見出し画像

価値観の違い:買い物の終わり方

趣味=妻と言っていたのに、サインを見逃し過ぎて「離婚したいからお金と親権の話をしよ」と三行半を突き付けられた”まだ夫”です。離婚話のショックから立ち直るまでの話です。ちなみにまだ離婚には至っていないです。

「気に入っているのに、なんで買わないの?」

離婚の原因の1つに価値観がある。かくいう私たち夫婦も価値観の違いがあった。その1つが ”買い物の終わり方”だ。
違和感を持ち始めたのは義母から言われた一言だった。
冬のある日、地方によくある大型ショッピングモールに妻の両親と私たち家族で出かけていた。
クリスマスの近いので子供に何か買ってもらおうと思っていた。
子供のおもちゃを見るついでに、各々好きな店舗を見てながら歩いていた。とある店舗で私は好きなデザインのMA-1型のアウターを見つけた。
サイズも色も好みであったが値段は少々高い…。
買うか悩んだが子供がおもちゃを見たいと言い始めたので、トイザらスに行くことにした。
義両親は、孫に少しでも気に入られようと大きなマインクラフトのLEGOを持ってきたり、公園で遊べるようなボールやラケットなどを持ってきていた。
ただ私はさっきのMA-1が忘れられず、義両親と妻と子供を置いて店舗に向かった・・・試着する・・・やっぱりいいな。と思いながらもトイザらスに戻る。
妻たちにやっぱりよかったよ!と伝えると妻に「・・・で買ってこなかったの?」と。
気に入ったけれど、他にもコート持っているから出番も多くないし必要ないいでしょ。
義母「戻って試着するほど気に入っているのに、なんで買わないの?」
うーん・・・必要じゃないしクローゼットに余裕もないんだよな。
義母「買ってあげようか?クリスマス近いし」
ここでの会話が価値観の大きな違いだったことに気付いたのは、数年たってからだった。

妻と私で買い物の終わるタイミングが違う

物を買うことの考え方が妻と私では真逆だった。
どちらが正しいということはないが、ただ真逆だった。

妻は「買ったタイミングで終わる」

妻の買い物は購入したタイミングで終わる。
1万円の服を買うことは、1万円を支払ったら終わるのだ。
買った時点でプラスマイナス0となる。なので1回でも使ったらプラスになる。
使えば使うほどプラスになる計算だ。
だから値札のついたままの服やバッグがクローゼットにあっても、なんとも思わない。むしろ物がたくさんあるのは豊かな証とも思っている節がある。

私は「手放したタイミングで終わる」

一方、私の買い物は物を手放したタイミングで終わる。
1万円の服を買ったら、そのあと何回着たかが重要になる。
1万円の服を100回着たら、1回100円と計算をする。
実際には1着1着を計算しているわけではないが、買うときにはどのくらい着るか?は毎回考える。たくさん使わないと損をしたと考えている。
物を捨てる、プレゼントするなど、私の手元からなくなったら終わるのだ。
欲しいから買うというよりも必要だから買うが強い。

物は使ってなんぼ

物は使ってなんぼの世界なのに ”買ったまま使わない” ことが理解できない。
似た服を買うなら、古い物を捨てる。もしくは新しい物を買わない。
デザインが古いなら捨てる。今のデザインの物を買う。それをたくさん着る。
タンスの肥やしになんかしてあげない。クタクタになるまで着ることを心掛ける。

嫌味に聞こえていた「どんなの買ったの?」

妻は服をよく買う。出張に行くたびに買ってくる。
帰ってくるたびに、どんなの買ったの?と聞くと
「セールで安かったの」「向こうが思ったよりも寒くて」を買った理由を話してきた。
理由というよりも言い訳のようの響きが含まれていた。
どうやら私の聞き方が悪かったようで、私の質問は嫌味に聞こえたようだった。
妻が稼いだお金なのだから「かわいいでしょ!」「限定品なの。いいでしょ!」「ついつい似たのを買っちゃった」って言われたら、今度は私の分も買ってきて!と言えたのに・・・
だんだん「買い物好きなのに悪いことをしてるように感じた」となりコソコソと買うようになっていった。

こういう価値観の違いから少しずつ不満を募らせて、溝が広がっていったんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?