制限があるからたのしいこともある
自由に創造性を使って何かを作っていく行為が昔からちょっと苦手だ。
描いたり消したりを繰り返して、結局なにも残らなかったりする。
枠が広すぎると、ないはずの正解を探してしまうからなのかもしれない。
しまいになにがいいのかわからなくなって、自分から出てきたものがそんなに素敵じゃないような気がしてくる。
いまめっぽう流行っているどうぶつの森も、自由度が高すぎて迷子になって途方にくれる自分の想像が浮かんできて、買うまで至らなかった。
ちょうどいい制限があると、その枠の中で創造性みたいなものを働かせるのもたのしくやれるのでは?という仮説があるので、書きながら考えてみる。
つめをぬるのはたのしい
気が向いたタイミングでつめをぬるようになって何年経ったんだろう。
なるべくきれいに長持ちさせたいのもあって、つめの先だけぬったりラメのものだけぬったりするのが定番。
(余談ですがラメっていいよね...テンション上がる)
夏限定のシェルっぽいラメと偏光ラメの感じが刺さりすぎて衝動買いしたやつ。
やっぱり夏は浮かれネイルにかぎる!!!
つめをぬる行為にはふたつ制限がある。
”つめをぬる”の制限
・つめ10本ぶんのスペースである
・家にあるポリッシュを使う
こう書くと至極当たり前なのだけど、表現の幅や使用できる色の組み合わせに制限があるおかげで創作の途方もなさみたいなところに落っこちずにたのしめているんだとおもう。
noteを書くのもシゴトをするのも大体PCに向かうタイプの人間としては、自分のつめがいい感じなのはうれしくたのしい状況でもあるしね。
▼書いてて思い出した記事。
ミントグリーンとか白とかいいな。
みじかく切ったつめに潔くぬって、前面に色を押し出すのもやりたくなってきた。
ちょうどいい制限、いろいろ
他にもちょうどいい制限がありそうだなあ。
”パッと料理を作る”の制限
・家にあるもの
・ひとりで/誰かと
・お酒あるなし
・おなかのすき具合
・やる気
時間をかけて作るのもいいけどね。ひらめきの瞬発力をいかに使うかをたのしんでいるフシもありそう。
”noteを書く”の制限
・自分がおもったこと、考えたこと
・その瞬間書けること
・そもそもnoteで書くこと
・毎日書くこと
最後のは自分がやってみたいなとおもっていることなので、厳密に言えば制限ではない。
制限というとなんか息苦しい感じがするけど、ゲームをたのしくするルールみたいなとらえ方をすると面白く感じる不思議。
発想を飛躍させると、人生にも制限があるからたのしいのかもしれない。
”人生”の制限
・一日は24時間
・いつか必ず死ぬ
・自分であることはやめられない
眠たくなってきたからここでおしまいにするけど、絶対的な制限なんてそんなにたくさんないし、だからこそたのしくやるぞという気概を持っていられるんじゃないかな。
明日は足のつめでもぬろうかとおもう。それでは〜〜
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