第4章: 坐禅の実践①
◎その昔、師匠カエルからワタクシ、坐禅カエルが聞いたところによると ...
師匠「よし、では坐禅の実践編じゃな。一番重要なところ。」
カエル「よっ、待ってました!」
師匠「まず、運動でも楽器演奏でも準備運動というか、そういうの、あるじゃろ?坐禅も、あるんじゃ。」
カエル「え、そうなんスか?」
師匠「うむ。まず、体を左右に振る。これは、背骨をまっすぐにするのに良い運動のようじゃぞ。背骨がまっすぐになると、坐るときもシャキッとした気分になる。健康にも良いみたい。それでは、要領を言うぞ。まず両手を上向きにして、それぞれの手の側の膝に乗せる。それから、最初は大きく体を左右に振って、だんだんと振りを小さくしていくのじゃ。で、最後止める。」
カエル「(体を振りながら)へぇ〜、面白い!ケロ。」
師匠「それから、息がはぁはぁしていたりすると落ち着かんし、坐禅には具合が悪いから ... 始める前に深呼吸をして、息を整えておくこと。これは2、3回もやれば十分じゃな。これも、日常から切り離された、坐禅専用の気分を作るのに、ちょっと役に立つ。」
カエル「スゥー、ハァー ... 」
師匠「では、坐禅の実践における要点じゃ ... 坐禅には、大きく分けてやり方が 2種類ある。まずは何らかの目標、というか対象、を便宜上立てるやり方と、あとは最初っから全くそういうものを立てないやり方じゃ」
カエル「う〜ん、目標?対象?ちょっとわかりづらいかも ... ケロ。」
師匠「うむ、そう言うと思っとったぞ。まず、後者の目標を立てない、というやつから詳しく、な。つまり、どういうことか ... 」
カエル「(ワクワク ... )」
師匠「いいか、坐禅では、坐って、そのまんまでいる、ということが最も肝心なのじゃ。つまり、坐っている間、何かしらのものに向かって、働きかけをするということを全くしない。全くじゃぞ。目標がないんじゃ。もう一度言うが、ここが坐禅で最も大事なポイント。前にも話したが、自分の外に何か対象を認めて、それに 向かって求め、騒ぎ回る癖を治めるわけじゃろ?だから、その逆をせにゃならん。じっとして、外も内も見ず、そのまんまでいる、じゃ。」
カエル「はい! ... あれ、でもそうなんスか?坐禅っていうと、雑念を払ったり、無念無想になって、無の境地に入っていくのかと思ってました ... ケロ。」
師匠「カッカッカ!そりゃ世間一般の坐禅に対するイメージじゃな。滝に打たれるのと、どう違うの?なんて聞いてくる輩もおるわい。」
カエル「何もしなくていいんだったら、簡単じゃないスか?」
師匠「ほう、言ったな?じゃあ、試しに今から3分間坐ってみるか?」
カエル「(カップラーメンみたいだなぁ ... )はい!やってみます。ケロ。」
【3分間坐る】
師匠「どうじゃったかの?」
カエル「はい!そのまんま、何もしないように、何もしないように、と気をつけ ながら坐ってたんスけど、なんかいろいろと考えが浮かんできたりして、ああ、 こりゃいけない、何もしないでいなきゃ ... と思いながら坐りました!ケロ。」
師匠「ふむ ... そりゃちょっとマズいな ... 。」
カエル「ええ〜!?そうなんスか?」
師匠「うむ。それだと、何もしない、しちゃいかん、という考えを相手にしながら ... この考えをこねくり回しながら、坐っておるじゃろ。気付いた?これは、ダメ。えぬじーじゃ」
カエル「ガーン ... そうなんスね ...。む、難しい ...。」
師匠「そうなんじゃよ。実は、坐ってそのまんまでいるというのは、単純だけれ ども難しい。そもそも、何もしていないつもりでいて、自分自身で(無意識に)何か妙なことをしてしまっていることなんかが結構あったりして、な。例えば、今のお前さんの、何もしないように意識して坐る、ってやつ。あるいは、上手く坐禅 できてるかな?なんて、自分の状態を気にしてみたりな ... 」
カエル「ほぇ〜。」
師匠「まあ、この場合一番問題になってくるのは、坐っている間浮かんでくる思いじゃな。いろいろと頭に浮かんでくる思いが ... 念ってやつじゃ、これがなんか 邪魔くさく感じられて、追っ払おうとしたり、あるいは、逆に気になって考えごとを始めちゃったりとか。あるいは、念が出てこないところにとどまろうとしたり とか。これはいかんのよ。あくまで、何が出てきても、どんな状態になっても、 邪魔にもせず、相手にもせず、って感じじゃないと。」
カエル「う〜ん。ケロ。難しいなぁ ... 」
師匠「そうそう、けっこう難しいでしょ。だから、ちょっとした道具を使って、 その道具に助けてもらうわけ。」
カエル「道具?」
(つづく)
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