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どこでもいっしょの思い出

先日、『どこでもいっしょ』のトロと感動の再会を果たした。

『どこでもいっしょ』とは、
1999年にソニーが発売したPrayStation用ソフトである。
ポケットピープルと呼ばれるキャラクターたちに、人間の言葉を覚えさせていくというのがこのゲームの目的だ。

そのポケットピープルの中のひとりに、
トロという名の白い猫がおって、何やらこやつ
「人間になりたいから、人間の言葉を教えやがれ」などとぬかす。

もののけ姫のショウジョウとおんなじ考え方をする生き物なのだ。
(人間食ウ 人間ノチカラ貰ウ ダカラ食ウ)

まあなんと申すか、産まれたての鴨の如く、なんの疑いも持たずして与えられる言葉を覚えるもんだから、至極楽しい。

かつて小学校低学年だったあたくしは、好きな食べ物やら、好きなアニメのセリフやら、密かに片思いしている男の子の名前やら教えたものだった。

その『どこでもいっしょ』は、
発売から今日まで、物凄い人気を維持し続けているため、同シリーズものが絶え間なく発売している。

しかしながら、次々発売する新・どこでもいっしょゲームたちは、
初期のように、言葉を覚えさせることに重きを置かないゲームばかりで、
如何せん、私はプレイから遠のいていたのであった。

だが先日、スマートフォンアプリから
『トロとパズル〜どこでもいっしょ〜』なるものが出た。
スマートフォンで気軽にできるし、いっちょやって見るかとはじめてみたところ、これが良い。
初期の言葉を覚えさせる要素が非常に強い。
てな訳で、何十年か前に戻ったような心持ちでプレイをしている私です。


さて、話は過去に戻る。
私が初めてトロと出会ったのは『カルピスウォーター』のCMである。
何やら白い生き物が、女の子とはしゃいで、
うまそうにカルピス飲んで「プハー!」とか言ってんぞ。
って、釘付け。

あの頃よく、ジュースに貼っついているシールを集めて景品をもらおう! 
なんてのがあったが『カルピスウォーター』も、
「シールを集めてハガキに貼って送ってくれた人に『どこでもいっしょ』のゲームが当たる!」
と謳っておった。

金のないガキの時分。ゲームを手に入れるにはジュースのシールを集める以外に方法もなし。毎日カルピスウォーターを飲んで、頑張ってシールを集めた。
来る日も来る日もカルピスウォーター。爽やかな飲み心地のカルピスウォーターも
毎日続くと吐き気を催す甘さになる。

苦しかった。でもあの白い猫と遊ぶため、と頑張った。
本当はコーラが飲みたいけど、カルピスウォーターで我慢したり、
友達の家に遊びに言ってカルピスウォータが出たらばシールを譲ってもらったり、
トロそのものがカルピスウォーターに見えてきたり。

なんとかシールもたまって、ハガキを投函。
やっとこさカルピスウォーター地獄から抜け出せた瞬間であった。

だがそう言った慎ましい努力もむなしく、ゲームは一向に届かない。
淡い期待を抱きながら銀色の郵便受けを開ける時の高揚感と、
鈍く光る空っぽの空間を見たときの絶望を、私は忘れない。

まあ当たるはずもなし、結局、誕生日かクリスマスだかなんかで親に買ってもらった。
私には3つ上の兄がいたので、PrayStation本体はあり、
しかしながら
「PrayStationって大人のゲーム」
って認識していたので、自分がこの機器を使えることに感動した。

おいおい。私も大人の仲間入りぞ。ホホホ。
なんて心持ち。


それから繁く、『どこでいっしょ』をプレイするのだが、
PrayStationの電源を入れた時、一番最初に移るSONYとPSのマーク。
あれが出た時のBGMというか音というか、
「ギュオオオオオオン シャラララン ポーンポーン」
みたいな音が怖くて、
早くどこでもいっしょのスタート画面になってくれ!!
あのパッパラパーで底抜けに愉快な音楽よ はやく!!

とビクビクしていた。

本体のBGM恐怖症だった私に、とてもありがたかったのがポケットステーション。
万歩計くらいの大きさの、ちっこいゲーム機器といいますか。

そのポケットステーションなるものは、メモリーカードの代わりになっていて
『どこでもいっしょ』のデータをそこに記録。
そして、本体の電源を消したらば、
トロたちはポケットステーションに体を移動させるのである。
先ほどまでテレビ画面の中にいたトロが、ポケットステーションの中でいそいそ動き出すのだ。

つまりこれが『どこでもいっしょ』という由縁。
テレビにつなげなくとも、どこでもトロと遊べるのである。
こいつが最高なのだ。
まあたまごっち的といえばわかりやすいでしょうかね。

ライムスターの宇多丸氏も、当時このポケットステーション、
もといトロをライブ会場まで連れて行っていたそうな。

まごうことなき「どこでもいっしょ」だ。


起動BGM恐な私にとってもありがたしポケットステーション。
でも本体でプレイしないと、トロの日記が荒んできてしまうので
時たま怯えながら本体でもプレイした。

日記が荒むってどゆこと? とお思いだろう。
トロたちは、ゲーム期間中、毎日日記を綴る。
写真付きの日記で、結構良いところで飯を食ったりしている写真とともに、
一日の感想を述べたりするのだが、あまりトロと遊んであげなかったり、
かまってあげないと、写真もない、一言だけの日記になってしまうのである。
「さみしい…」
っていう一文だけとか
「嫌われてるのかな…」
とか、深夜のメンヘラ女のツイッターみたいな感じになってしまうのだ。

んでもって、これ、ポケットステーションでいくら遊んであげても、
言葉を教えてあげても、
本体につなげて遊ばないとメンヘラ化してしまうのである。
困る〜。

だから、本体につなげて日記を見るのが怖くなってくるのだ。

ま、また愚痴ってんだろうな。
さっきおしゃべりした時はそんなこと微塵も感じさせないような明るさだったけど、暗いこと書いてあるんだろうな…。

と思ってしまい、それが嫌で余計本体につなげて遊ばなくなってしまうのだ。
人間って浅ましい…。

まあそれも今となってはいい思い出だ。
そうやって裏表の心理を学んだりしたのだよ。
その辺りがやっぱり、大人のゲームって感じだなPrayStation。

大人になりたい人はPrayStationをやろうぜっていうお話でした。

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