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僕の使い道

 大学生の時、講義が終わるとよく大学の図書館へ行った。それまで勉強なんてした事もなければ、本すらまともに読んだことのなかった僕はそんな自分が少し誇らしくなっていた。

 「なんの生きがいもない人生だと思っていたけれ
  ど、俺だって何かできるかもしれない。」

そう思ったのも束の間だった。閉館の時間になり、借りた本を片手に意気揚々と歩いていた帰り道、

 「グチャ」

僕は何かを踏んだ。

なんだろうと靴の裏を覗くと、そこにいたのは小さな芋虫だった。

これまでの人生にも何度もあったはずの場面。
しかし、その時なぜか僕の頭の中でガタガタと何かが崩れる音がした。

のうのうと人生を歩む僕の足元には、人知れず踏み躙られた無数の命が広がっていて

これから僕なりに必死に生きていく中にどれだけの人や命を傷つけていくのだろう。

一瞬の出来事の中で、これまでの、そしてこれからの僕の人生が全て脆く崩れていった気がした。

 「僕はこんなにのうのうと生きてて良いんだろうか」

今思えばなんでそんな事でと思うし、実際に当時周りの人間にこの話をしたら同じ反応が返ってきた。

でもそんなちっぽけな一歩ですら「生きる」という事は難しい。だからこそ一歩一歩を丁寧に、慎重に歩みたいし、どこへ向かって歩むのかも誤ってはならないのだと思う。

飛行機を発明したライト兄弟の弟、オーヴィルは自らが飛行機を発明した事によって後の世界大戦で多くの命を奪った事についてこう語っている。

  「世界に永遠の平和を残すものをどうしても私
   たちは発明してみたかった。しかし、私たち
   は間違っていた。私は誰よりも飛行機がもた
   らした破滅を嘆いている。しかし、少なくと
   も飛行機を発明した事自体はまったく悔いて
   いない。飛行機とはまさしく火のようなもの
   だ。火がもたらした恐ろしい破滅はことごと
   く恨むが、人類にとって火を使う事を見出し
   たのはまことに素晴らしく、この発見を通じ
   て、我々は何千、何万という火の重要な使い
   道を学んだのだ。」

火や飛行機と同様に、僕は僕の命自体を否定してはいけないんだと思う。

でもそれはのうのうと生きる事とは違う。

火を扱う時はいつも火事や火傷のリスクに気をつけるし、多くの命を乗せる飛行機も機体の点検は怠らない。そしてその使い道が誰かを傷つける事ではあってはならない。

僕も誰かを簡単に傷つけうる事への恐れと、自らの生き方を点検し続ける事を忘れてはならない

そして僕は今、どこに向かって生きているのか。その事を見失わない様にしたいと思う

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