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J.BOY

私と浜田省吾の出逢いは、およそ20年前のことである。
幼稚園の年長に上がる前まで住んでたアパートにて、ステレオコンポでよく父が流していたのが浜田省吾の曲だった。今の家に越してからも、出かける時に父が車を運転する際は、必ず浜田省吾の曲が流れていた。
わたしは当時、浜田省吾が嫌いで嫌いで仕方なかった。渋いし、歌詞も何言ってんのかよくわからないし、テレビに出ないからどんな人かも知らないし、第一、聴き飽きたし...
(悪口のオンパレード)

だから、父が車で流すたびに、
「浜省ヤダ!他のにして!」と駄々をこねては、MDを流してもらって、スピッツやKinki Kids、島谷ひとみを聴いていた。
おい、MDって懐かしいな。

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それから10年ほど経った高校生の頃、
浜田省吾が広島出身(竹原市)であること、改めて聴いてみると普通にかっこいいということが分かってしまい、
家にある浜田省吾のアルバム(5th〜25thアルバムまで全部あった)を片っ端からウォークマンに入れ、登下校の時には欠かさず聴くようになってしまった。(1人の時限定であるが)
そして、ほとんどの曲を完璧に歌えてしまうことに驚いてしまった。
昔から嫌というくらい聴いてきたからか、歌詞が全て脳にインプットされていたのだろう。
あれだけ嫌いだったのに、今となっては、わたしが好きなロックミュージシャンの中で、殿堂入りを果たしてしまうくらい、好きなミュージシャンになってしまった。 

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ただ、「好きなミュージシャンは?」と聞かれた時には、「浜田省吾」とは答えないようにしている。恥ずかしいから、という理由ではなく、誰に言っても、なぜか微妙な反応をされるからである。
同年代の友達からは、「誰それ?」と言われ、
(これは当然の反応)
わたしより年代が上の人からは、「浜田省吾なんて聴くの?渋いね〜」と、小馬鹿にされて腹が立った。(顔には出さないようにした)
好きすぎて言えない、というのも理由の1つかもしれない。

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ロック=英語 という既成概念に疑問を抱き、
日本語でロックを歌うことにこだわり続けたこと、
J-〇〇 (JR、J-WAVE、Jリーグ)という造語を作り出した先駆的な存在であること、
(1986年リリースのJ.BOYは、Japanese Boyという意味の略語である)
67歳になった今でも衰えることのない、若い頃と変わらない歌唱力とパフォーマンス、
全てにおいて最高のミュージシャンだと思う。

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浜田省吾の曲を嫌というほど聴かされてきたあの車は、数年前に廃車になってしまい、
父は、わたしが高校生になる前に、単身赴任により家にほとんど帰ってこなくなったため、家族4人で出かけることはなくなってしまった。
でも、浜田省吾の曲を聴くたびに、子どもの頃の楽しかった思い出が甦る。

そして、わたしも大人になり、車を運転する時は、必ず浜田省吾の曲を流す。現代っ子らしく、iPhone(Bluetooth経由)から。
家族3人でのドライブでも、浜田省吾の曲を流しては女3人で熱唱。(バカ親子)
そう、我が家は全員、浜田省吾の曲はほぼ完璧に歌えるのである。
父親が年に1回、帰ってきたときも、喋ることは浜田省吾の話ばかり。
今はただただ、浜田省吾に出逢えたことに感謝しかない。
ああ、死ぬまでにライブに行きたい...

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浜田省吾思い出ソングス5選

一番車の中で聴いたやつ。90年のライブバージョン。

なぜか雨の日のドライブを思い出す曲。

女3人で熱唱するときに必ず歌う曲。

小さい頃、子供ながら、「あ!カッコいい!」と思った曲。

マイ・ベストオブ浜省ソング。

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ちなみに一番好きなアルバムはなにかと聞かれたら、「誰がために鐘は鳴る」と、自身満々に答える。
ずっとサブスク解禁されてなくて、解禁されたのが今年の4月頃。何のアナウンスもなく、しれっと解禁されていた。
そういうのも浜省らしくて好きだ。

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