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対コロナウイルス論 ②信じたほうがいい嘘⑴ ナポレオンと新型感染症

この連載では、新型コロナウイルスCOVID-19に対して、私たちがどのように立ち向かっていけばいいかを考えていきます。

前回は、世界で何が起きているのかを知ることの重要性について書きました。

第2回と第3回では、「フェイクニュース」について考えていきます。

当然、フェイクニュースが以前から大きな問題になっていることは、言うまでもありませんね。しかし、この危機において、フェイクニュースの在り方が従来とは変わってきていると僕は考えています。従来、フェイクニュースには悪意がつきものだったといえます。

例えば、2016年のアメリカ大統領選挙では、多くのフェイクニュースが流れましたよね。ピザ・ゲート事件など、完全なデマなのにも関わらず、支持率への影響だけでなく、実際に銃弾が発砲されるような恐ろしい出来事もありました。2017年のフランス大統領選挙でも、エマニュエル・マクロン候補(現大統領)にゲイで不倫をしているという疑惑が支持率に大きく影響しました。

どちらの選挙も、ロシアが裏で情報操作していたという噂がありますが、この情報源がどこであれ、彼らを支持していない人たちが悪意を持って拡散していったということは、事実でしょう。

ところが、この危機においては「悪意のないデマ」が流れるという異例といえることが起きています。例えば、「ウイルスは耐熱性がない」というデマが流れたり、物流に関するデマが流れて、トイレットペーパーの買い占めが起きたりしました。「首都ロックダウン」のデマも記憶に新しいのではないのでしょうか。情報の発信者がどうだったかはわかりませんが、これを拡散した方々は多くが善意による行動だったのではないでしょうか。プロパガンダや遊びではなく、善意の情報としてデマが流れるようになってしまった。恐ろしいことです。。。

もしかすると、これは「未知なるもの」に対する恐怖が引き起こしたものかもしれません。僕たちが恐れを抱く対象は、未知なるものである場合が多いからです。確かに僕たちは、風邪や隣に住んでるコワモテのおじさんや10年前の自分に恐れを抱くこともありますが、それは新たな感染症や今度会う初対面の人や自分の老後に対する恐れよりもはるかに小さいでしょう。僕たちは、未知なるものに対して恐れを抱く傾向があり、恐れは判断力に支障をきたす傾向があります。恐れによって、嘘をまぎれもない真実だと思い込み、一人でも多くにこの(嘘の)真実を知ってほしいと、行動を起こしているのかもしれません。

「未知なるもの」に対する知識をつけるのは、無理な話だと言う人もいるかもしれません。確かにCOVID-19のような、全く未知のものの知識をつけることは無理かもしれない。しかし、それが実は「未知」ではなく単に自分が「無知」なだけで、知識自体は既存のものであれば、話は異なります。

例えば、皆さんがナポレオンについて知らなければ、世界史の教科書を読んだり、ナポレオンに関する文献を読んだり、あるいはスマートフォンで検索することで、ナポレオンがフランスの軍人であり、政治家であったことを知ることができるでしょう。

それと同じように、「未知なるもの」に対して、人類はどのように対処してきたかも、歴史を振り返ることで知ることができます。そして、その歴史は「語りえぬことについては、沈黙せねばならない」(オーストリアの哲学者ヴィトゲンシュタインの有名な命題)と語りつつも、積極的に情報を発信していくべきだとも語っています。そして、個人的には後者のほうが重要だと考えています。

この記事のまとめ

従来とは異なり、

「悪意のないデマ」が流れる

という異例の事態が起きています。

そして、私たちは「未知なるもの」に対する知識をつけることはできなくても、「未知なるもの」にどう対処してきて、どう対処すれば良いかを知ることはできます。

その中で、

積極的に情報を発信していくこと

は大切だといえます。

次の記事では、そもそも「フェイクニュースには悪意がつきもの」という前提が正しいのかを考え、この危機にどう情報に向き合っていけば良いのかを考えていきます。よかったら読んでください。

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