書いたかと思います。

”ろくでもない母親がいて、それなのにその母親を父親が擁護するから
だから私の人生こんななんだよ”

そんなふうに置き換えると
自分の不幸を両親のせいにして、被害者として生きてきたということになるのです。そして実際にそうでした。
私は家庭を持っていませんが、子供を産まなかったのは単に子供が嫌いだからじゃなくて
自分と同じ思いをさせる気しかしない、というだけでもなくて
仕返しでした。

私が幸せにならないことが、何よりもの復讐。
母の思う幸せを私が掴んでしまったら、母を肯定することになる。
だから私は絶対に自分の家庭を作るなんてことはできなかったのです。
それに気付いてから、、、こりゃいかん、、これはどうにかしなきゃヤバい 孤独死する と思い
あらゆるワークやらカウンセリングやらを試しているうちに
”タイムラインセラピー”というものに出会いました。

このセラピーを行う前に、ある程度の土台ができている必要があるとは思うんですが
簡単に説明すると、
イメージの中で過去に自分が傷を受けたと感じている出来事があった年齢まで巻き戻していって、その出来事を理想的なものに変換したり、出来事の意味付けを変更したりする催眠系のワークです。
NLPに未来を創るタイムラインのワークがありますが、これはその逆で
ヒプノセラピーを簡易的にしたようなものかと思います。

これをすると、確かに愛とか感謝とか、そういったものが涙と一緒に溢れ出ては来るんですけれど、それと一緒にひとつだけ、矛盾した思いが沸いてきました。
それは、

愛されていたのでは困る

愛されて育ってきたのでは、辻褄が合わなくなる。
こんなに愛されて望まれて、大切にされてきたのでは
私の人生がこんななのが、すべて自分のせいになってしまう。


だけど、
イメージの中で都合の良いように置き換えただけだけれど
でもあれは、本当は、そうだったんだろうと、思ったんです。

真実は本人達にしかわからない。って、いつも主張していますが
両親の事情も、当時の本人たちにしかわからないわけで
私に対して発した酷い言葉も、本当はそんなことが言いたかったんじゃなくて
私を無視してきたことも、本当はその後ごめんねと言って抱きしめたかったのかもしれなくて
だけどそれができない未熟な部分は、当時の親の年齢になってみれば
オトナ気ない言動をした後に謝れるかって言ったらいくつになったって難しいのはわかりますw
だから私は犯罪を犯す人達の心理や背景を理解しようとしてたのかもしれません。
虐待する親だって、放置する親だって、あなたがお腹にいる時にはきっと
あなたの人生を望んで、大好きで、産まれたらこうしてああして・・・って
思い描いていたのでしょう?でも、そうはいかない環境や夫のモラハラ
姑のいびり、経済状態・・あらゆる理由で親として完璧ではなかった、というだけのことで
もし心にも環境にもそれだけの余裕があったなら

本当は誰もが、人を愛したくて、大切にしたい

のですよ。
人間は本能的に、”愛したい”という欲求を持っています。
愛されたい、ではなくて、”愛したい” です。
誰もが幸せであれば、他者に対して中傷も虐待もしないのです。

だから私が代わりに断言します。
あなたのご両親がご健在でも生まれる前からいなくても、もはや誰なのかわからなくても、
あなたは望まれて生まれてきたし、愛されていたし、大切に大切に
何よりも大切に想われきました。

本当に大変な母親で(笑)私の人生が大変だったのは確かにこの両親の元に生まれたためと言わざるを得ないんですけど
そのおかげ様というか、この人生の、さらに向こう側の世界というものがありました。
きっと、この絶景が見たいがために私が両親を選んだのでしょうね。
ヴィジュアル系に出会えたのもそのおかげであり、絶景のうちのひとつです。
そのすべてに、感謝しています。

夜明け前が一番暗いって、ステージの誰かも言っていました。
それは遠くにまだ点としてしか存在していない僅かな光を見つけるためかもしれません。

2021年もお世話になり、ありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えください。

2021.12.31




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?