世界で最も美しいもの

私が思う、この世で一番"美しい"と評されるに相応しいものは「世界や人のために役立つことを身につけたり努力を続ける姿」です。

年始に石川県の災害、羽田空港の事故、山手線での傷害事件などが続き、今年こそ明るい年にと誰もが思っていたタイミングにふさわしくない鬱々とした日々になってしまいました。

私はといえば、数年前までならボランティア募集を探し民間団体受け入れが始まったタイミングで行くことができたけれど、いまは自分の生活のために休むことができず、ただただSNSの災害対策情報をリツイートすることしかかないません。

お正月くらいは特番をみて何も考えず過ごそうと思った人々のなかに、死にたい気持ちを後押しされてしまう人がいるのではないだろうかと不安になります。こんな時に助けてほしいと言うわけにいかないと自分の苦しさを押し殺すことをせずに、迷わず二人以上のひとに相談してみてほしいと願います。肉体的に助からない状況になってしまった災害や事故にあった人達の供養の意味でも、ぜひ人に話してみることを忘れないで下さい。

冒頭の話にもどって"美しさ"ということについてですが、人が人を快くしたり励ましたりするには、究極的には秀でた部分や努力をみせるか、誰もが喜ぶことをするかの二通りしかないと思います。けれど私はもう一つ、「世界に貢献したり努力している人を応援する」ことも、人間の持ち得る美しさなのではないかと思いました。

日本に災害や事件事故がおきても、なにもできない。ただじっと事の成り行きを見るだけの無力な自分。自己嫌悪に陥ることは何も責められるべきことではなく健全な心の動きですが、そこで何か行動するときに「足を引っ張る」ことを選んでしまうのは、全く美しくない行為だと思います。そしてそういうネガティブな行動は、それをした人の顔つきも変えていきます。

いま被災地支援にあたっている自衛隊や赤十字社等の公的支援団体は、それぞれが非常時にそなえ日々鍛錬を重ねて努力してくれているおかげで、その頭脳や身体的能力をもって人々の助けとなっています。箱根駅伝のランナーたちも同じく、努力の末に手に入れた走者メンバーとしてリレーを続ける姿を通し、被災地にいてなんとかテレビは見られる環境にある人の心を励ましたことでしょう。医療や国防、研究、スポーツといった特別な努力が欠かせない分野で、能力を発揮し仲間と協力しあう姿は堂々とした気迫をまとっていて、他のものに代え難い美しさを感じさせられる人が多いと思います。

私たちができる重要なことは、上記のように許可された場所で働く人々や車両の邪魔をしないことと、そういった行動が賞賛に値する美しいものであることを認識して、祈ったり支えたりすることです。それをなんの疑問もなく行える人の、見守る顔つきは、とても澄んでいて輝いていると思います。

私がこの正月に一番笑顔になれたのは、被災地に心を向けながらも、小さな自分の無力な思いを共有するような一般の方のSNSでした。自分の劣等感や無力感を超えて人を讃えることができる人は、この重く暗い雰囲気に支配されてしまった日本において必要とされている美しい人だと、私は思いました。

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