【日記】私が一文字 隼人になった日

 酒を飲んでいたら、素晴らしい思い出が急によみがえったので備忘録として記します。
 かなり昔のことなので、正確には覚えていません。私が勝手に想像で補完している部分もあるでしょう。

 今から三十数年前。
 幼稚園に通う前か、通いたてのころでしょうか。
 私は母に連れられ、近所の公園で遊んでいました。

 おそらく一番好きだった砂遊びをしていたのだと思います。
 夢中になっていると、背後、それも高いところから声が飛んできました。
「ショッカーめ、どこに隠れた!」
 ショッカーとはTV番組『仮面ライダー』に登場する敵組織です。リアルタイム世代ではありませんが、レンタルビデオや再放送などでライダーにハマっていました。
 ですから「ショッカー」という単語を聞けば、胸を躍らせぬはずがありません。

 公園は坂道の中腹にあるためか、大きな高低差があり、上層部と下層部を繋ぐように大きな滑り台、そして階段があります。
 謎の声に振り返った視線の先……階段を上り切ったところに、私と同じくらいの歳の男の子が立っていました。それは僕が知っているようで、まったく知らない存在でした。
「俺の名は本郷 猛ほんごう たけし
 名乗りながら、男の子が階段をゆっくりと降りてきます。彼の本名でないことは明らかでした。なぜなら本郷 猛とは『仮面ライダー』の主人公、仮面ライダー1号に変身する青年の名前なのです。
 私は最初こそ驚きと困惑がありましたが、すぐに男の子が本郷であると受け入れました。仮面ライダーが好きだったからだけではありません。彼の髪はボリューミーで首元あたりまで伸び、少し横にハネていました。そして目つきは鋭く、どこか遠くを見ているようでした。その佇まいは、まさに本郷 猛だったのです。

 本郷は使命感と、そこはかとない・・・・・・・孤独を漂わせながら、階段を下り切りました。そして砂場に歩みを進め、低音を絞り出すかのような声で、私に囁いたのです。
「そうか。キミが、一文字 隼人いちもんじ はやとなんだね」
 私の胸は電撃で貫かれたかのように高鳴りました。
 いきなり話しかけられたからではありません。
 本名にかすりもしない名を呼ばれたからでもありません。

 少し脱線させてください。私がなぜそれほどまでに興奮したのか、できるだけ簡潔に説明いたします。詳細は「仮面ライダー 主役交代」などで調べてください。
 まず一文字 隼人とは、本郷と同じく『仮面ライダー』の登場人物です。そして仮面ライダー2号の正体でもあります。諸事情で本郷/仮面ライダー1号を演じる役者さんが番組に出演できない緊急事態が発生し、急遽登場したキャラクターが一文字/2号なのです。つまり主役ヒーローの交代があったわけです。
 この件について、ファンとして語りたいことは無数にありますが……なにより重要なのは「本郷 猛一文字 隼人のファーストコンタクトは、当時の劇中では描かれていないこと」です。先に記した通り、緊急事態によって主役交代劇を描写することが難しかったためです。

 ここで話を戻します。
「そうか。キミが、一文字 隼人いちもんじ はやとだね」
 本郷を名乗る男の子が言ったセリフの意味が、おわかりでしょうか?
 そう、彼は劇中で描かれていない本郷と一文字の出会いを、ごっこ遊びで補完しようとしていたのです。

 私は、おそらく人生で初めて敗北感に打ちのめされました。
 彼の知識と、熱量と、仮面ライダー愛に。
 同時に、身体の奥底から得体の知れないパワーが沸き上がるのを感じました。
「彼が本郷であり、彼が私を一文字と呼んだならば、私は一文字 隼人なのだ」と。

 私は一番好きな砂遊びをやめ、立ち上がりました。幼少期から猫背だったのですが、このときは一文字のように背筋がピンと伸びていたでありましょう。私は胸を張って応えました。
「そうだ。俺は一文字 隼人」

 ここから先の記憶は全くありません。どんなに頭の中をほじくり返しても、よみがえらないのです。本郷と一文字はどのように信頼し合い、ショッカーと戦うに至ったのか。本郷を名乗る男の子とは、どのように別れたのか。彼は何者なのか。そもそも、この思い出は何かの間違いではないのか。

 疑問は尽きませんが、どうだっていいのです。
 大事なことは、ただひとつ。
 あの日、あのとき。彼は本郷で、私は一文字であった。
 それだけでいいのです。

 ここまで書いて、思うことがあります。
 私はあのとき彼と紡いだ物語を、なんらかの形で再現したいのかもしれない。あるいは彼のストーリーテリング能力を超えたいのかもしれない。そのために物語を作る仕事に就いたのかもしれないと。