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小説ですわよ番外編ですわよ6-3

※↑の続きです。

 幾つもの鉄靴が石畳を踏み鳴らし、悪魔の棲み処を前に立ち止まる。治安維持部隊の隊長は戦いを予期し、右拳を左胸の鉄プレートに押し当てた。
「輝ける剣に誓って」
 率いてきた部下も隊長に続く。輝ける剣マサルシ――世が乱れしとき、混乱を沈めるべく初代国王が神から授かったという聖剣。騎士団の力の象徴――に命を捧げたのだった。

 『チャンコダイニングMAI』がオープンしてから1カ月。その間、委員会による襲撃が行われなかったのは、この国のシステムに穴があったからだ。
 店や商品がチャンコすなわち神の名を冠するには、教会の認可を得る必要がある。勝手に神を名乗ることがあれば、市中引き回しおよび火炙りの刑に処される。それは近年に宗派が統一されるまで、珍しくない光景であった。その恐ろしさを国民は身をもって理解しており、現在では罪を犯す者は皆無だった。
 しかも認可申請の手続きはとても簡単だ。誰もが羊皮紙一枚の書類に判を押せば、よほど反社会的であるか神を侮辱する内容でない限り、認可が下りる。読み書きができずとも、教会か役所の受け付けに相談すれば担当者が10分ほどで書類を代筆してくれる。
 なのでチャンコダイニングMAIがオープンしたとき、誰もが教会の認可を得たのだろうと当たり前に信じていた。委員会はおろか、教会でさえ疑わなかったのだ。今どき命知らずのバカはいないだろう、と。
 だが盲点だった。バカはいた。

 三つの大鍋が煮えている。舞とイチコは今日も、昼からの営業開始に向けて料理の仕込みにいそしんでいた。
「イチコさん、キャベツってまだあります?」
「あるけど足りなくなりそう。今朝買い付けにいったけど、今年は不作であんまり出回ってないみたい」
「じゃあ、ひとまず今日はレタスで代用しましょうか」
「あいよ~」
 店は現代で例えるならテニスコート2面分ほどの広さだろうか。石造りの建造物は経年により色あせてはいるし、内部を支える梁は半分ほど煤けているものの、堅牢を保っている。舞たちが一から建てたのではなく、譲り受けたものだ。
 ふたりはシコアサイズを布教する中で、ある老人と仲良くなっていた。彼は長年、食堂を兼ねた酒場「ヤオチョー亭」を営んでいたが腰を悪くしていたという。シコアサイズを習うことで不自由なく歩けるようにはなったが、老いには勝てなかった。目がかすんでレシピが読みにくく、手は震えて切った材料が不ぞろいになる。夕方ごろになると強い倦怠感に襲われ、深夜まで営業することができない。妻には先立たれ、娘はよくわからない男と駆け落ちしてしまった。
 そこで老人は舞たちに店を託すことにした。シコアサイズを教えてくれた礼というのが建前であったが、深い理由は彼自身にも言語化できない。とにかく気持ちのいい人間だと思っていた。ふたりが異世界から来たであろうことは、浮いた雰囲気からなんとなく理解できる。今まで何人もの異世界人と接してきたからだ。しかし舞たちが他と違うのは「自分たちを特別だと思っていないし、特別な何者かになろうとしていないこと」だ。ただただ、今このときやれることに力を尽くしている(舞に関しては後先考えずチンピラと喧嘩するので不安だが)。だから老人も舞たちへ、普通に接することにした。行く当てのない善良な若者に金を稼ぐ手段と、寝泊まりできる場所を与えたのだ。

 店の2階には部屋が三つあり、ひとつは老人(と亡き妻)の寝室、隣に家出娘の部屋、一番奥が物置きとなっている。当初、老人は娘の部屋と物置を、舞とイチコそれぞれに与えようとした。だが舞たちは「いつか娘さんが戻ってくるかもしれない」と、物置きを整理してふたりで寝泊まりすることにした。
 老人は漂うスープの香りに読書をやめ、1階へ降りていく。大鍋をかき混ぜる舞と、レタスを刻むイチコが揃って挨拶してくれた。
「あ、おはようございます!」
「おはよ、じっちゃん! 味見してくんない?」
 老人は舞たちに促され、スープをひと口含む。団子状の鶏肉、白身魚、キノコ、各種野菜から溢れた旨味と塩だけのシンプルな味付けは悪くなかった。老人が聞いたところによると、舞たちはこのスープを「ちゃんこ鍋」と呼んでいるらしい。厳密にいうとリキシなる闘士の食事全般を「ちゃんこ」といい、彼女らが作っている「ちゃんこ鍋」は、代表的なちゃんこのひとつに過ぎないらしい。
 かつて老人の店の名物であったクリームシチューとは別物であっさりし過ぎているが、これはこれで良いと老人は思っていた。この国の民にとって「チャンコ」とは神を意味する。つまりこの料理は「神スープ」となる。それだけ聞くと大げさに聞こえるが、神とは人々の生活をいついかなるときも見守ってくれる者だ。シンプルだからこそ毎日食べても飽きない味は、神に通ずるのかもしれない。

 だから――舞たちが神の名「チャンコ」を冠する許可を得ていないと知っても、彼女たちを冒涜者だとは思わなかった。
 店の扉を蹴破り、治安維持部隊が雪崩れこんでくる。部下をかき分け、隊長が告げた。
「貴様らは神を騙る大罪人だ! 市中引き回しおよび火炙りの刑に処する」
 目を丸くする舞とイチコに、隊長が申請の不備が理由であると丁寧に教えてくれた。
「いやいや、ちゃんこっていうのは食事のことでして……」
「あ、でもさ~、相撲も神事だよね。女は土俵に入れないとか何とか」
「イチコさん! ややこしくなるから!」
「ハハーッ! そういえば水原さん、地元のちびっこ相撲に入団断られてなかったっけ?」
「あれは女だからじゃなくて、年齢の問題なんですよ! ああもう、グチャグチャじゃないですか!」
「ハハーッ、ハッ!」
「貴様らーっ! なにをヘラヘラしとるか!」
 舞とイチコは隊長にたしなめられ、大人しく罪を受け入れた。抵抗したい気持ちはあったが、恩人である老人に治安維持部隊とやらの矛先が向くのを避けたかった。だが裏腹に老人は叫んだ。
「わしは気にするな! こんな奴らぶちのめして、隣の国へ逃げこめ!」
「じっちゃん、でも!」
「わしは知っとる。お前ら大人しくしとるが、本当は元の世界に戻りたいんだろ! ここで捕まっても死ぬだけだ!」
「じっちゃん……でも私たち大人しくしてないよ! アホシネ街道で悪党相手に強盗しまくってたの、私たちなんだ!」
「イチコさん、今は関係ないでしょうが!」
 舞とイチコが揉め始めたのに痺れを切らし、治安部隊が武器の切っ先を向ける。老人は階段を駆け上がりながら、さらに叫んだ。
「安心せい、わしには秘蔵の武器がある! お前らはお前らで戦え!」
 治安部隊の騎士が老人を追いかけようとしたので、舞が咄嗟に張り手をかまして階段を防いだ。イチコはいつもの癖でジャージの下に忍ばせたウネウネ棒を引き抜こうとしたが……この世界へ転移した際に失くしてしまったことを思い出し、素手で騎士たちを殴り飛ばした。

 こうなれば隊長も覚悟を決めてるしかない。
「殺せ! 殺せぇぇぇっ!!」
 叫ぶや否や騎士たちがイチコめがけて飛びかかる。だがイチコは中段回し蹴りの一閃で、騎士をまとめて薙ぎ払ってしまった。
 残されたのは隊長のみ。舞が階段から、イチコが目の前で仕掛ける機をうかがっている。この時点で隊長は敗北を悟っていたが、戦わないわけにはいかなかった。愛する家族を守るためには敗戦必至の状況だろうと、ひたすら剣を振って活路を見出すしかないのだ。隊長が鞘から抜いた刀身がギラリと生命のしぶとい輝きを放つ。しかしあっけなくイチコが隊長の手首を掴み、合気道の小手投げの要領で地面に叩きつけた。
 もう終わりだ。隊長は恥も外聞もなく喚く。
「お前ら……お前らさえ現れなければなあ、私たちは平穏に生きられたんだよ! クソがぁ……うわああああっ!」
 さすがに舞とイチコは申し訳なくなり、申請の不備を詫びる。
「ごめんね、隊長さん。本当に知らなくって」
「今さら遅いよ! わあああん!」
「でもこれだけは信じてください。私とイチコさんは、この世界の神を騙る気なんてありません。このチャンコダイニングMAIだって、元々は花田 勝 氏はなだ まさる しが経営していた店をパク……オマージュして……」
 花田 勝はなだ まさるとは元横綱の若乃花の本名だ。同じく平成の名横綱である貴乃花の兄である。若乃花と貴乃花は『若貴兄弟』として一大ブームを築き上げたものの、兄弟仲は良好ではなかった。象徴的なエピソードとして貴乃花が若乃花を「花田 勝 氏」と他人のように呼んだことがあげられる。
 この件は本来ならば、舞たちに起こっている出来事とは何の因果もない……はずだった。

「マサルシだって!?」
 隊長がイチコに抑えつけられていた手首を跳ねのけて立ち上がる。
「隊長さん、知ってるの!?」
「知ってるも何も、我が国に伝わる聖剣だ! 貴様らこそ、どこで聞いた!」
「松村邦洋が貴乃花のモノマネで『花田 勝 氏はなだ まさる しはですねぇ』って言ってたから」
 当たり前だが、話が噛み合わない。舞たちも治安維持部隊も戦いを止め、マサルシについての情報共有を行った。
 かつて異教徒がこの国を侵略すべく、暗黒より悪魔を召喚した。そのとき神が降臨し、後に国王となる勇者へ『淫靡な紫の輝きを放つ聖剣』を託した。その剣の名こそマサルシ。そして勇者はマサルシの光で悪魔を討ち払い、この地に平和をもたらして国を築き上げた。聖モーニングブルードラゴン王国の創世神話である。
 しかし聖剣マサルシは初代国王の時代、邪悪な魔法使いに奪われてしまったという。代々の国王はマサルシを奪還すべく、何人もの優れた騎士たちを派遣したが、ついぞ発見には至らなかった。今ではマサルシの存在はあくまで神話であり国力の象徴に過ぎないと、民はおろか国王でさえ認識している。だが現国王は隣国との戦争や、内乱を沈めるべく、伝説の聖剣を欲していた。

 そのマサルシは老人の娘の部屋からあっさりと発見された。
「見い! これが、わしの最後の武器じゃあ!」
 老人が掲げたのは剣ではなかった。しかし逞しく太い棒は、ウネウネと蠢きながら紫の淫靡な光を放っていた。なぜ発光しているのかは謎だが。
「「あっ、ウネウネ棒!」」
「せ、聖剣マサルシ!?」
 舞とイチコの叫びが重なるのと、隊長が血相を変えるのは全く同じタイミングだった。ウネウネ棒については老人が「また聞きだが……」と付け加えたうえで話してくれた。
 数十年前、老人の娘と謎の若者が恋に落ちた。若者は見すぼらしい恰好をしていたが、どこか高貴な雰囲気が漂っていたという。若者は「自分こそ、この国の正統なる後継者」と娘に語っていたそうだ。老人は若者がマサルシを継ぐ王家に連なるものではと考え、しばらく家に匿うことにした。だがあるとき家に帰ると、若者がマサルシ=ウネウネ棒で娘を悦ばせている場面に遭遇し、追い出してしまったらしい。

 ここで治安維持部隊の隊長は「敵意はない」と両手を挙げながら、事態の解決策を提示してくれる。
「国王陛下に謁見できるよう、私が取り計らう。貴様らは陛下へマサルシを献上し、救世主であることを主張するのだ。さすれば罪は消え、救世主審議委員会の魔法使いに助力を得て元の世界へ帰れるかもしれん。ご老人は娘と駆け落ちした男の情報提供を」
 舞は悪くない条件だと思ったが、イチコは即座に却下した。
「ウネウネ棒は、もうひとつの相棒なんだ。渡せないよ」
 イチコがアヌス01に転移したときから肌身離さずもっていた武器だ。舞も何度となく助けられた。なによりイチコの正体を知るための数少ない手がかりである。
「ならば致し方ない。この状況で勝ち目はないが、貴様らを倒しマサルシをいただく!」
 隊長は剣を構え直し、表面的には騎士の矜持を示したものの、後悔しかなかった。ここで背信者の女どもに敗れれば、約束された家族の幸福は泡となって消える。息子が家族を支えてくれることに託すしかない。
 舞たちも探偵社で多くの人間と関わった経験から、隊長が善良な人間であることは察知していた。かといって殺されるわけにはいかない。

 不毛な戦いが火蓋を下ろす寸前、店の間で聞きなれたブレーキ音が響いた。直後、扉を失った店の入り口からオレンジジャージの少女が現れる。
「イチコさん、水原先輩! 探しましたよ、もう! 社長がカンカンですから早く帰りましょう」
「し、七宝さん!?」
「いや、でもウネウネ棒を渡すわけには……」
 七宝 珊瑚は舞とイチコを店の外まで引っ張り、ピンキーの後部座席に押しこむ。
「ウネウネ棒は後日、社長が回収しにきます。とにかく今は帰りますよ」
 珊瑚は運転席へ乗りこむ前に、老人と隊長に深々と頭を下げる。
「うちの世界の者がお騒がせして申し訳ございません。のちほど上司が事態の収拾に参りますので!」
「あ、ああ……達者でな」
「承知した……」
 突然のことに老人も隊長もポカンと口を広げるしかなかった。発進するピンキーの車内から、舞とイチコが老人に手を振る。
「短い間ですが、お世話になりました!」
「じっしゃん、元気でね! 毎朝シコアサイズを欠かさずに!」
 ピンキーは急発進、急加速すると車体の底からガスを噴射し、上空にあいた異次元の穴へと飛びこんで姿を消した。

 その後、舞たちは社長室で綾子から説教と説明を受けた。国王がマサルシ=ウネウネ棒の輝きを示したことで、内乱も隣国との戦争も一時的に終息。老人の娘をたぶらかした男は、暗殺されたといわれていた初代国王の長男の子孫であり、この男が次期国王に決まったという。男は老人の娘を妃に迎え、老人共々幸せにくらしたそうだ。治安維持部隊の隊長もマサルシ発見の功績を認められ、大量の金を得て田舎でのんびりと隠居生活を送れることになった。
 そしてウネウネ棒だが……舞たちより昔の時代に転移し、天然の魔力が集まる場所へ突き刺さっていた。その魔力を蓄えて発光し、聖剣と呼ばれるにようになったらしい。綾子はこの聖剣を模したレプリカを作成し、本物のウネウネ棒とすり替えて回収してきた。
 オリジナルのウネウネ棒をぶんぶんと振りながら、綾子が舞とイチコに冷たい視線を向ける。
「なにか言うことは?」
 舞とイチコは顔を見合わせ、声を揃える。
「「ちゃんこは部屋で食うものです」」
 すかさず綾子は舞たちの頭頂部にウネウネ棒を振り下ろした。
「それ松村邦洋のネタで、貴乃花本人は言ってないでしょうが」
 その日、事務所のみんなで集まって、ちゃんこ鍋を食べた。

 完