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あまり心を開かないかわりに、好きになると愛を爆発させる傾向がある



以前どれかの記事にも書いたが、私は、「おとなしい」というイメージを持たれることが多い。



そのイメージは、半分正解で、半分間違いだ。



「おとなしい」と思われるのは、人見知りだし、大人数の場が得意ではないからだろう。



大人数の場では、当たり障りのない会話をしているか、


頑張って愛想笑いをしているか、


心の中でHUNTER×HUNTERの「Departure!!」を歌っているかのどれかだ。



だから、「おとなしい」のは事実だ。



(本当に楽しいときは手を叩いてヘドバンのように頭を前後に揺らしながら笑っている)



話す派か聞く派で言ったら聞く派だし、



陽キャか陰キャかでいうと陰キャだ。



そういうわけで、上っ面の会話しかしないわけだから、初対面の人と仲良くなりにくい。



基本受け身であるため、自分から遊びやご飯に誘うことも少ない。



つまり、友達は少ない方だと思う。








ただし、「あ、この人好きだ。」となるケースもある。




二人または少人数で話したときの空気感で、「似ている」「話しやすい」「居心地がいい」と感じたとき。



関わる回数を重ねていく中で、その人の考えや価値観に共感したり刺激を受けたりしたとき。


おもしろい人生を歩んでいる人に出会ったとき。



シンプルに、趣味が合う人に出会ったとき。



シンプルに、尊敬する人に出会ったとき。


笑いのツボが合うとき。



ちなみにだが、この記事における「好き」は恋愛感情を表すものではない。「人として」というやつである。



そのような人とはゆっくりゆっくり仲良くなり、だんだん本当の自分を出せるようになっていく。受け身な自分が自らご飯を誘ったり遊びを計画する。そうしてとことん好きになるのだ。



以前、私を「淡白そうに見えて実は愛が深い」と表現した人がいた。



この人は自分のことをよく分かってくれていると思った。



人と必要以上に関わろうとはしない(と思われているであろう)自分だが、「好きだ」と思った人には違う自分を見せる。



当たり障りのない上っ面じゃなくて自分の中身の部分を話すし、



息継ぎを忘れそうになるくらいマシンガントークをする。



愛想笑いじゃなくて明石家さんまみたいな引き笑いをするし、



全力で劇団四季のミュージカルモノマネをする。



仲良くなった全ての人に「おもてたんと違った」と言われるのは、こういうことだ。



我ながら不器用な人間で嫌になるが、仲良くなり心を開いている人とそうでない人、見せる顔が大きく違うのがワタクシなのだ。






そして、その愛を伝えたくなるのだ。


初任者のとき、同じ学年を担当した先生は私にとって素晴らしい人だった。彼女の人間性が大好きだったし、学級経営がすごく素敵だったことから尊敬していた。そんな慕っていた先生がたった一年一緒に過ごしただけで異動になってしまったとき、お別れの手紙にこう書いた。


「自分は運がない方だと思っていたが、この出会いのために今までとっておいたのだと思う。」






お分かりだろうか、重いのだ。



職業柄こんな言葉を言ってはいけないとは分かっているが、伝え方がキモイのだ。





いいヤツみたいなことを言って悪いが、私は人のいいところを見つけるのが割りかし得意だ。



(本当は得意だけど、いいヤツアピールしているみたいなので、仕方なく「割りかし」という言葉を付け足した。)



人のいいところをすぐに見つけられる。そして、ここからが特にキモイのだが、それらをメモしてしまうのだ。



これは、一種の職業病だと思う。
現場で働いていたとき、子どもたちのいいところや成長したところ、その子に言われて嬉しかったこと、その子が他の子のためにしていたこと等々



そのような場面を見つけたとき、忘れないようにメモしていた。そして、保護者とお話する際それらを伝えていたのだ。



その名残があってか、人のいいところをメモする癖が出来上がってしまった。



そして、また厄介なことに、本人に伝えるだけでなく、その良さを他の人にも伝えたくなるのだ。



おすすめの本や映画を紹介したくなるように、私は自分が素晴らしいと思った人を紹介したくなるのだ。




キモイとは分かっていながら、愛を爆発させずにはいられない。




その爆発した過剰な愛が具現化されたのがこれである。


このシリーズの記事を書きたいと思っている人は、いま現在3人いる。でも、少し躊躇うのだ。「き、きめぇ…」と思われるのではなかろうかと心配なのだ。





この記事を、この超がつくほど忙しい時期にせっせと書いたのは、そうやって自分の愛を爆発させたとき、褒めちぎったとき、「き、きめぇ…」と思われたときの保険である。



普段あんまり人に心開かないヤツがあなたのことこんなに好きになってるんだから、少しは大目に見てよという甘えである。


帰国を目前にし、そんな人たちへの愛が溢れそうになることが多い。いつ伝えたい衝動に駆られるか分からないから、予めここで断っておく。





先ほど友達は少ない方だと書いたが、私は「狭く深く」の人間関係でいいと思っている。



多くはいらない。全員と仲良くなれなくれもいい。


「親友だ」「大切だ」「定期的に会いたい」


そう思える人が数人いるだけでいい。


本当の自分を出せて、


互いの人生を語り合えて、


腹を抱えて笑い「お腹痛いお腹痛い」と電柱につかまりながら歩かなければいけないくらい一緒にいて楽しい人たち。



そんな人がいてくれるのであれば、もうその人生は勝ちなのだ。





協力隊に参加したおかげで、多くの出会いがあった。



訓練所同期、ルワンダで出会った隊員、深く関わったルワンダ人、起業したり団体を運営したり、ルワンダで暮らしているけどJICAとは関係のない日本人、任国外の旅先で出会った個性豊かな旅人たち。



日本で仕事を続けていたら出会えないような人たちと知り合うことができた。



「出会えてよかった」「今後も繋がっていたい」と思える人がものすごい勢いで増えた。




だから、もう私の人生大優勝なのである。

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