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創作大賞「ドラゴン・シード」#3


3話

 ここに住み始めて以来一度もなかったことだ。
 ジンはそれに驚いて、凍りついたようにただただドアを見つめた。
 少し間をあけてもう一度扉がノックされ、ドアの向こうからジンの名前を呼ぶ声を聞いたとき、弾かれたように慌ててドアを開けた。
「ハイ、ジン」
 こちらの返事も待たずに、女がひとりズカズカと中に入ってきた。
 女は驚くジンの顔を見て「ひさしぶり」と言ってニヤッと笑った。
「ケイト……」
「懐が寂しくなったから、どこかいいギルド紹介してくれないかと思って」
 ケイトはジンが反応を返す間もなく、まるで昨日の続きのようにぶらぶらと壁際の棚に近づいていった。
 そこにはジンが集めた電子部品や何かのガラクタが、無作為に放り込まれた箱が何箱も並べられている。
「ジンならいい情報持ってるだろ?」
「あ、ああ、それならモーグの酒場に……」
「ふーん、行ってみるよ」
 言いながら、ケイトはごついブーツで床をゴツゴツと鳴らし、箱の中の物を手に取っては戻すという無意味な動作を繰り返した。そして、小さな木彫りの千手観音の腕をうっかり折った挙句、そっと元に戻したのをジンは見逃してやることにした。あれはもともと折れている。
「この辺りじゃ一番信頼できるが、おまえが利用してないのは意外だな……」
「そう? 私は馴染み以外で仕事を受けないから」
 ケイトの言葉に相槌を打ちながら、ジンは全く別のことを考えていた。相変わらず、子どものように落ち着きがなくて自分の容姿に頓着しない女だと。
 化粧っ気のない荒れた肌に、カサカサとささくれだった唇。無骨なアーミーブーツに味気ない男物のシャツと、埃っぽいアーミージャケット。そして、雑に結わえられたクセのある赤毛は、今はおとなしく小さな頭に収まっている。整った目鼻立ちに複雑な色味の緑の瞳は、手入れをすれば相当見栄えがするだろうに、本人にはまるでその気がない。

 壊れた次元の狭間から、魔石や他の色々な物とともに紛れ込んだ異世界の亜種は後を絶たなかった。彼らは異質で、まるで何かに怒り狂っているように凶暴で、一部の例外を除けば、どの個体も揃って人間を含むこちらの生物を襲った。それが彼らの餌になったということもあるが、もしかしたら彼らは、自分たちの世界を侵したこちらの世界に腹を立てているのかもしれない。これらに食い尽くされる前に、危険な個体は駆逐するという選択肢をとったのは自然な成り行きだったろう。
 立ち上がったばかりのセントラルは、真っ先に亜種討伐のための軍を編成した。緊急性を伴うということもあるが、人類共通の敵は、復興に向けて人類が一丸となる旗印としてちょうどよかったのである。
 現役軍人や元軍人、被災のせいで職を失った者までもが、居場所を得てたちまち各地で集まった。未知の危険生物の駆逐というミッションは、利権をめぐり人間同士で争うよりよほど神聖な大義名分だ。
 そんな寄せ集めの軍隊の中で、ジンは駆け出しの戦略家として少しずつ実績を重ねていた。
 当時のジンは血気盛んな二十歳の若造で、そんなジンの目の前に現れたのが、当時まだ十六歳のケイトだった。
 十二年前の光景が、鮮やかに目の前に広がった――。


◇ ◇ ◇ ◇

 十二年前───

 第五セクターの外縁部に広がる畜産農家の牧場で、家畜動物に混じって若い娘や子どもが行方不明になる事件が多発した。
 まもなく犯人は青蜥蜴ブルーリザードと判明。
 青灰色の肌を持つ大型のトカゲの亜種だ。尻尾を含む体長は二メートル前後。大きさは人とそれほど変わらないが、人間の内臓を好んで食う。知能が高く狡猾で、何より残忍だった。食うことより狩を楽しんでいる節もあり、人家の玄関先に、見せつけるようにわざと食い散らかした無残な遺体を転がすこともあった。
 大抵は単独で行動したが、ハッキリしたことは分かっていない。普段の生態系はほとんど謎に包まれている。そもそも、研究するには危険すぎるのだ。実際、ジンが関わる前のチームが二つ全滅させられていた。
 誰もが尻込みするこのブルーリザード討伐を引き受けたのは、若干二十歳のジンだった。駆け出しのこの頃、ひとつでも多くの実績を積みたかったのである。
 この厄介な仕事に、かつての傭兵仲間だったゴッシュに声をかけた。彼は鋼鉄の槍や斧を軽々と扱う接近戦の天才だ。
 五人のメンバーを率いてやってきたゴッシュと、早速ブリーフィングに入った。
「今回のターゲットはブルーリザードだって? 厄介な相手だな。どうする新米軍師殿?」
 ゴッシュはジンの若さに顔をしかめる古株達の思いを、わざと代弁してガス抜きをしてくれる。そして、気さくに応じながら、ジンに絶対の信頼を寄せることで、チームのみんなをまとめあげてくれたのだ。
 もしジンが、戦略家としての評価を上げられたのだとしたら、そのほとんどの功績は、ゴッシュのような頼りになる仲間の存在があるからだ。ジンは決してそれを忘れなかった。
「古典的だが、囮を使いたい」
「うん、妥当な作戦だな。俺でもそうする。奴らは狡猾で用心深い」
「そう言ってくれるとありがたい。そこで、ジュールに頼みたい」
 ジュールというのはゴッシュのチームにいるメンバーのひとりで、今年確か十八になる若者だ。小柄ですばしこく、ナイフ使いの名人でゴッシュ同様接近戦が得意だ。彼を女装させて大トカゲをおびき出そうという戦略だ。まぁ、戦略というほどでもない。
「ああ、残念だけど、俺は無理だ」
 そう言って手を挙げたジュールを見て驚いた。
「おまえ、ジュールか……?」
 ほんの二年前まで、女の子みたいだった茶色い髪の小柄な若者は、ジンと同じぐらいの目線で顎の髭を撫でながらニッと笑った。
「ヒゲを剃るのが嫌だって言ってるんじゃないんだぜ?」
「は、これだから育ち盛りってやつは……」
 ジンが苦笑するとメンバーの中で手をあげるものがいた。
「私が行く」
 初顔だった。いかついメンバーの中でひときわ小柄で細身の赤毛は、まだ頬にあどけなさとソバカスが残る十六の小娘だった。
「……君は?」
「ケイト」
 思わずゴッシュに目をやった。ゴッシュのチームはリーダーの見た目通り、昔からガチガチの武闘派揃いだ。それが年端もいかないこんな赤毛の小娘を雇うとは、よほどの事情でもあるのだろうか。
「あー、ジン、心配いらない。ケイトはそこらの男よりよく働く」
「魔術士枠か?」
「いや、剣士だ。早く作戦を教えて」
 ケイトが言った。
「剣士だと? 君が?」
 見ると、確かに日本刀の脇差しを腰に携えている。世界中にある様々な刀剣の中で、およそ日本刀以上のものは世界中どこを探してもないが、短い脇差をメインで使う者に会ったことがない。おそらく、百六十五センチと細身の彼女の膂力りょりょくに合わせているのだろう。そんなところもジンの不安を掻き立てた。
「脇差しなんかで大丈夫なのか?」
 ジンが呆れて声をあげると、ケイトがうんざりだというように言った。 「いつまでこんなクソみたいなやりとりを続けるつもりだ? あんたがゴッシュを信頼してるなら、黙って私を使えばいい。この中で私以上の適任がいるか? それとも、自分の作戦に自信がないのか?」
 遠慮のない物言いに、思わずムッとした。
 そして、ジンのケイトへの不安は、そのまま若いジンに対する古株たちの不安でもあることに気づいた。彼女を軽く見ることは、己を軽んじることと同じだ。そんなことは我慢できない。
 ゴッシュがニヤニヤしながら、さあどうする新米? と無言で圧力をかけている。
 ジンが言った。
「着替えてくれるか?」
 ジンの言葉に、生意気な赤毛が頷いた。
 確かに、囮なら彼女以上の適任はいない。

 広い麦畑の麦は、収穫どきを迎えて黄金に輝いていた。
 しかし、凶悪な大トカゲのせいで、農夫たちは皆、大切な我が子を抱えて、安全なセントラル内の施設に避難している。手塩にかけた農産物の収穫期に、仕事ができない農夫たちのストレスは大変なものだろうが、それ以上に、突然獲物が消え、腹を空かせた大トカゲのストレスも大変なものだろう。
 目立つ赤毛をお下げにして、背中に垂らしているケイトが、ワークシャツにオーバーオールという出で立ちで、麦畑の真ん中でひとり麦を刈っている。そんな彼女はどこからどう見ても平凡な農夫の娘にしか見えない。その平凡さはジンを不安にさせるばかりだ。
 ジンは愛用のコルトを握りしめた。どうしても前線に出ることが少ない戦略家のジンは、遠距離攻撃が可能な銃で訓練を積んでいた。
 火薬と同じように、ビッグクラッシュの余波で、突然変異した人の背丈ほどある豊かに実った麦は、ケイトを守るように配置しているメンバーをすっぽり隠してくれた。本当は、もっと見晴らしのいい広場におびき出せばいいのだろうが、用心深いブルーリザードは引っかからなかったのだ。
「考えたな、ジン。これなら麦が天然のセンサーになって、ケイトに近づくものを知らせてくれる」
 ヘッドセットからゴッシュの声が聞こえてくる。ジンは畑から少し離れたところにいて、上空でホバリングさせて麦畑全体を撮影しているドローンの映像をモニター越しに注視していた。麦畑に何か異変があれば、そこから皆に無線で指示することになっている。
 ケイトの半径二メートルほどの麦がキレイに刈り取られた頃、画像の右隅に、怪しい動きがあった。おそらくブルー・リザードは、その脇を流れる農業用水路を利用して、人目を避けて移動しているのだ。
「二時の方向に怪しい動き。まっすぐ真ん中のケイトに向かって動いている。素早い」
『了解』
 畑の中にいるケイトを含む三人から、次々に返事があった。畑の外で待機していた二人がそれに続く。
 人を喰らうケダモノが、姿もなくザザッと麦穂を揺らせている。真っ直ぐに向かうその迷いのない動きに、わかってはいても全身がゾッと総毛立つ。 「残り十メートル。ケイト、五秒後にほぼ真正面から現れるぞ」
 スコープ越しでもケイトの細い背中が緊張するのがわかった。
 ジンの報告を受け、残りの四人がブルー・リザードの包囲の輪を素早く縮めた。もう気配を隠す必要もない。
 ザザザザッ――
 するとその時、畑の四隅から更に別の波が複数押し寄せた。
 麦穂の間をチラチラと、青灰色の肌が素早く動いてゆくのが見えた。
 ──しまった! 
 ブルー・リザードは一匹ではなかったのだ。
「別の大トカゲが四体迫ってる! 気をつけろ、みんな!」
 無線に向かってジンが叫んだ直後、誰かの短い悲鳴が聞こえた。
「うわ!」
 畑のあちこちで麦穂が不穏に揺れている。
 すぐ混戦状態に陥った。
 ガガッ――
 無線機が不吉な音を立てる。
 倒れた麦穂の中からメンバーに飛びかかる大トカゲが見える。短い悲鳴と怒号。
 凶暴な亜種の雄叫び。
 ケイトが鎌で大トカゲの鋭い爪を受けたのを見た瞬間、ジンは銃を掴んでたまらず畑に飛び込んだ。
 途端に背の高い麦穂がジンの視界の邪魔をする。やっとひらけた場所に出た時、ゴッシュが最後の大トカゲの頭をかち割ったのを見た。
「ゴッシュ!」
 ゴッシュがジンを振り返り、「危ない!」と叫んだのと、紅い何かがジンの脇をすり抜けたのは同時だった。
 ひゅっ!
 驚いて振り向いた次の瞬間、ジンの目の前でパッと紅い焔が燃え上がったのかと思った。
 隠し持っていた背中の脇差しを握り、たった今首を刎ねた大トカゲの頭に片足を乗せ、ケイトが不敵に笑った。
 結んでいた髪が解け、癖のある赤毛が焔のように風になびいている。
「指揮官が前線に飛び込んでくるんじゃないよ。それに、クソトカゲは全部で六匹だ。あんた、まだまだだよね」
 この瞬間、ジンはケイトに囚われた――


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