言葉遣い。綺麗な言葉と汚い言葉。

最近つくづく思うのは、ある女の子が言ってた言葉。
篠崎亜美ちゃんっていうセラピスト。
あみちゃんは
すごく可愛い。
可愛いしカッコいい。
なんでかっていうと
あみちゃんは自然体だから。
そんなあみちゃんに言われた
(と記憶してる)
綺麗な言葉を使ってる人がいい人なわけじゃないよ。
私は汚い言葉を使ってバランスをとりたくなる。
私性格悪い人大好きだよ。
(だってそれがその人の個性じゃん!って言ってた)

そんな感じの言葉が印象に残ってる。

わかる。
すごくわかる。
汚い言葉を使いたくなるその感じ。

わたしは言葉遣いに関して、小さい頃から母に口うるさく言われていた。

綺麗な言葉を使ってたら、いい人(言葉遣いにふさわしい人たち)と出会えるよ。
汚い言葉を遣ってたら、それ以上の人(綺麗な言葉を遣って生活してる人たち)とは出会えないよ。
類は友を呼ぶんだよ。

確かにそうなのかもしれない。
確かにそうだよな。そうなんだなって思って、思い込んで、言葉遣いには気をつけてきた。
そうすることで、母が喜ぶと思った。
母が期待する私=“母の理想の娘”になった方がいいんだと思った。
(なんと!そーか!私は理想の娘になりたかったのか!なった方がいいと思い込んでたのか!と今書いてて納得!)

けど今思うと、
気をつけるって何?

わたしから沸く言葉を一体誰のために気をつけてわたしは生きてきたのだろう。
(お母さんのためだよ!)

美味しいものを食べてうまい!
と言った時に、
うまいじゃなくて美味しいでしょ
めっちゃじゃなくてすごくでしょ
うちじゃなくて私でしょ
○○じゃね?じゃなくて○○じゃない?でしょ
とか。
もう何を何個直されてきたのか、
そんなことは忘れてしまった。
表面上の記憶ではほとんど覚えていない。
ただ、その都度母のアンテナに引っかかった言葉遣いは直され、わたしもいつしか使わないように気をつけたというのは覚えている。
そしていつしか汚い言葉遣いをする人達を嫌悪し、あんな人にはなりたくないと思うようになっていた。
(本当は使いたかったのにね。)

言葉遣いを直されてきたその当時から今でも変わらないと感じていることがある。
それはうまいものと美味しいものを食べた時の心の感動だ。その二つだけは明らかに違う。
うまいものを食べた時は『うまーっ!✨✨』だし、美味しいものを食べた時は『おいし〜い♡』になる。(これは私にしかわからない感覚)
なので『うまいじゃなくて美味しいでしょ』と言われても、うまいと思った時にうまいと言う感覚だけは素直に言葉に出したかった。
そんな時は『んー!これうまい!!!って感じ。』と、自分の本音に+『感じ』という言葉をつけるようにして、わたしは自分の想いを吐き出すことに成功した。
母の反応を横目で気にしながら。
母が何も反応を示さなかった時(注意されなかった時)、わたしは心の中でガッツポーズをした。
よっしゃーーー!!!
誇らしかった。
言ってやったぜ!みたいな、なんとも言えない気持ち良さがあった。
そして、注意されなかったという安心感に包まれた。

自分の言葉(頭で考えずに自分の心から自然に沸く言葉)をごく当たり前に使ってる人からすると、そんななんともないことでさえも、私は母の顔色や反応を伺いながら言葉を選んで生活をしていた。

綺麗な言葉遣いをしなきゃいけないんだな。
と思ってるうちに(自分でも知らないうちに)
いつしか人と話す時は言葉遣いだけじゃなく、これは言っていい、言っちゃだめ、こういう言い方はしない方がいいよな、とか、言葉を使うにあたりぐるぐる頭で考えて言葉を選ぶようになっていた。
言葉を選ぶのに時間はかからなかった。
(0.何秒かで選べるから。そんなことは問題じゃなかった。)
ただ、そんな風に言葉を選んで使っていくうちに、自分の本心・本音が言えなくなっていたということは、つい最近まで気がつかなかった。

蓋を開けてみて(蓋が開いて)わかったのは、
ふざけんなよ!
知らねーよ!
うるせーよ!
そう思う(その感情を抱く)ことはダメなんだ。
そう思ってしまったわたしはダメなんだ。
そんな感覚が無自覚に育ってしまって今まで生きてきたんだということ。
これを言ったら相手は傷つくかもしれない。
相手に嫌われるかもしれない。
そんなこと思っちゃダメでしょ。
そんな言葉使っちゃダメでしょ。
○○かもしれない・ダメでしょ・っていう、そんなこと誰にも言われてないのに謎の呪いの言葉が頭を走る。

けどなんでそう思ってしまったのかがわかった。
わたしは母に振り向いてほしくて(これに関してはまたいつか書く)、そのために母の期待に応えたくて、母の理想の娘になりたくて、私の中で『ダメでしょ』という言葉は、そんなこと思ったらお母さんが悲しむでしょ、お母さんに怒られるでしょ、だから理想の娘になれないそんな(風に思ったり言ったりする)私じゃダメでしょ。
っていうことなんだな。
全ては母への想いに繋がってるということに気がついてしまった。

けどそれはわたしでしかないんだ。
と、ようやくわかった。

いい言葉や綺麗な言葉は使っていて確かに気持ちがいい。
反面汚いと言われている言葉遣いをするとスカッとする自分がいる。
それはわたしの魂の叫び、すなわち本音。
そうか、これがロックなのか。これがパンクなのかと今したためている。

いいじゃん。
自分かっこいいじゃん。

母や周りの目を気にせず使える言葉って最高。
想いって最高。

『言葉遣い』というものが、ここまで大きく自分に制限をかけていたんだと思った、そんな夜。

わたしの言葉を受け取るのは相手だ。
そこに相手を傷つけてやろうという意図がなければ、言葉も想いも自由に発信していいと、わたしは思う。

だからわたしは、自分に沸いた感情や感覚、言葉はそのままストレートに表現したい。
いや、表現していく。

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