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分けられるけど切り離せない

自己紹介が苦手だ。うまくひとことでまとめられず、長くなりすぎたり足りなすぎたりする。

そもそも、何者であるかを自分で規定する行為そのものに少し違和感があった。なんかそわそわして居心地が悪くなるというか。所在ない感じ。

昨日メンターとして参加した、 #育ちあう勉強会 で惑星ごっこの曲を流してもらって、そこの所在なさや違和感の理由がちょっとだけつかめたような気がしている。

(≒スタート直後に混乱してる理由でもある)

※ひとつ補足しておくと、流していただけてとてもうれしいです!

違和感の正体

その場に合わせた役割を無意識に演じようとしていて、その役割からはみ出たと感じたから違和感を覚えたのかなあと考えている。

違和感はライトな危機感である場合が結構多い。
ここでの危機感は、コミュニティからはみ出る怖さに通じる気がする。

自己紹介が苦手なのも、その場に合わせた自分の断面を見せたい(けど自己紹介をするタイミングではその場のお約束がつかめないから難しい)という思考の流れがありそう。

よく言えばサービス精神旺盛、悪く言えば見栄っ張りのエゴ全開って感じだ。

分人主義に基づく考察

人間には、いくつもの顔がある。—私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然とさまざまな自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒くさがられるだけで、コミュニケーションは成立しない。だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)dividual」である。
—私とは何か 「個人」から「分人」へ / 平野啓一郎

分人主義では、人間には相手や文脈によっていくつもの分人を自然と使い分けていて、その集まりが個人であるとされる。

一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。

家族、パートナー、友達、会社…それぞれの関係性の中でのふるまいは異なる
ひらたく言うと、友達に接するように上司に接しないし、クラスメイトに接するように子どもに接しない、それぞれのシチュエーションにおける自分のキャラやふるまいが存在するイメージ。

自己紹介をするシチュエーションは、分人を構築するきっかけというか、まだ定まっていないやわやわな分人で相手と対峙している状態。

そういった関係性が浅い場合、うまくいった経験のある分人を使いまわそうとしているフシがあるなとも思う。あえて言語化すると自分の場合は寿司屋店員の分人になる。

◆寿司屋店員の分人
・いつもニコニコ
・しっかりしている、頼れる
・気が利く
・相手の話に興味を持つ&それを示す

ここには、バンドでベースを弾いている分人とか、会社での分人の要素はあまり含まれていない。人当たりの良い部分だけ抽出した感じ。

相手の挙動への対応にステータス全振りした、受け身な分人とも言えるな。
バンドでベースを弾いている分人は能動的なので、少し性質が異なるし、ビジネス的な文脈がある場においてはなかなか出てこない。

(話のネタになりそうだなとおもったら出すけど、否定や嘲笑のニュアンスが混じった受け取られ方をする場合もまああるので大事にしているものは出したくない気持ちもどこかにある)

その場の心理的安全が確保されないと、出てこないものなんだろうな。

人間まるごとでやった結果

今回、勉強会の冒頭で弊バンドの曲を流してもらい、人当たりの良さを追求した寿司屋店員の分人バンドマンの分人スタートになった。
これってだいたい全部載せ。なのでとても新鮮な感じだった。

おもってもみなかったところで、自分の大切にしているものが広がっていくのは純粋にうれしいなあ。
聴いてくださったみなさん、ありがとうございました!

分けられるけど切り離せない人間まるごとを出していくのも、いいなあ。とおもったのであった。

まとめ

noteの記事はテーマによっていろんな分人が出ている気がする。
ぜんぶのせの自己紹介noteを書きたいな…

それでは!

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