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第1章: なぜ坐るのか

◎その昔、師匠カエルからワタクシ、坐禅カエルが聞いたところによると  ...

師匠「なぜ坐禅をすすめるのか、わかるか、カエルよ?」

カエル「わ、わかりません ... ケロ。」

師匠「簡単に言うぞ。ひとつめ、人生 ... いやカエル生、楽になる。生きるのが、だ〜んぜん楽になるからじゃ。そんじょそこらの楽さではないぞ。温泉より良いのじゃ。ふたつめ、楽になったら、その楽をみんなでシェアできる。自分のみならず、みんなが楽になるのじゃ。こいつはもっといいぞ。そいでもってみっつめ、正しい方法で、どこまでも諦めずに一生懸命やれば、大人も子供もおじーちゃんも、おばーちゃんも ... 誰でも楽になれるぞい。

カエル「でも、お師匠様、そしたら家でだらだらしていても楽じゃないスか?」

師匠「ぶゎかもん!!試しに家でだらだらしておってみろ。お前のことだから、  三日もすれば将来のことがが不安でたまらんなったり、病気して誰もそばにいて  くれなくて不安だったり、なんか彼女欲しいけどいないし寂しいな〜、なんて言い出すじゃろ!」

カエル「師匠、最後のは図星っすね ... ケロ。」

師匠「カエルでも人でも、だらだらしてたって、だらだらしてるだけ、っちゅうのに結局満足できんのじゃ。徹底せん。落ち着かん。金持ってたって飽き足らん。 名声あっても飽き足らん。どんなものを身につけたり手に入れたって ... そのときは良いかも知れんが。しばらくすると、結局別の何かが欲しくなったり、逆に何かが嫌でたまらんなったり、フラフラ、フラフラ ... 死ぬまで人生落ち着かん。これは全然楽じゃないのではないか?常に何かを求めたり、遠ざけたりせにゃならん ... むしろ苦しいことではないか?カエルよ。」

カエル「たしかに、夏休みが始まった直後って、極楽浄土にいる気分ですけど、終わるころは無間地獄ですよね ... ゲロ。」

師匠「そりゃお前が宿題やらんからじゃ!まったく ... まあ、それは置いておいて、ちゃんと坐禅をすると、これがな、不思議。落ち着くんじゃよ。別の言い方をすると、物や人、環境に使われず、捉われず、そういうものを逆に主体的に使っていける。そんな、どっしりとした力と、しっかりとした知恵、そしてどっかりとした安心感が出てくるんじゃな。だからって、スーパーマンみたいになるとか、人に対して支配的になる、とか、そういう意味ではないぞ。」

カエル「それ、かっこいいッスね!でも、坐禅なんかしなくても、頑張って、欲しいもの全部手に入れたらいいんじゃないスか?」

師匠:「それで、手に入れたものはどこに持っていくつもりなんじゃ?死んだ後は。

カエル「え ... ?」

師匠カエル「みんな死ぬんじゃよ。死んだら、頑張って 手に入れたもんが水の泡じゃぞ。地位も名誉も金も健康も家も女も ... ちょっと考えただけで、虚しくならんか?皆、いつか死ぬんじゃぞ。」

カエル「ケロ ...。」

師匠「そうやって死ぬことを考えたら、なんのために俺ら生きとるんじゃろ?ってなるじゃろう?生きてるって、な〜んじゃろ〜、生きてるって〜、なぁに〜?♩ってなるじゃろ?」

カエル「師匠、それは著作権的にかなり問題アリっすよ。ケロ。」

師匠「む ... まあ良いじゃろ。ほれ、何か質問は?」

カエル「でも、そしたらさっき師匠が言ってた、人生楽になる、っていうのと矛盾しないっスか?人生生きてて、何をやっても結局苦しいってことでしょ?そいで、いつかは死んじゃうって、そんなの、あまりにも救いがなくないっスか?楽じゃ ないと思うけどな ... 」

師匠「ぐっど・ぽいんとじゃが、ちと惜しい。何をやっても、というより(さっきも言ったが ... )何を求めても、何を手に入れても、逆に何を嫌い、遠ざけても苦しい、じゃな。じゃから、単純な話じゃ。何も求めることがなければ、何も厭うことがなければ、満点の楽チン人生なんじゃ。

カエル「え、そんな簡単な話なんですか?」

師匠「単純だが、簡単ではないよ。だらだらするときは、本当に、徹頭徹尾だら だら!っとできればいいんじゃが、なかなかできない。落ち着かん。癖がついて おるからな。将来の俺、とか、得にゃならんもの、とか、嫌いなやつ、とか ... 相手を自分の考えの上で想像して、その妄想の中で選り好みをして求め貪る、あるいは 嫌い、憎み、遠ざける ... 下手くそな独り相撲じゃ!いや、独りじゃったらまだ良いが、ときに周りを巻き込んで悪害甚だしいわい。それでこの癖を、まずはグイッと力強く、本来自然にそうであるはずの、正しい方向へと矯正するんじゃな。まあ、歯の矯正器具見たいなもんかいの。そうして、清く正しく生きていく。それが坐禅よ!なあカエルよ、何にも求めなくても良いのは、ハイパー楽じゃぞぉ〜。」

カエル「お師匠。オイラなんか、ちょっとやる気出てきました。ケロ。」

師匠「うむ。そうやっていく上で、やはり本当のことを ... 本当に自分のことを 知らねばならんのぉ。自分の癖を矯正するんだから、一体全体この癖っていうのは何なのか?ってな。知れば、癖も抜けるよ。それには、逆に、癖がない自分を  一度はっきりと見る。これは、体験しないと本当にはわからんよ。これがわかる なら、何のためなんじゃろか?と思って生きる人生にも、別な光が差し込んでくるかもな。せっかく生まれてきたんだから、なんか、この、本当のところを知り  たい、って感じになってこんかな?」

カエル「癖のない自分、ってなんスか?ケロ。」

師匠「少なくとも、今、お前さんが自分だと思っている自分ではないわな。老婆心じゃが、ちょいと駄弁を弄するとだな ... お前さん、自分と自分以外のものがバラっと分かれていて、自分と他人とか、自分と環境とか、そういう風に2つあると思っとるじゃろ?

カエル「いや、それは当たり前〜当たり前〜♩じゃないっスか ... ?」

師匠「(それも著作権、まずくないか?)うむ、当たりまえ。じゃが、当たり  まえ、と自分が思っていること = 本当のこと、とは限らんぞ。その、あたりまえってやつが、癖の一部として、人間社会を巻き込んで巧みに機能しとる。じゃが 虚構じゃ ... まぁ、ここのところは、ワシがどーこー言っても仕方ない。どうしても自分の目で確かめねば、な。その、バラっと2つじゃないところのやつ、そう いう自分、な。そこが、これからやることの通過点として、とても大事なんじゃぞ。」

カエル「はい! ... で、どうするんスか?」

師匠「(ずっこける)。お前なぁ ... 坐禅じゃよ、坐禅!」

カエル「は〜い。ケロ。」

師匠「ところでカエルよ。カエルが一番生きていて充実するときはどんなときか 言うてみぃ。」

カエル「はい、お師匠様、プレステ4をやっているときです!」

師匠「(再びずっこける)あのなぁ ... 。まぁ、いろいろあるじゃろうが、利他ってわかるか?簡単に言うと、人のためになることをする、じゃ。これが人を幸福にするっていうことを研究しておった学者がどっかにおったのぉ。まぁそれは置いておいて ... 人を本当に助ける、人生を楽にする助けになるってこと。わしにとってはそれが充実じゃがな。」

カエル「ああ、この前、迷子カエルを交番まで連れていってあげました!でも、 お師匠様、さっきの話だと、何かを求める限りは苦しいわけですよね?僕は、その子を助けて、お礼を言われてちょっといい気分で、また迷子がいたら助けてあげ よっかな〜、なんて思ったりして、ちょっと求めてますかね、これ?」

師匠「うむ。それまたぐっど・ぽいんと。そうなんじゃよ。相手を、想像の中で、いじっておるじゃろ?相手のために ... とか、お礼が ... とか。そういう意味では、世間一般でいう、ぼらんちあ、ってやつとも、ちと違う場合もあるんじゃな。人を助けても、「俺が助けてる」っていう思いが全然ないとき。どんなときも、向かうものに対して、自分の考えとか希望、欲求を持ってアプローチしない。そうやっていく。まぁ、世間的な言い方だと、そんなんじゃな、最高に充実するのは。充実、っちゅうもんもなしに充実しておるよ。そのときは、実際のところ、向かう相手とか、自分とか、そういうものもありゃせんのよ。みんなそうだよ。」

カエル「つまり、自分があって、同時に自分に対する相手があって、その間に色々な考えや思惑があって ... っていうのがちょっとでもあると、善かれと思って何かを やっても、なんかビミョーに違っちゃうってことなのかな?

師匠「まぁ、そんなところじゃ(それはそれで、尊い場合ももちろんあるのじゃがな)。じゃから、その違っちゃってるところに坐禅の力でアプローチして、正しくしていくわけ。というか、もともと正しいはずが、何だか変になっちゃってるから、グイッと、力強くもとに戻していくわけ。ただ、こういうのはあくまで理屈で、筋道立てて説明するための方便な。やはり実際に坐ってみんことには、いくら喋ったって時間の無駄といえば無駄じゃがの。」

師匠「そろそろまとめるぞ。坐禅をすると、宇宙一楽チンで充実した人生が送れる。どうじゃ、トライしてみたい?」

カエル「はい!!ケロ。」

師匠「でしょ? ... じゃあ、ひとつ骨折って坐ってもらうとするかの ... 」

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