小説ですわよ第3部ですわよ7-1
※↑の続きです。
黒。漆黒の闇。色のない無の空間に、イチコは囚われていた。身体は自由だ。しかし上下左右がわからない。かといって無重力の空間に浮いているという感覚もない。ここから走り出すために一歩踏ん張るための地面だけがない。奇妙なのは漆黒ではあるが暗闇ではないということだ。肌色の手、黒い髪やジャージ。切るのをサボっていたので、爪の先の白い部分が伸びているのがわかる。
どれだけ、この場所に幽閉されているだろう。時間の概念さえ希薄になりかけたころ、目の前に見知ったシルエットが浮かび上がった。
(バカ殿様! ……の貯金箱?)
声を張り上げたはずだが、いっさいの音が響かない。イチコ自身の記憶が封じられたとされるバカ殿の貯金箱。舞が粉々に砕いたはずの“それ”が目の前に浮かんでいる。
理由を考える間もなく、一体、もう一体とバカ殿の貯金箱がイチコの周囲に次々と浮かび上がった。
「思い出しなさい、我が手足。加勢大周のイデアよ」
聞いたこともない、だが聞き覚えのある声が鼓膜を揺らす。同時に無数に浮かぶバカ殿貯金箱のひとつが砕け散った。そしてイチコは、声の主を思い出す。
(う、宇宙お嬢様……!)
スカラー電磁波の意思の化身、宇宙に優しいギャルメイド。それを統べる、全宇宙の真理と呼ぶべき存在。それが宇宙お嬢様。
「そして思い知るがいいですわ。貴方の叛逆が無意味であることを!」
一体、もう一体とバカ殿の貯金箱が砕け、闇の中へ消えていく。その度にイチコの脳裏に蘇った。叛逆と敗北の記憶が――
「汝の存在は異端だ。あってはならない」
数千、数万、数億、数兆……数えきれない。同じ顔、同じ背恰好をした無数のギャルメイドたちが、白い巨大宇宙――ビッグアヌスで一斉に両腕を組む。
後にイチコと呼ばれるギャルメイドは彼女らと向き合い、両手を広げて背後をかばった。イチコの後方に浮かぶ宇宙の泡。ベースアヌスとも云われ、あらゆるマルチアヌスを産みだす根源。アヌス01である。
「答えよ、恒点観測員07214545号。そして加勢大周のイデア」
この時点で、イチコ――恒点観測員07214545号。アヌス01の監視員――は同じ存在であるはずのギャルメイド軍団と大きな差異が生まれていた。切れ長の目、艶やかな黒い長髪、そして黒いスウェット。全宇宙の統括者に、このような違いがあってはならない。だがイチコは臆することなく、叛逆の理由を唱えた。
「あの世界には、立ち食いそばという概念がある。カレーセットという、かけそばとミニカレーのメニューもある!」
ギャルメイド軍団は、本来ならば容易であるイチコの消滅を行わなかった。意味が分からなかったのだ。これ幸いとばかりに、イチコはたたみかける。
「サッと注文し、サッと提供され、サッと食べる。安いし、それなりに美味しい。この満足感を、あの世界の人類は明日を生きるための糧としている!」
イチコは息を吸い込んでから、最も主張すべき理由を叫ぶ。
「立ち食いそばは、この世で最も純粋な愛だ! 店によっては立ち食いといいながら、着席できることもあるが……そのブレはご愛敬! この愛があれば人類は他者に優しくできる! 例え何千、何万、何億年かかろうと! 立ち食いそばが滅びぬ限り、宇宙が滅ぶこともない!」
対してギャルメイド軍団は、至極真っ当に『今すぐ全マルチアヌスを再構築』する意味を述べた。
「立ち食いそばで、マルチアヌスの増殖を止められるものか! ビッグアヌスはもう崩壊寸前にあるのだぞ!」
これに対し、なんとイチコは反論を用意していなかった。苦し紛れで存続すべき意味を絞り出す。
「ぜ、全マルチアヌスに接続する、宇宙立ち食いそば屋をアヌス01に用意する! アヌス01に全マルチアヌスの民を誘致してから、それ以外のアヌスを消せば、ビッグアヌスの飽和問題は解決するし、誰も犠牲にならない!」
これまで真顔だった無量大数のギャルメイド軍団が、そろって一括した。
「我らが異なる世界を作り出したのは、その宇宙に生きる命の多様性を尊重すためだ。貴様は皆が皆、立ち食いそばが好きだと思いこんでいる! そのエゴで宇宙の再構築が遅れ、崩壊が起きればあらゆる意思が滅びるのだぞ!」
「ぐ、ぐうの音も出ない……だが!」
イチコには最後の手段があった。両手を”パー”に広げ、両手首の内側をくっつける。そのまま腰の右側に持ってきてタメを作る。要するに『かめはめ波』のポーズである。イチコの両掌に青白く光るエネルギー、スカラー電磁波が集約していく。
「な、なんだ、その力は!?」
真顔しかないギャルメイドの表情が驚愕に揺らいだ。イチコは集めたスカラー電磁波をゴルフボールほどの球体に凝縮させる。そして合わせた両掌を前方に突き出す。
「スカラァァァ! サァァンシャ――」
凝縮されたスカラー電磁波が放出されることはなかった。
「なっ!?」
「そんなに立ち食いそばが好きになったのか、恒点観測員07214545号」
ギャルメイド軍団がカッを目を開くと見えぬ斥力が働き、イチコは背後にあるアヌス01へ吹き飛ばされていく。
「や、やはり、私ひとりではダメなのか!」
「汝の記憶と、宇宙に優しいギャルメイドの資格を封印する! 再構築の時まで、好きなだけカレーセットを味わうがよい」
イチコは泡の表面に叩きつけられ、いくつかの銀河を通り過ぎ、土、金、木、水、火星……さらに月を通過し、地球/日本/S県/ちんたま市のカレー屋近くに墜落した。
粛清が終わり、安堵したギャルメイド軍団だったが、そのうちのひとりが素っ頓狂な声をあげる。
「いかん! 時空湾曲が生じた!」
「それがどうした」別のギャルメイドが問う。
「よくわかんないけど2013年と接続されたっぽいぞ!」
「だからなんだというのだ?」
「なんか紫のいかがわしいウネウネ棒が、2013年の時代から1964年に流れたということだ! いいから見ろ!」
「なに? どれどれ……うわぁ!? なんだ、この卑猥な棒は!!」
「これが宇宙お嬢様に知られたら!」
「しーっ! 我らが黙っていればいいだけだ!」
「ですがもし、ウネウネ棒が恒点観測員07214545号の手に渡ったら……」
「確かにこれが、上品な宇宙お嬢様に突っこまれることがあったら……全ビッグアヌスの法則が乱れる!」
「報告しますか?」
「いや、下手に刺激するだけだ。どの道、記憶を奪った恒点観測員には何もできまい」
かくして恒点観測員07214545号は、上羅綾子に拾われ、森川イチコとなったのだった。
つづく。