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対コロナウイルス論 ⑦一緒に泣く誰か⑴崩壊

この連載では、新型コロナウイルスCOVID-19に対して、私たちがどのように立ち向かっていけばいいかを考えていきます。


前回は、積極的に情報を共有することは重要だが、情報は一度疑ってかかるべきであり、ファクトチェックを欠かしてはならないと書きました。

これまで幾度となく協力の重要性を主張してきましたが、これは医療においても同様です。

世界を見渡すと、すでに医療崩壊が起きている国もあります。日本の医療従事者の皆さんも悲鳴を上げています。医療従事者も検査キッドも人工呼吸器も不足しています。医療従事者の皆さんは防護メガネの跡が目元にくっきり残るほど連夜連日奮闘してるにもかかわらず、悲惨なことに感染者は増え続け、終息の兆しも見えません。そして、心身の疲労、物資の不足などから、ウイルスに対する抵抗力も弱くなり、いつ彼らの中で爆発的な感染拡大が起きてもおかしくない状況と言えます。

医療は、どの国でももはや一国の手では支えきれなくなってきています。とはいえ、他国に積極的に援助を行えるほどの余裕もありません。

もし、ミイラ取りがミイラになって、医療という「最後の砦」が崩壊したら、僕たちはどう生きればいいのでしょうか。。。これまで徐々にその影を見せてきていた医療崩壊の姿が、ものすごいスピードで現実味を帯びてきました。

とはいえ、まだまだ僕たちに食い止める手はあります。まずは、世界的に医療従事者を援助する体制を作ることです。金銭や物資の支援は勿論、感謝の気持ちを伝えることもいくらか有効にはなるでしょう。これらのことを国境を越えて、同時に行っていくべきです。次に、医療器具の開発を世界的にしていくことです。ユヴァル・ノア・ハラリ氏が3月20日に英『フィナンシャル・タイムズ』誌に寄稿した記事で以下のように述べています。

戦時中、主要産業を国有化し国家の共有物とする国々のように、コロナウイルスとの戦いにおいても、重要な生産ラインを「人間のように」する必要があるかもしれない。 (訳はブログ筆者)

氏が言う「無数の見知らぬ相手と非常に柔軟な形で協力できる」僕たち人間の特徴を存分に発揮していかなければいけないのです。そして、ここでいう「重要な生産ライン」とは検査キッドと呼吸器の生産ラインに他なりません。

勿論、僕たちが医療崩壊を防ぐために、そもそも感染しないように努力する必要があることは言うまでもありません。医師会の忠告にきっちりと耳を傾け、不要不急の行動を避けましょう。

うららかな春日和なのに、友達とカフェや花見やディズニーランドに行くことができないのは苦しいかもしれません。しかしその苦しみは、感染することや皆さんの大切な人や皆さん自身が死んでしまうことの苦しみよりは、はるかに小さいです。

もしかすると皆さんの中には、死を全く恐れていない人がいるかもしれません。しかし、仮に皆さんがそうであっても、皆さんの大切な人や、町ですれ違った人もそうであるとは限りません。もし皆さんがウイルスキャリア(症状は出ないがウイルスを持っている人)だったとして、皆さんとの接触が原因で誰かが死んでしまったらどうでしょうか。

法律では皆さんを罰することはできません。しかし、そのことを皆さんが知ったら、皆さんは刑罰以上に重たい罪悪感に苛まれるでしょう。

僕たちの一つの行動で失われる命は現実にありえますそれならば、僕たちの一つの行動で救われる命も十分にありえます

僕たちには政治家や経営者のような権力はありません。それでも僕たちが「誰かにとっての世界」を変えるだけの十分な力を持っていることを忘れてはいけません。あとはその力をどの方向に向けるかにかかっています。

この記事のまとめ

危機的状況にある医療を守るために僕たちにできることは、感染しない・させないことです。

僕たちの行動で失われる命もあれば救われる命もあります

僕たちは「誰かにとっての世界」を変えるだけの十分な力を、どの方向に向けていくか、自問し、実行するべきです。

次の記事では、経済の問題について考えていきます。日常を取り戻すために、そして明日も生きているために、僕たちは何をしなければならないのでしょうか?よかったら読んでください。

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