助け合い

世界が「助け合える人が得をする社会」か「わるい方法ででもお金を持った人が得をする社会」の二択だったとしたら、あなたはどちらを選びますか?

私はもちろん助け合える人に良いことのある社会であってほしいし、そうでない方を選んだとしたら、戦争ばかりが増える未来になってしまうと思います。

もちろんいつでも誰でも助けようというわけではありません。助けてほしいと言いながら、だまそうとするようなヤカラも存在する限りは、緊急性がなければ助けるべき相手なのか慎重に判断する場面もあってよいはずです。

日本人は特に"世論"に影響されやすく、偽善は悪だというような最近のSNSの"根拠のない風潮"によって、まるで自分の資本のためだけに生きることが良いかのような価値観がうまれつつありますが、「偽善さえなくなる社会」を想像してみれば、それこそが諸悪の根源でしかないことにすぐ気が付くでしょう。

"偽善"とは「持続可能な社会づくりへの貢献」に近いものであって、"偽善行為をすると気分がいい"ということは「健全に成長する社会に貢献できる人格である」ということなのだから、むしろ正々堂々と胸を張ってアピールしていくべき長所ではないかと思います。そういう性格の人間こそが、これからの日本にとって必要になる人々と言って間違いありません。

偽善のできる人と反対に自己愛だけが強い人種は、利己心に恥や迷いを感じることがないぶん、まるで自分たちの「偽善は悪い」という考えが正論かのように発言し支配しようとします。それに対抗するためには、「偽善や善行のできる人間こそが社会に必要とされる存在であって、それを阻害したり嫌がらせする人間は矯正または教育、隔離などの対応を適宜考慮していくべき」という考えを強く持って生きて行く必要があるのではないでしょうか。

私たちだけでなく今後の日本を担う世代に、同じような苦労をさせないためには、かつての人格者や偽善者が権力を持っていた時代の価値観を取り戻すほかに道はないと、私は思いました。

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