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小説ですわよ第3部ですわよ7-3

 戦いの構えをとった舞に、ギャルメイドたちが告げる。
「メイド長に相撲で勝て。さすればメイド長は森川イチコに戻り、宇宙お嬢様への謁見が叶うだろう」
 舞がうなずくと、ギャルメイドたちはどこからともなくラインカーを持ち出し、コロコロと転がし始める。石灰で白い円が描かれ、即席の土俵が完成した。
「何度勝負しても構わぬ。一度でもメイド長に勝てばいい。好きなだけ挑むことだ」
 一度でも勝てばいい。ずいぶんと優しい条件だ。実力はイチコが遥に上回るとしても、粘り強く食らいつき続ければ隙を突ける可能性はある。だが罠だと舞は感づいていた。イチコと戦いが長引けば、それだけマルチアヌスの再構築が進んでしまう。つまり実質的にタイムリミットのある戦いだ。
(どんな手を使ってでも、最速でケリをつける!!)
 舞は思惑を悟られぬよう、別の話題をギャルメイドたちに切り出す。
「絶対に邪魔をしないって約束して」
「わかっている。人間にとって土俵は神聖な領域。白いラインの内側は特殊な空間だ。我々は立ち入れぬようになっている」
(なるほどね……ツイてる!)
 舞はギャルメイドの発言から、自分に有利な状況であることを察知した。だが気取られないよう顔には出さず、短い応答に留める。
「わかった。ありがとう。早速始めましょう」
 舞は誠意装備と紙袋を、土俵の領域外スレスレに置いてから中に足を踏み入れる。そして深呼吸して脱力しながら、中央で止まった。同様にイチコも近づいてくる。

 イチコは普段とはまるで違う、威圧的な微笑みを浮かべた。八重歯がなくなっている。
「宇宙の法則とは、必ずしもすべてが完璧ではない」
「……?」
「汝は『特異点の運命を導く者』だそうだが、それは間違いだということだ」
「……そうですね」
 肯定するしかなかった。この1年間以上、探偵社に入ってからずっと舞はイチコに導かれ続けてきた。社会不適合者である舞を受け入れ、その才能を見出してくれた。返送者との戦いでは、イチコが常に最前線に立った。宝屋によってイチコが死んだ(正確ではないのだが)あとも、戦う理由はイチコであった。ウラシマとの死闘も、アビスへの殴りこみも、イチコを取り戻すためだ。ずっとずっと、イチコが歩いた道を頼りなく後ろからついてきただけなのだ。
「運命を導けるなんて思いません。ただみんなで一緒に花火大会へ行きたい。それだけです。でも、それだけのことが全マルチアヌスよりも大切なんです。だから……」
 舞は腰を落とし、両拳を土俵につけた。
「イチコさん、あなたを取り戻す」
「残念だが、ここが私の帰るべき場所だ」
 イチコも腰を落とし、右拳を置く。左拳がついた瞬間、勝負は始まる。舞は思考を捨て、全神経をイチコの手に集中させてそのときを待つ。
「……」
「……」
 イチコの左拳が、金日成広場の花崗岩の石畳を軽く打つ。刹那、舞はシコアサイズと格闘訓練で鍛えた身体を正面からイチコにぶつける! ――はずはなかった。

 舞は後ろへ方向転換すると、土俵際に置いてあった紙袋に目がけて全力疾走する。イチコは追わず、中腰で構え続けている。舞がこのような行動に出ることを、今までの経験から予測していたからだ。舞はお構いなしに紙袋をひっ掴み、中を漁って目当てのアイテムを取り出す。ひとつはイチコを角刈りにするためのバリカン。そしてもうひとつは――
「ああーっ!?」
 観戦していたギャルメイドたちが目をひん剥く。そう、もうひとつのアイテムとは最小サイズまで縮ませた紫のウネウネ棒である。見た途端、ギャルメイドたちは本能的な恐怖で飛び上がる。猫が蛇と遭遇したような驚きようだった。
 ウネウネ棒とバリカンの二刀流。これでイチコに立ち向かおうというのである。
「ふふっ……」
 『二刀流』そして自身の姓『水原』。舞は“とあるスキャンダル”を連想して噴き出したが、すぐに飲みこんでイチコへと距離を詰めていく。

 一方、ギャルメイドたちは冷静さを取り戻し、物言いをつける。
「こんなの相撲ではない! 大体そのウネウネ棒はいけない! 早くしまえ!」
「あのピンク人間は我らの言うことなど聞かん。止めるぞ!」
 ギャルメイドたちが土俵へ押し寄せる。だが土俵際で見えない壁に弾き飛ばされ、ドミノ倒しのごとく一斉にバタバタバタとひっくり返った。
「そ、そうだ、土俵の中には誰も入れないんだった!」
「しまったーっ!」
 ギャルメイドたちが揃いも揃って頭を抱え、その場に座りこむ。
 それを横目に、舞はステップインしてイチコとの距離を縮める。レッドとの訓練で培ったボクシングとムエタイのテクニックだ。だがパンチやキックの射程内ではない。そこでウネウネ棒のスイッチを押し、振り被る。イチコは反応して自ら距離を縮めてきた。鞭となったウネウネ棒の軌道は、イチコ自身がよく知っている。攻撃を無効化するには、懐へ飛びこむのがベストだ。
(かかった!)
 だがこれは舞の誘いだ。ウネウネ棒は鞭状ではなく、竹刀ほどの長さでビンッと固さを保った剣に変化していた。
「なっ!」
 イチコの思考が固まる。同時に舞がウネウネ棒を振り下ろす。力をこめるのではない。武器の重さと舞の自重をそのまま利用するため、全身を脱力させ、筋肉のブレーキを解放する。ホワイトから学んだ武器術だ。
 舞がよく知る森川イチコになら――テスラ缶のブーストがなければ――命中していただろう。だが今のイチコはギャルメイドに片足をつっこんだ存在。人間の反射を超越したスピードで身体をらせん状に捻って回避し、その勢いを利用してコマのように高速回転しながら連続でミドルキックを繰り出す。それはバリカンとウネウネ棒を確実に捉え、舞の手から弾き飛ばしてしまう。
 すかさず舞は次のプランに移る。イチコが回転を止めるタイミングに合わせて突っこみ、左右の手をイチコの両脇に差しこんで抱きしめるような形になる。相撲でいうなれば(もはや相撲とはいえないが)鯖折りの体勢だ。シルバーとの訓練で、何度も何種類も身体に染みつくまでやりこんだ組み付きの展開パターンのひとつである。
 これも単純な実力差でいえば、当然イチコが上回っていた。右足を舞の股下に差しこみ、腰でテコの視点を作り、そのままぶん投げる。変形の腰投げだ。
 舞は敢えて抵抗せず、そのまま投げられて受け身を取る。花崗岩の石畳の上では、本物の畳の上ほどダメージを抑えられないが、それでも腰や背中の一点で衝撃を受けるよりはマシだった。そのままイチコは舞の上に覆いかぶさろうとしてくる。舞は背中を地面につけたまま身体を旋回させながら、膝を突き立て、イチコの両肩を押し飛ばす。両者の間に隙間が生まれた。そこへ舞は両足を差しこみ、イチコの片腕を捕り、身体を捻って下からの腕ひしぎ逆十字固めを狙う。投げられてから淀みなく反撃に移行できたのは、グリーンとの寝技訓練の賜物だ。
 相手が人間ならばワンチャンスあっただろうが、舞が戦っているのは宇宙規模の人間の形をした化け物だ。イチコは腕関節を極められそうになりながらも、単純なパワーでイチコを持ち上げ、さらに地面へ叩きつけた。舞は背中と腰を強打し、瞬間的に呼吸が止まってしまう。イチコはその隙を逃さず、仰向けになった舞へ馬乗りになった。舞はブリッジして跳ねのけようとするが、イチコは上手く重心をコントロールして押しつぶしてしまう。軍団との訓練で身に着けた“まともな攻防手段”は、これで尽きた。
「人間にしては、よく抗った。汝の腕は折らぬ。代わりに心を折るとしよう。二度と反抗できぬよう完璧に勝利する!」
 イチコは全力ではなくコントロールを重視し、舞の頬骨や目元を狙って拳を何度も何度も振り下ろす。舞はアドレナリンでさほど痛みは感じなかった。それよりも、あの強く優しく、不当な暴力を嫌ったイチコが相手をボコ殴りにしていることがショックだった。

 負けてもいい。だけどイチコにこんなことをして欲しくはない。舞は軍団との特訓で得た“まともではない攻防手段”を行使することにした。
「でもあなた、いつぞやの仕事中に野グソしましたよね?」
「……!」
 議論を放棄。主題を逸らし、相手の弱みを突く。ネット上のレスバに勝利する原理原則。ゴールドから教わったものの、人の道を外れた手段。使うまいと決めていた封印を、舞はやむを得ず解いた。S県の西部にある恥部市に潜伏する返送者を追う途中、菓子パンを食べすぎたイチコが腹の限界を迎え、人気のない山道で用を足したことがあった。人間は誰でもウンコを漏らしそうになるし、実際に漏らすこともある。そう理解しているからこそ舞は、この件でイチコをいじったことはなかった。しかし今はそんなことを気にしてる場合ではないのだ。イチコが野グソしたことに触れぬまま、全マルチアヌスが再構成されたら後悔してもしきれない。

 野グソの話を聞き、イチコの褐色に染まりつつある頬が赤らんだ。舞に繰り出されていたパウンド――マウントポジションからの殴打――が止まる。すかさず舞は強く歯噛みする。と、奥歯に仕込んであったコンドームが割れた。水に溶かしたカレースパイスが溢れ、黄色い霧となってイチコの顔面に吹きかけられる。
「ヒィン! アヒンヒン! からぁい!」
 イチコは両目を抑え、のたうち回った。グリーンの暗殺術と、イエローのスパイス調合術の併せ技だ。舞は、のしかかっていたイチコを押しのけて立ち上がる。
「イチコさん。私はずっと、あなたに勝ちたかった。憎いとかマウントをとりたいとかじゃない。あなたに頼りっぱなしの自分を変えたかったんです」
 舞の言葉に、イチコの肌が青ざめた。というより元の白さに戻り始めた。
「み、水原……いっぺ……」
「私は水原 舞です! アメリカの連邦捜査局に突き出すぞてめえ!」
「ご、ごめん、そうだね……我が……ううん、私が知る水原さんは、ずっと強い人だったよ……本当に……ごめん……たくさん心配かけて……」
「違いますよ。気に入らないヤツを“相撲技でシメることしか脳のない私”に、生きる道をくれたのはイチコさんです。だから恩返しをさせて!」
 ネイビーから盗んだ自虐風自慢を混ぜると、イチコの目元を一筋の涙がこぼれ落ちていく。舞が尊敬する森川イチコが戻ってきたのだ。しかしここで舞は追い打ちの手を止めなかった。
(今だ、イチコさんが感動しているうちに!)
 自分でも最悪だと思うが、反省はマルチアヌスが救われてからでいい。舞は人差し指を、イチコの喉元から数cmずれた場所に突き立てた。ブルーが伝えてくれた“つんつん”のツボ、すなわち人体の急所のひとつを刺激したのだ。
「ぐえほっ!」
 イチコが息の混じった声をあげ、完全に動きを止める。舞は最後に、オレンジの系譜を継ぐ珊瑚と、社長である綾子から得た一撃を叩きこんだ。
「宇宙正義ではなく、私たちの正義のため、ギャルメイドと宇宙お嬢様を地獄に落とすわよォォォォォォッ!!」
 拳を握りこんだ迷いなき一撃がイチコの顎を撃ち抜いた。イチコは膝から崩れ落ち、金日成広場に倒れ伏す。
 イチコはビクンと大きく跳ね上がったあと、動かなくなった。顔色は元の白に戻り、カチューシャと前掛けも消えた。舞はイチコを取り戻したのだった。

 ギャルメイドたちはこの事態を全く想定していなかったらしく、口の端によだれの泡を作りながら叫ぶ。
「ど、どんな手段でもいい! このピンク人間をやってしまえ!」
 ギャルメイドたちが目を血走らせ、一斉に舞へ飛びかかろうと跳躍する。だが攻撃はひとつも舞に命中することはなかった。この空間に穴を空けて乱入してきた巨大な船舶が、ギャルメイドたちをまとめて跳ね飛ばしたのだ。
 舞は船の舳先でフラメンコ風のダンスを舞う3人を、よく知っていた。
「チャ~チャララ♪ チャッチャッチャラ~ラ~♪ チャ~チャララ♪ チャッチャッチャラ~ラ~♪」
「あ、あなたたちは……!」
「ギャルメイドたちは私たちが引き受ける。どうも私は『特異点の近似存在である田代まさしの近似存在』らしいから、なんとかなるはず!」
「渡部さん、愛助! それに!」
 3人組の中央に立つ、ウェーブのかかった髪の美人がピタッとダンスのラストで動きを止めた。
「マサヨさん!」
「ぬ~ぼ~♪」

つづく。