ChatGPTの出現に思うこと
最近話題のChatGPT。
僕の周りにも使う人が現れ、その便利さをよく耳にする。この出現により多くの職業がAIに置き換えられていく事が加速したことは間違いない。
その未来には人間の仕事のほとんどは単純労働になるだろう。それ以外の労働力の多くは必要がなくなり、多くの人が働かずに生きていくという未来が来るかもしれない。
そこでは労働の駒として動く人間と、欲求に従い与えられたコンテンツをひたすら貪る人間が大量に現れてくるだろう。
果たして彼らは人間なのだろうか。
ハンナ・アーレントの『人間の条件』では社会・政治的な「活動」や趣味的な「仕事」は他者との関わりの中で、その人を人間たらしめるが「労働」は人間を他者を必要としない自分の殻に閉じ込められた動物と化してしまうという。
この「労働」は「消費」とも表裏一体であり、そこにある自分と他者の関係は代替可能な生命力の売買が行われるだけだとされている。
これを現代、そしてこれから来るであろう未来へ目をやるとどうだろうか。
人間の営みは単純労働と欲求に従い消費を繰り返す事が大半になる。また労働さえも必要なくAIが行う経済活動の恩恵を受け、社会保障のみで生きる人間が増えていくなら、ひたすら生まれてくる欲求の奴隷と化した人間がコンテンツをひたすら消費するのみとなるかもしれない。
というよりそうならざるを得ない中で僕はどう生きていけばいいのか。
きっと他者とのつながりの中に生の意味を見出すことができると信じる仲間と共に上記のシステムに飲み込まれないコミュニティを築いていくしかないのだろう。
もちろんその渦に飲み込まれた人間を見捨てる訳ではないし、そのコミュニティを広げていく、あるいは似たコミュニティが築かれていくべきだと思う。
大半の人間がその渦に飲み込まれていく中で、仲間と共に尊厳を守っていく事がそれ以上に大事になってくるだろう。
テックの進化が急速になる時、人間の生活の変容も急速になる。その変化に振り落とされないように仲間と手を取りあい歩んでいくしかない。
僕には溢れるコンテンツをただただ一緒に消費する友達はいないけど、幸いにも価値観を共有し尊厳を認め合う仲間は見つける事ができてよかったなと思います
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