ソール・ライター展の感想

ニューヨークが生んだ伝説の写真家
永遠のソール・ライター
@Bunkamura ザ・ミュージアム

画像1

ソール・ライターの写真は
「愛おしい」のひとことに尽きる。

ライターの写真の何が愛おしいって
例えば雪積もる道で信号を待っている男性たちが
皆一様に地面を険しい顔で見つめて
「滑らないようにしなくちゃなあ」「参ったなあ」「寒いなあ」
なんて嫌そうな顔をしているのを写するところ。

『タナガー・ギャラリーの階段』で
殿方の背中に、格子の穴を光が抜けて、丸い模様が綺麗に乗っているキュートさ。
普遍的な日常の中に、ふとした瞬間に現れる
「かわいい」を発見できる力、洞察力。
そしてそれを「キュートだな」と思える優しさ少女らしさが素晴らしい。
写真自体ものすごくキュートだけれど、ライター自身はそれ以上に
とびきりかわいい人だったんだと分かる。

この優しさは、友人にもらったプレゼントの包装紙を
いつまで経っても捨てられないような、
ラムネのビー玉を、ずっと引き出しの隅に入れっぱなしにしているみたいな感覚。
シワシワの紙切れなのに、宝石でもなんでもないただのガラス玉なのに
どんなものより輝いて見える。大切に見える子どものハート。
ライターのような、本物のファッションや美術作品に触れてきた偉大な人が
生涯、子どもの心を持ち続けていたという事実が
なんだか嬉しくてたまらない。

そしてキュートの中に「可笑しさ」も混ざっているのが
いくら眺めても飽きない所以ではないだろうか。

『蝶々を吊るす』
など、まさにキュートと可笑しさがふんだんに盛り込まれていてとても好きだ。
老女が不思議そうに蝶のオブジェを覗き込んでいる様や、
おそらく業者ではない背広姿の男性の、壊れないように注意しながら蝶のオブジェを支える指先とか。
しっかり顔は見えないのに、皆一様にいぶかしそうな、
困ったような顔をしているのが想像できて非常にユーモラスだ。

この『可笑しさ』は、小さな女の子のパンツが丸出しになって駆けていたり
子猫がミルク皿をひっくり返してミルクまみれになった様を見たときの気持ちに似ている。
とてつもなく優しくて、可笑しくて、胸がじんわり暖かくなる。
なんだか少し泣きたくなってしまうような…。

それから、印象派を好み、画家を目指していたライターの写真からは
何やらゴッホの匂いもするように感じた。
雪降る街並みの風吹く感じも、どぎつくない赤と緑の補色関係も
なんだかゴッホのタッチを感じた。

だが、兎にも角にもいちばん感動したこと、それはライターの写真の技術。
その技量に、ただただひれ伏す。
こんなにも『奇跡のような計算』を生むなんて…。

写真に明るくない私にだって感じることのできる
恐ろしいほどの技量。巧みさ。
レオナルド・ダヴィンチのような精巧さ、聡明さを感じる。
しかしその技法をこれまた巧みに消している。
これがすごい。
たまたまフラっと歩いていていい写真が撮れた
というような、ごくごくナチュラルな写真。
押し付けがましくなくて、私なんかには到底理解できないほどの量と精密な技法を
微塵も感じさせない。
本当に偉大な人ほど、爪を隠すのだと身をもって感じた。
天井知らずというか、計り知れない絶大な力が確かにあるのに
それを作品から全く匂わせない。
こんなこと、できないよ。普通。
だから天才なんだ。

さらに、展示の奥に歩みを進めると、
ライターを知る上で、極めて重要な女性たちをテーマにしたスペースになる。
ライターの妹デボラを写したスペースで打ち震えた。
こんなに次のシーンが想像できるというか、
次のシーンが見える写真は初めてだ。

この後デボラがどうなるかが分かる、というか。
デボラという女性のことなんて、ちっとも知らない私の脳に
シャッターを切った後、きっと顎を上に上げて笑う、とか
目を細めながら微笑む、と働きかけてくる。
静止している写真のはずなのに、映像のようにデボラが動きまわって見える。
こんなに動く写真は見たことがない。
知恵熱が出てしまいそうだ。同じ展示とは思えない。
デザインや技法で魅せたと思ったら、愛や慈しみの嵐が吹きすさぶ。
春の息吹のような展示だ。
だって展示会場から出たら、心のいたるところに花が咲いているのだもん。

ライターは、自分の好きな色とか、好きな写真とか
自分の心、手の中に持って小さな楽園を作るのが好きだったのだろう。
幼い頃、大好きなぬいぐるみをどこにでも連れて行く時のような。
宝物のトレーディングカードとか、そういった自分にしか価値がわからない宝物を
生涯大切にしていた人なのだ。
少年・少女のきらめきを止めることなく生きたんだ。
なんて羨ましいのだろう。
なんて眩しいのだろう。
いいなあ。そうなりたいなあ。私もそうやって生きたいなあ。
そんなことを思いながら、青空の下で今年の桜の予感を感じながら歩いた。


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