ファスナーとは何か?

今回はMr.Childrenのit’a a wonderful worldというアルバムに収録されているファスナーという曲について話したいと思います。性的な内容の歌詞なので苦手な方はそこらへんご了承ください。

この曲は男女の性行為から人間関係そのものを描き出しています。まず一番で描かれるのは情事があった次の日に君に対して熱が冷めてしまった男です。

昨日君が自分から下ろした
スカートのファスナー 
およそ期待した通りのあれが僕をしめつけた
大切にしなきゃならないものが
この世にはいっぱいあるという
でもそれが君じゃないこと
今日僕は気づいてしまった

きっとウルトラマンのそれのように
君の背中にはファスナーがついていて
僕の手の届かない闇の中で
違う顔を誰かに見せている
そんなの知っている

いきなり直接的な描写から入ります。ミスチルはこういう即物的な感覚が強いです。
そして冷めてしまったということを周り持った言い回しをすることで言い訳するのが桜井先生の常套手段です。これのずるいところではあくまで自分を客観視できているポジションに置けるところです。しかたないんだよっていうポーズを取れるこの方法は極めて犯罪的です。
サビが始まると男は被害者ヅラをし始めます。浅くとらえれば君が他の人とも関係を持っていると読めますが、ここでは広く考えてみます。身体を重ねても君の知らない顔が浮かび上がって来る。そして身体を重ねたからこそ君のことを大切にできないとはっきりと気づいてしまったという風につながるのかと推察できます。

二番は君の帰り際から始まります。

帰り際リビングで
僕が上げてやるファスナー
お座なりの優しさは
今ひとつ精彩を書くんだ
欲望が苦し紛れに
次のターゲットを探している
でもそれが君じゃないこと
想像してみて少し萎えてしまう

もしもウルトラマンのそれのように
全てのことにはファスナーがついていて
僕が背中見せているその隙に
牙を向くつもりでも
信じてみる値打ちは
あると思えるんだ

ここでは性欲をだいぶ露悪的に書いています。でもそれが君じゃないこと〜のラインは男の所有欲と性欲の齟齬を表しているようでだいぶ突っ込んだフレーズだと思いました。また、ファスナーを僕が上げてやるという描写が上手いです。現実のスカートのファスナーには手が届くのに精神的なファスナーを掴むことができないことが暗示されています。
それでは、昨日は君がファスナーを下ろし今日は僕が上げてやる。この対比はなんでしょうか?確かに君は僕とのセックスの中でいくらかは心の鎧を脱いでいて、帰るときに僕がそれを着せてやるのではないのでしょうか。単に二人の関係が不毛であるとは言い切れないことが示唆されています。

三番に入り僕は内省を始めます。

きっと仮面ライダーのそれのように
僕の背中にもファスナーがついていて
何処か心の奥の暗い場所で
目を晴らして大声で
泣きじゃくっているのかも

実は僕にも気づいていないファスナーがあるのかもしれない。心の暗い場所は誰にも近づけないのではないかと僕は悟ります。ミスチルは最初に皮肉的なグロい描写で共感させてから一緒に内省をさせてきます。この構成の作り方がにくいです。

そしてラストです。

きっとウルトラマンのそれのように
君の背中にはファスナーがついていて
僕にそれを剥がしとる術はなくても
記憶の中焼き付けて
そっと胸のファスナーに閉じ込めるんだ
惜しみない敬意と愛を込めてファスナーを

人同士の分かり合えなさ、心の距離に対して惜しみない敬意と愛を捧げる。それを俗的なシーンから繋げていくことにこの曲のポイントがあります。もしかしたらこの二人はワンナイトだったかもしれません。それを下卑た性欲と断罪するのではなくそこに向き合い昇華していく。そのヒューマニズム的な目線が普遍的な響きを形作っています。

どんな人でも少なからず背中にファスナーを持っています。私たちはそれを掴むことができないかもしれません。小さい頃に見たウルトラマンや仮面ライダーの着ぐるみのように舞台の上でそれを外すことは容易ではないです。欺瞞に満ちていると思ってしまうこともあるかもしれません。でも、だからこそ、惜しみない敬意と愛を。

軽い気持ちで描き始めたらそこそこの量になってしまいました。読んでいただきありがとうございます。




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