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ドラゴンボールの骨子はセル編にある

この記事結構長いです
約26000字あります
時間がない人は目次の最後の人間力
の項目だけでも見ていってください
構成的には最後の部分先に読んで後から
他の部分読んでもらっても大丈夫です


 ドラゴンボールでは何編が一番好きか。ファンにとってこの質問はよく挙げられる。

 私もSNSやリアルでの人間関係を通じてドラゴンボールの話題なると必ずこの質問をした。

 多かった答えはやはりフリーザ編であった。これには納得する他ない。この記事で語らずとも多くの人がフリーザ編の面白さは理解していだろう。ドラゴンボールといえばフリーザ編! という認識の方もいるだろう。

 魔人ブウ編が一番好きという答えもあった。あとは意外にもピッコロ大魔王編という答えもあった。

 大魔王編は冒頭からクリリンの死亡する。ウパの父親などとは違う悟空と関わりの深いレギュラーキャラの死亡から始まり、作品の空気感がそれまでとはガラッと変化するのだ。大魔王編全体に漂う不穏感や緊張感、そしてピッコロ大魔王の強さなどには、後の「Z」の片鱗が垣間見える。

 納得がいかなかったのはセル編という答えが自分の想像してたよりも少なかったからである。私は冒頭の質問をされればセル編と即答する。

 フリーザという作品を代表する名悪役が登場し、前半は複数の勢力が入り乱れるボール争奪戦、後半はギニュー特戦隊やフリーザの形態変化などのインフレバトルの果てに伝説の超サイヤ人がする。フリーザ編はどこを切り取っても面白い。ずるい。

 ブウ編もバトル以外の魅力がある。7年というドラゴンボールの中でも最も長い年月がセル編から経過し、その間のZ戦士たちの色々な変化は本当に衝撃的であった。

 アニメではオープニングも変わった。ブウ編序盤の新シーズン開幕感はそれまで積み重ねられたキャラたちへの愛着もあり、無性にワクワクしながら読んでいた。ドラゴンボールZの最高視聴率をとった回は悟飯がグレートサイヤマンだとバレる回だ。

 そしてブウ編は原作で最後の長編である。ドラゴンボールという物語に決着をつけるにはブウ編の存在が必要不可欠なのだ。ラディッツが地球に襲来してしまった以上、悟空とウーブが共に飛び立つ以外の締めくくりでは駄目なのだ。

 王道のフリーザ編、有終の美のブウ編、ではセル編とは何なのか。ただの中継ぎなのか。それは違う。


今でも全然通用するキャラデザ

 セル編無くして今のドラゴンボールのシリーズの姿はない。そう言っても過言ではないほど、セル編はドラゴンボールというシリーズ、特に「GT」や「超」、後に控えてる「DAIMA」において核となっているエピソードだ。

 ドラゴンボールのパブリックイメージ、ドラゴンボールをそれほど知らない、もしくは読んだこと、見たことはあるが一度きりという人たちにとって、ドラゴンボールという作品のイメージ、どういう絵面が思い浮かぶか。それを作るに当たって、セル編の果たした役割は大きい。こればかりはフリーザ編にもブウ編にもできない、セル編ならではだ。

 この記事ではセル編がいかに素晴らしく、ドラゴンボールというシリーズの中でなくてはならない存在なのか、ということを語っていく。最後までお付き合いいただければ幸いです。


早すぎるロケットスタートと短すぎるインターバル、バトル漫画におけるインフレの最大瞬間風速

 セル編は衝撃的な展開をもって幕開けとなる。今でこそ知名度が高すぎる故に誰もが知っているシーンだが、前章のラスボスであったフリーザが、何の伏線もなく登場したキャラにコマ切れにされる。

 個人的にはここがドラゴンボールにおけるパワーインフレの最大瞬間風速だと思っている。

 ドラゴンボールのパワーインフレを象徴するようなシーンだ。つい数話前まで主人公と死闘を繰り広げていたボスキャラが、ポッと出のキャラに瞬殺されてしまう。

 フリーザ編とは何だったのか。悟空があれほどまでに苦戦した相手が、たった数コマで切り刻まれ消滅させられた。SNSのある現代でこんな展開があれば間違いなく炎上する。

時代とかもあるがこれと同じことを
宿儺や無惨でやったら絶対炎上する
人外魔境新宿決戦、無限城決戦とは何だったのかという話

 「ドラゴンボールはどこかで見たテンプレ展開ばかり」という文言を見かけたことがあるが、これについては全く同意できない。

 前章のラスボスがその時点で名前すら明らかになってない新キャラにあっけなく瞬殺される、というのはドラゴンボールにしか無理な展開だ。もし他の作品であったら教えてほしい。

 強い方が勝つ。ドラゴンボールのバトルにおいてはそれが唯一絶対不変のルールだ。いかなる感情を戦闘に持ち込もうとも、より強い方が勝つ。それはドラゴンボールの中でしか描かれないドライさだ。

 戦闘にいかなる感情、動機、理由を持ち込んでも、絶対的な力の差は埋まらない。前章ラスボスとその父親だからなんだ。こっちは約1年前にお前のプライドをズタズタにして死ぬ寸前まで追い詰めたあの超サイヤ人だぞ。と言わんばかりの無情な現実が、勝敗という形で残酷なまでに反映される。

トランクスの登場による超サイヤ人の設定変更、1000年に一度の伝説から汎用強化形態へ

 超サイヤ人の当初の設定とは「千年に一度現れる伝説の戦士」だったはずだ。フリーザ編の序盤からその存在は仄めかされていた。

 メタ的な見方をすればフリーザという宇宙で一番強い敵キャラを倒すために生み出された設定だ。

 フリーザという敵はフルパワーの半分の力で主人公の20倍以上強い。この絶望的な力の差を覆すために、フリーザ編の序盤から伏線を貼っておいて、満を持して登場したのが超サイヤ人だ。

 しかしトランクスの登場、そしてこの後さらに複数のキャラが超サイヤ人に変身できるようになる。これに伴い超サイヤ人の設定が「千年に一度現れる伝説の戦士」から「ある程度の強さのサイヤ人が何らかの強い感情をきっかけに変身する強化形態」となる。

 これにより作中ではトランクスの次にベジータ、悟飯と超サイヤ人に変身できるキャラが増えてくる。この「超サイヤ人が複数人いる図」というのがドラゴンボールの絵面として多くの人間に馴染み深いだろう。

 この頃に描かれた版権絵はとにかくかっこいい。全国の少年少女を問答無用で虜にする黄金の輝きが超サイヤ人にはある。ドラゴンボールの「絵面のストレートなカッコよさ」は超サイヤ人に支えられると言っても過言ではない。

「運命の日~魂VS魂~」
(アニメで悟飯が超サイヤ人2に覚醒する時に流れた歌)
とかが入ってるCDのジャケットイラスト
第二形態のセルがあまいマスク変わるのやだな〜
みたいなこと言ってる扉絵の回が
ジャンプ本誌に載った時の付録のポスター
多分したじき

 この時期の映画のボスキャラ、合体前13号や変身前ボージャックもやたらとデザインがカッコいい。セル編の敵キャラは原作でもZにおいてもビジュアル面が優れている。全体的にシュっとしている。

13号は14号15号との対比でイケメンに見える
作中では最初に14号15号が登場して
後から13号が合流する
その13号14号の二人組としての絵面が原作でいう
ナッパとベジータ、19号と20号、バビディとダーブラ
のようないつものDBの絵面なわけ
鳥山先生のデザインの引き出しヤバい

 映画版オリジナルキャラでありながら高い人気があるブロリーは、悟空たちが変身する超サイヤ人とは別の、千年に一度生まれる伝説の超サイヤ人というコンセプトの元に生み出された。ブロリーは超サイヤ人の設定変更の副産物ともいえる。

 今でこそゴッドやブルーや身勝手やビーストなどの形態が出てきたが、戦闘中に大きく姿が変わる変身形態のルーツは金髪の超サイヤ人にある。これをどうか覚えておいてほしい。

 しかし、作中では超サイヤ人を圧倒的に上回る敵が出てきてしまう。17号と18号だ。


この二人と完全体セルがセル編の
顔面偏差値を爆上げしている
Zでは13号とブロリーとボージャック一味
がいるのでさらに上がる

 この二人のキャラデザがこれまたカッコいい。今までの宇宙人や戦闘ジャケットとはベクトルがガラッと変わる。

 特に18号は衝撃的だった。デニムジャケット着た可愛い女の子が味方側の最強キャラを負かすという展開は、今見ても全然新鮮味がある。

 ベジータと他のZ戦士はこの2人に惨敗する。宇宙最強であったはずの超サイヤ人であったにも関わらずだ。

 17号18号戦の惨敗、そしてセルの出現などを経て、悟空とベジータは超サイヤ人をこえることを目標に修行を始める。

 設定の変更こそあれ、「超サイヤ人をこえるための修行する」ということは「連載を終わらせるために出てきた要素でさらに話を膨らませる」ということだ。これもドラゴンボールでしか見たことがない。というよりドラゴンボール以外には絶対にできない。

悟空ニヒル路線への突入。主人公とは思えんくらいの悪い顔

 超サイヤ人となった悟空は、普段の朗らかな性格からは想像もできないような悪い顔を浮かべる時がある。いわゆる悪い顔の悟空だ。以下この状態の悟空をニヒル悟空と呼ぶ。

 「あててみろよ」「だから滅びた……」「ほんとにそうか?」「運命を決めるにしちゃせこいリングだ」など、ニヒル悟空は、短い言葉でインパクトのある言葉を放つ場面が多々ある。

 この時の悟空はもはやダークヒーローと呼んでもいいくらいのオーラがあり、セリフやそのシーン自体の人気も高い。

 個人的にこのダークな雰囲気をまとうニヒル悟空と同じ土俵に立ててやり取りができるキャラクターはセルとメタルクウラくらいだと思っている。フリーザと凶戦士ベジータ(額にMがあるアレ)には余裕がなさすぎる。

 このニヒル悟空のカッコ良さが最大限にまで引き出されたイラストが超武闘伝2のパッケージだ。

これからニヒル悟空を描く人は
ぜひこのイラストを参考にして欲しい

 ニヒル悟空はフリーザ編から登場するが、やはり上の画像にもあるとおりセル編からの超サイヤ人第四段階のニヒル悟空の方が個人的にはよりカッコよく、一推しだ。

 以下、フリーザ編のニヒル悟空を第一ニヒル、セル編以降のニヒル悟空を第四ニヒルと呼ぶ。

 第一ニヒルと第四ニヒルの呼称の由来はそのまま超サイヤ人の段階の呼び方に由来する。

 超サイヤ人第一段階は超サイヤ人自体に成り立ての形態で、軽い興奮状態になり、悟空の場合一人称がオラからオレに変わり、口調も変化するという特徴を持つ。

 超サイヤ人第四段階は普段の状態から身体を超サイヤ人に慣らしておき、身体への負担と第一段階の興奮状態を抑えた状態だ。

 第四段階の悟空は第一段階のような一人称と口調の変化がなくなり、目つきも鋭くなくなった。人格すら変わったような興奮状態も第四段階にはない。そう、興奮状態でなく平常心で悪い顔をするのが第四ニヒルだ。

 ニヒル悟空の人気の理由の一つとして普段の状態とのギャップがある。個人的には、第一ニヒルより第四ニヒルの方がギャップの差が大きいと思う。

 第一段階の興奮状態での悪い顔と、その興奮状態を過酷な環境下の一年かけた修行で抑えた上での第四段階の悪い顔では、ニヒル度合いの深みが違う。

 平常心を保ってもなお繰り出されるシンプルかつキレのある返しとあの顔! というのが第四ニヒルの強みだ。

 そんな第四ニヒルさん(これはベジータがザーボンとかドドリアとか精神と時の部屋から出てきた悟空にするような煽りのさん付けではなく純粋な敬意)が生まれたのもセル編があってこそなのだ。

現在のベジータ像に繋がるセル編でのベジータのキャラクターの変化。十年以上引きずるカカロットへの劣等感の肥大化と家族愛の芽生え

 ドラゴンボールはセル編によって形作られている。という点においてこの項目が最も重要となる。

 ベジータの今現在(ブウ編後〜)のパブリックイメージは、悟空をとにかくライバル視している。またはブルマがビルスに叩かれててキレるシーンや、ブラが生まれる辺りの言動から家族愛のイメージも似合うだろう。大体セル編以降の大まかなイメージに沿っている。

 ここでサイヤ人編〜フリーザ編のベジータを見てほしい。

この後本当に村人たちを皆殺しにする

 この頃のベジータは本当に滅茶苦茶なキャラクターである。冷酷で残忍で飛び抜けるほどに口が悪く、やってることがめちゃくちゃで他者の命をゴミのように扱い倫理や道徳観などがパッカパカ。

子供含めてツーノ長老の村の者たちを皆殺しにした男が
後年自分の娘が泣くと即最強形態になって威圧する図

 そんな男がいかにして現在のような家族愛を持つようになったのか、その変化の重要な時期がセル編なのだ。

 ベジータのキャラ変化における重要な点は3つ存在する。
1.悟空が超サイヤ人になったことを知り、悟空を超えることを目標とする
2.ベジータ自身が超サイヤ人になる
3.トランクスとの精神と時の部屋での修行  

1.「悟空が超サイヤ人になったことを知り、悟空を超えることを目標とする」について

 「カカロットを超える」という目標はもはやベジータのアイデンティティだ。

 それ以前のベジータはというと、ドラゴンボールを集めて不老不死の願いを叶え、全宇宙を支配することを目的としていた。

まだパカパカ

 しかし、悟空が超サイヤ人となり、フリーザを倒したことを知ると、ベジータの心境に変化が起こる。

この時点で超サイヤ人になれないがこの目標の高さ

 フリーザのような野望は消え失せ、この辺りから悟空を超えることを意識し始める。

 超サイヤ人への覚醒、フリーザを倒す。どちらもベジータが真っ先にやりたかったことだったが、よりにもよって下級戦士に先を越された。

悟空が超サイヤ人になったのを知った時
アニメでは尺稼ぎのせいで超サイヤ人になった
悟空を直接見ちゃってる
この辺アニメでは
フリーザもカカロットも死んでオレが
棚ぼたで宇宙一と草むしりながらバカ笑い

笑うなと言った悟飯をバチボコに殴り倒す

ピッコロに止められてどっかに飛んでいく

次週何もなかったかのように原作の流れに戻る
という伝説の迷走をかましたせいで知名度がいまいち低い
ベジータを語る上では重要なシーンなのに

 これらの衝撃はベジータに新たな人生の目標を与えると同時に、今後10年以上に渡る悟空に対する劣等感を植え付けることになる。

 そしてセル編はとにかくベジータのカカロットに対する劣等感の発露が凄まじい。

中期ベジータを象徴するあまりにも完成度の高いシーン
一人だけ汗の量がエグい

 上の画像はセル編における悟空とベジータの関係性を明確に示している。面白いポイントとして悟空はベジータの方を一切見ていない。

 「超スピードでごまかしたわけじゃねえぞ〜」とかも言わない。眼中にない。だから言う必要がない。にもかからわずベジータは瞬間移動が本物であったことに勝手に焦り出す。

 このベジータが悟空に突っかかる→悟空が軽く流す→ベジータが焦って背景ウニョウニョ! というのがセル編における悟空とベジータの全てだ。勝手に新技術と新形態を身につけてドンドン強くなっていく悟空とそれを見て劣等感をこじらせていくベジータ。

 悟空への対抗心と劣等感、どちらもベジータを語る上では重要なパーツだ。これらがセル編によって醸成されていく。

2.「ベジータ自身が超サイヤ人になる」について

 ベジータといえば合体を嫌がり、家族を引き合いに出されて渋々納得する。というシーンがもはや様式美である。

 この前半の合体を嫌がる、そして共闘をするくらいなら死んだ方がマシというスタンスはベジータ自身が超サイヤ人になったことに起因している。

 超サイヤ人への覚醒によりベジータの元々持っていた
プライドがさらに高くなる

 フリーザ編のベジータはプライドこそ高いが、セル編以降と違って、自分が生き残るために逃走や共闘という手段を躊躇なく選んだ。

ベジータ対18号におけるセリフ
フリーザ相手にベジータ、悟飯、クリリンの
3人でかかれば勝てるというセリフ
時期によって全く特徴が違うキャラ、それがベジータ

 フリーザやギニュー特選隊、自分より格上の敵に対しては悟飯、クリリンと共闘していた。今のベジータからすれば考えられないような行動だ。

 「サイヤ人の王子に戻る」という本人の言葉通り、ベジータの持っていたプライドがここまで高くなったのはベジータ自身が超サイヤ人たことが大きい。

 共闘や合体を提案するとプライドを持ち出してキレるベジータのキャラもまた、セル編以降に構成されいている。

3.「トランクスとの精神と時の部屋での修行」について

 これも今のベジータを語る上では絶対に重要な点だ。この一年によってベジータは現在見せているような家族愛を得るからだ。

 鬼畜という言葉すら生やさしい男がなぜこれほどまでに家族を愛する男になったのか。その辺を紐解いていきたい。

超好き

 トランクスが未来に帰る場面、ここでのベジータとの無言のやり取りが好きな方は多いだろう。

 しかし、セル編序盤のベジータとトランクスの親子関係ははっきりいって最悪だった。

ドクターゲロを追っかけてるあたり

 ベジータは平気でブルマとトランクスを見捨てようとした上に、トランクスはそんなベジータをあいつとか嫌なやつとか言っている。つまりベジータという男は嫁と息子ができたくらいじゃ何も変わらない。

上の画像の直後
17号18号と闘う前
精神と時の部屋に入る直前。とにかくセル編序盤のトランクスとベジータの親子関係はギクシャクしている

 ただトランクスの見立ても間違ってはいない。この頃のベジータは地球に来て約5年ほどだが、まだまだ邪悪で残忍で冷酷である。一般人を戦いに巻き込むのにも何ら躊躇しない。

この後トラックの運転手は本当に死ぬ
こことツーノ長老の村のナメック星人たち
ナッパが挨拶した東の都の地球人
ベジータ関連の死者はドラゴンボールで蘇生されていない
これはほんまにそう

 そんなベジータがセルゲーム終盤、トランクスが殺されると心の底から怒り、セルへと立ち向かって行く。

良いシーンだが、ドラゴンボールは感情とか動機
とかで勝敗が決まったり力の差が逆転したり
することはないので当然ベジータはセルに敵わない

 自分の家族を平気で見殺しにする男が、自分の息子が殺されて心の底から怒る。そこから色々あってトランクスが未来へ帰るシーンでの有名なやり取りが生まれる。

 ベジータは一体どこで家族愛に目覚めたのか。転機となったのは恐らく精神と時の部屋での一年間だろう。

悟空親子と違ってちっとも1年間の過程が描かれない
この後に二人が登場するのが修行を終えた後

 二人が精神と時の部屋を出た後、色々あってセルが完全体となった。ベジータは超サイヤ人第二段階、トランクスは超サイヤ人第三段階に変身して挑むも、二人とも完全体のセルに敗北する。

 トランクスは第三段階に変身した自分こそが父を超えて最強だと確信していたが、セルに第三段階の弱点を指摘され、闘いの途中で戦意を失う。

 ここで大事なのが「なぜベジータはトランクスに超サイヤ人第三段階の弱点を教えなかったか」である。

 悟空に遅れこそとるものの、ベジータはベジータで戦闘に関するセンスは天才だ。超サイヤ人第三段階の弱点はすぐに見抜くことができたはずだ。

 トランクスのセリフからして、恐らくベジータは一度も変身せずに第三段階の弱点に気づいた可能性が高い。

父さんには超えられなかった
それを即ち、父さんには変身できなかった
という勘違いをトランクスはしてしまった

 第三段階に変身しなかったことを、できなかったと勘違いしてしまったのがトランクスの致命的な勘違いだ。ベジータは戦闘に関しては天才だし、ブルマも分野こそ違うが機械関係では天才なのにどうしてトランクスは脳筋になってしまったんだ……。

脳筋すぎる……脳筋すぎるんですよ……その思考は

 ここで大事なのが「なぜベジータはトランクスに超サイヤ人第三段階の弱点を教えなかったか」である。

 この理由を考えるにあたって浮かび上がってくるのがベジータのトランクスに対する信頼である。

 「自分の息子なら直接言わずとも超サイヤ人第三段階の弱点は理解しているだろう」というのがベジータのトランクスに対する信頼だ。この信頼こそがベジータがトランクスに向けた父親らしい情と言える。

そう考えるとここのベジータめちゃくちゃ嬉しそう
息子の実力を誇らしく思う親心が見える

 更にいうと悟飯の存在も大きいだろう。ベジータは悟飯の潜在能力を目の当たりにする機会が多く、実力も認めている。

 対ナッパ、ベジータ本人、リクーム、悟空の体のギニュー、フリーザ。セル編までの悟飯の主な闘いを見届けたのはクリリンとベジータである。

フリーザ第二形態の時

 何より悟飯はあのカカロットの息子だ。自分の息子だからこそライバルであるカカロットの息子より強くなってほしい。というのは親として持つには自然な感情だろう。

 この時点でブウ編でいう悟空たちの影響を知らないうちに受けてるのかもしれない。

 このようにして、自分の息子を平気で見殺しにするベジータは、息子が殺されて怒る父親へとなった。

 悟飯とセルの最後のかめはめ波の撃ち合いにおいて、セルの隙を作り、悟飯を勝利へ導いた要因こそ、息子を殺されたベジータの怒りだ。

 この怒りはベジータのプライドを完全に超えたものだ。なぜならセルゲームの途中でベジータのプライドは完全に折れていたからだ。

 ベジータはセルゲームに来た時こそ完全体のセルを倒す気でいたが、悟空対セル、悟飯対セルの闘いを見て、自分の力は決して悟空親子やセルの領域にはたどり着いていないと理解させられてしまう。

 自分はセルには決して敵わないことをベジータは知っていたはずなのだ。あのプライドの高いベジータが勝つことを諦めるほどの力の差がセルとの間にはあった。自分が完全体にさせた手前、相当な屈辱だっただろう。

セル完全体に敗北した後
セルゲーム開始前
悟空対セルで悟空がギブアップした時
自分は完全体のセルに勝てない
ともとれるセリフを言ってしまっている
さらにそのセルの上を行く
悟飯の力を見て震えるベジータ
この辺でプライドがバッキバキに折れている

 しかし、トランクスが殺された時のベジータは果敢にもセルに立ち向かっていった。

 プライドの塊のような男のプライドが折れて闘う気力を失った時、再び闘う原動力になるのは普段不器用だから表にはあまり出すことがない家族愛だ。トランクスが殺されたことに怒った時点でサイヤ人編の頃の悪人に戻るのはもう無理だろう。

 残念ながらセルには軽くあしらわれ、悟飯が片腕を使えなくなるという結果を招いてしまうが、最終的にセルの隙を作り、悟飯に勝利をもたらしたのもベジータのおかげだ。

 「神と神」においても同様のシーンが見られる。ビルスはベジータよりもはるかに強い、闘ってもまず勝ち目はない。惑星ベジータの王であるはずの父親はビルスに足蹴にされるという屈辱的な扱いを受け、それをベジータは子供の頃に見ていた。これは闘う上でも精神的な支障になるだろう。

 故にベジータは地球と家族を守るためにビンゴダンスなどでひたすらビルスの機嫌を損ねないようにしていたが、結局ビルスはブチ切れる。

 そしてビルスはブルマの頬を叩き、それを見たベジータの怒りが爆発した。さらにはセルの時とは違いそれまでのベジータ以上の力を怒りによって引き出した。

 この辺は鳥山先生の心境の変化などがあったかもしれないが、それでもベジータの一連の行動に説得力が出るのはやはりセル編において家族愛を獲得したからだ。

 ここからは10割が自分の脳内補完だが、ベジータとトランクスの精神と時の部屋での修行においては、ベジータからの歩み寄りがそれなりにあったと推測している。

 なぜならベジータは面倒見が良い。これは脳内補完ではなく有名なシーンを引用して証明できる。

この下り意外と人気ある

 この時点でまだ敵対する可能性のあったクリリンたちに対してこの面倒見の良さを発揮するので、トランクスに対して似たようなことをするベジータは想像に難くない。多分メディカルマシーンの使い方がわからないフリーザ軍の新人兵士とかにも割と丁寧に使い方を教えてくれると思う。

 余談だがこの辺の面倒見の良さはゲームにも拾われている。「ドラゴンボールZ3」においてはこのシーンの後にベジータが悟飯に必殺技のチュートリアルを教える形になっている。

突き抜けるほどの初期ベジータの口の悪さも健在
しかもフルボイス

 精神と時の部屋は修行をするための広く何もない空間以外に、飯と風呂とトイレがある生活用のスペースが存在する。

 トランクスは修行以外にもベジータと寝食を共にしたのだ。それも一年間。未来から来た息子と父という少し変わった親子関係でも、会話をするのが自然だ。

 ベジータとしても未来の自分がどうなったかは気になるところであろう。そこから超サイヤ人の壁を超えるための手がかりが得られるかもしれないからだ。

 二人は修行を続けつつ、親子としての仲を深めていった。この一年の間にベジータは家族愛を持つようになる。

 これも後のベジータの言動を形作る重要な要素だ。この一年があった上でのセル編からブウ編への七年間でベジータは穏やかになっていったのだろう。

超好きゴッド超好き
こことフュージョンの下りだけでもアチアチの夫婦愛を
俺たちに見せてくる男ベジータ

 そしてベジータがトランクスが殺されたことに対して怒り、それをヤムチャがトランクス伝えたことによって、セル編最後の別れのシーンにまで繋がった。ここでのヤムチャは本当にDB史に残るファインプレーを果たすのだが、詳細は後述。

 セル編におけるベジータ家族獲得までの流れ
セル編序盤、ベジータはまだ邪悪な部分があり
トランクスとの関係もギクシャクしていた

17号18号に敗北後、精神と時の部屋でベジータはトランクスは一年間を共に過ごし、トランクスに対して父親としての情を持つようになる
(タイミング的にベジータが変わるきっかけ
はここしか考えられない)

トランクスが超完全体セルに殺されたのを見て
ベジータがブチ切れ、セルに向かっていく

それをセルゲーム終了後にヤムチャがトランクスに伝える(超重要ゴッド超重要)

トランクスが未来に帰る時の
ベジータとの無言のやり取り
ベジータの不器用な家族愛がトランクスに伝わる

メイン悪役・セルの際立ったカッコよさ

 今までベジータについて散々語ってきたが、私がドラゴンボールにおいて一番好きなキャラを言うならば、セルと即答する。

 特にセル完全体はそのデザイン、強さ、知性、ボイス、どれをとってもまさにパーフェクトだ。ドラゴンボールの人外敵キャラのデザインはセル完全体かクウラ最終形態かジャネンバ最終形態の3強だ。

 セルの魅力を語るにあたって、パッと見てわかりやすいデザインの他に、他のドラゴンボールの長編ボスとは違う「異質な強さ」と知性について語りたい。

オーパーツみてえなキャラデザ
止まってても動いててもカッコいい

 セルが完全体になった時のインフレ具合は他とは桁が違う。セルが第二形態から完全体になった時は、明らかに第一形態から第二形態になった以上に強くなっている。

 セル完全体の強さはこれまでのドラゴンボールで語られてきた強さと毛色が違う。ベジータは精神と時の部屋での修行を経て、18号に負けた状態から超サイヤ人の限界を超え、18号よりはるかに強いセル第二形態をさらに上回る超ベジータとなった。

 完全体のセルはさらにその上を行く。しかも超ベジータと超トランクスを倒した時にはまだ本気すら出していない。本人の言葉を借りるとするならばまさにウォーミングアップだ。

 ベジータはそこからさらに精神と時の部屋で一年間の修行を積むが、セルとは直接闘わず、悟空親子の戦いを見ただけで力の差を痛感させられる。

 それどころかその状態でようやっとポッと出のセルジュニアと互角という有様だ。これもベジータのプライドを深く傷つけた。

 セルジュニアの強さも異常であり、セルと互角に闘ってた悟空が「おそろしく強い」とまで言う。他のZ戦士たちにとっては恐怖の塊でしかない。

 さらにこんなのを七匹も生み出しておきながら、セル本人には疲れた描写がない。悟飯覚醒前のセルにはこういう「底知れない強さ」がある。

 なぜセルの強さはここまで隔絶しているのか、それはドラゴンボール原作の時系列に関係する。ドラゴンボールの時系列は大きく三つに分けられる。


最初から第二十三回天下一武道会(無印)

サイヤ人編からセル編(改一期)

ブウ編(改二期)


 この内サイヤ人編からセル編はとにかく天井に天井を重ねていくインフレが凄まじかった時期であった。

 悟空とピッコロが二人がかりで挑み、悟空が犠牲になってやっと倒せたラディッツから始まり、さらに強い敵がでてきて……という展開が作中で何回も繰り返され、それがドラゴンボールの爆発的な人気上昇へと繋がった。

 セルはそのパワーインフレ最盛期の最後を飾る敵である。故にその強さもどこかこれまでとは違い、単純に体を鍛えて力を伸ばすだけでは辿り着けない領域にある。悟空たちZ戦士がセルの強さに追いつく前に強さの上限を叩いてしまったとも見える。

 その上限のはるか向こう側にいるのがセルだ。悟飯以外のZ戦士がどれだけ修行を重ねようとも十日間ただ武舞台の上で待っているセルには到底及ばない。

十日の期限もあるが修行で強くなれるのにも限度がある
超サイヤ人第四段階にたどり着いた悟空が言うのだから
説得力がある
ベジータはもう一年精神と時の部屋に入って修行したが
結局セルどころか一年しか部屋に入っていない
悟空を超えることさえできなかった

 その「底が見えない強さ」こそがセルの大きな魅力だと思ってある。これが完全体のデザインと合わさってセルというキャラクターはドラゴンボールの中でも非常にシャープかつスタイリッシュなベクトルに突き抜けたキャラクター造形になっている。

戦闘力が高いだけではなく
目に頼らずに相手の気配や動きを察知することもできる
これは悟空が神様のもとで修行して身につけた技術だ
 地味に攻撃方法と声優が一緒

 次にセルの魅力として語りたいのがその「知能」だ。セルはドラゴンボールの敵役の中でも特に知能がずば抜けて高い。悟空が強いと言った敵は多くいるが、頭が良いとまで言った敵はセルくらいだ。

 戦闘民族サイヤ人の王子ベジータが天才と認めた悟空がアタマもよさそうと言ったセル、という具合に知能方面においてもインフレを起こしている。

 実際にその知能は完全体だけでなく、各形態において活かされている。

・第一形態

 この頃のセルは弱く、吸収対象の17号18号や神と融合したピッコロには到底勝てない。故に生体エネルギーの吸収という手段で自身のパワーの増加を行った。

 生体エネルギーを吸収するためにひたすら民間人を襲う。この時のセルは自分より強いピッコロに遭遇しないために様々な策を駆使する。目立たないために人口の少ない田舎を中心に襲う。舞空術で気を使うとZ戦士に感知されるため移動は足を使う。これによりZ戦士はセルへの対応が後手後手になってしまう。

 自分と相手の力の差を考慮し、勝てない相手には決して勝負を挑むことなくひたすら人間の生体エキスを吸収して地道だが確実にパワーアップする。

 16号17号18号とはまた違った第三勢力としてのセルは、さながらナメック星でのベジータの活躍を想起させる。実際にベジータの細胞が入っているので、この狡猾さはベジータ由来だろう。

・第二形態

 鳥山先生お気に入りの形態だが編集にバカみたいですねと言われたり、超ベジータにボコボコにされる(アニメでは引き伸ばしによって一方的に殴られるシーンが増えている)、最終的に完全体になる方法がベジータ頼みなど、散々なイメージがある。

長編ボスとは到底思えないほどの情けなさ

 しかし、第二形態にも知能を活かしたシーンがある。

18号から見たらここホラーすぎる

 18号はセルに吸収される前に自分自身を爆破するという脅しをかける。それを見たセルは17号の声を真似して自分から吸収されるように仕向けるという手段をとった。

 ドラゴンボールという作品はあまりにも知名度が高い。それゆえに知名度そのものがノイズとなり、作品そのものの面白さがやや欠けてしまうケースがある。

 ドラゴンボールを全く見たことがない完全な初見、キャラクターの容姿すら見たことがない。というケースの人間を探すのはかなり難しい。というか今の日本にそんな人間は存在しない。

 金髪のツンツン頭という超サイヤ人の外見を知らずに以下の場面を見るとどうだろうか。

ナメック星に到着した悟空がリクームを一撃で倒した場面

 超サイヤ人を全く知らない初見の前提でこの場面を見れば、「悟空が超サイヤ人になった」と確信してもおかしくはない。

 超サイヤ人はフリーザ編を通して扱われる一つの謎なのだが、超サイヤ人の知名度が圧倒的に高すぎるが故に、超サイヤ人の謎を追う、正体を考察する、といった想像の余地が残っているからこその楽しみ方ができない。

 ワンピース(作品名)もワンピース(作中用語)の正体が明らかになれば、考察する楽しみは消えてしまう。

 そこを踏まえて、セル第二形態が超ベジータにボコボコにされるという情報を一旦頭から切り離して、もう一度以下の場面を見て欲しい。

姿が人間に近づいてるのも怖い

 セルが第一形態で見せたような得体の知れない不気味さが第二形態においても引き継がれていることがわかる。この不気味さはセルが高い知能を持っているからこそだ。そして知能のこんな使い方をする敵はドラゴンボールの中では他にいないので、読者の印象にも残る。

・完全体

 完全体においてその知能が発揮されるシーンは、トランクス相手に超サイヤ人第三段階の弱点を短時間で見抜き、更には簡単に変身した上で教える。セルリングを作るあたりでの土の質がどうのこうの、などがある。

 しかし、その知能が最も活かされるシーンはやはりセル対悟空の闘いなのだ。何度も言うが、悟空はベジータが認めた天才、その悟空が頭が良さそうと言ったセル、この両者の戦いはドラゴンボール史上最も高度な頭脳戦が行われたといっても過言ではない。

 悟空はバカなイメージがあるがこと戦闘と強くなることに関しては天才的なセンスがある。超サイヤ人第四段階に到達したのも、悟空のセンスがあってこそだ。

 第四段階への到達は絵的にわかりにくいので悟空の頭の良さを証明する印象的な場面を紹介したい。

 第二十三回天下一武道会の決勝において、悟空はまだ悪だった頃のピッコロと激突する。その戦闘中にピッコロの体内から神様の封印された瓶を取り返すシーンだ。

 ここの悟空はピッコロの巨大化を見て、さらにでかくなれるのならやべえ、とピッコロがさらに巨大化するように誘い込むような台詞を言う。

 これは悟空の罠だったがピッコロはまんまと罠にかかって巨大化する。そして悟空がピッコロの口から体内に入り瓶を取り戻す。

 というのが神様救出の一連の流れだ。ここで悟空の知能が光るポイントは、ピッコロの更なる巨大化への誘い込みの上手さや、相手が巨大化すれば自分の身体の大きさでも体内に入れるという思考の冴えだ。

もっとでかくなったらやべえという挑発
ここの演技も上手い
ピッコロにもっと巨大化すれば
有利に立てるという思いこませることに成功
からのこれ
ちょっと悪い顔なのが超好き

 悟空は元来、戦闘時においての頭が回るキャラクターなのだ。その頭の回転の速さはZ戦士の中でも随一かもしれない。実際神様救出の際にも他の面々はピッコロの巨大化に驚くばかりであった。

 ドラゴンボールにおける戦闘の描写、とくにサイヤ人編以降はシンプルな力と力のぶつかり合いだ。セル対悟空においてもそれは変わらないが、悟空が瞬間移動かめはめ波を放つにあたっての駆け引きが高度な頭脳戦を成立させている。

 この闘いに限ってはセルが自分自身の知能を活かすのではなく、悟空がセルの知能を逆手にとっていることを強調したい。

 瞬間移動かめはめ波のカッコ良さやその前のシーンの本当に撃つか撃たないのかという緊張感は、悟空とセル、二人が二人とも高い知能を持っているからこそ生み出される。

 瞬間移動かめはめ波は殺意が高い。それは悟空の知能の使い方がこれまでとは全く違うからだ。

 上記の神様救出やマッスルタワーでのブヨン戦など、悟空の知能の主な使われ方は「不利な状況の打破」であったが、瞬間移動かめはめ波においてはただ「敵に致命傷を与えること」この一点のみに知能を使っている。

 敵に致命傷を与えるために知恵を振り絞り、自らの技を組み合わせて最悪の初見殺しを作り上げる。というのが瞬間移動かめはめ波であり、悟空対セルの闘いを高度な頭脳戦にしている要因である。

 以下、瞬間移動かめはめ波に至るまでの経緯をおさらいする。

 セルは悟空に向かってかめはめ波を放つ。地球が破壊されるかもしれない威力のあるかめはめ波だ。

 悟空はなんとか上空に逃げてかめはめ波の角度をずらして地球に当たらないように仕向け、自身は瞬間移動で回避した。この時のやりとりが瞬間移動かめはめ波への布石である。

セルのデカいかめはめ波を避けた直後
ここのやり取り超好き第四段階
正面顔じゃないのでわかりにくいが多分第四ニヒル

 この後、しばらく戦闘が続き、悟空がかめかめ波の構えに入るのだが……。

この構図では撃てないとたかを括り
余裕で高笑いをするセル
悟空の表情からして本気で撃つことを周りが察知
セル完全体が悟飯覚醒前に焦ったのはここくらい
悟空の真の意図に気づいた頃にはもう手遅れ
地球が壊れる程の威力のかめはめ波が至近距離で直撃する

 以上が瞬間移動かめはめ波の大まかな流れだ。

 味方すら完全に騙しきった悟空の頭のキレは本当にカッコいい。瞬間移動かめはめ波はハンターハンターの念能力やジョジョのスタンドバトルのような思考に基づく闘い方だ。賢い悟空としての描写はこの辺りが最高峰だ。

 セルゲームの緊張感や超サイヤ人第四段階のカッコよさ、かめはめ波の威力も相まって、悟空自身の賢さも神様救出の時から数段階上がってるいるようにすら見える。  

 「普段はバカだけど戦闘の際には意外と頭が回り、窮地を脱出するすげえヤツ」から「相手の出方を伺いつつ、できうる限りの最大限の威力の攻撃を、戦闘経験と頭脳と共に一瞬で炸裂させる切れ者」という印象の変化が凄まじい。やってることがシビアすぎる。

 セルの知能について語る項目のはずが、悟空の瞬間移動かめはめ波の凄さについて長々と語ってしまった。これは何度も言うがセルと悟空が双方高い知能を持ってるから、あの戦いが成り立つのだ。

・意外と共感できる部分もある 

 他にセルの好きな部分について語るとすれば、セルゲームのリングを作る場面だ。

 フリーザ由来っぽい念動力でその辺の岩を持ち上げて、マス目状にカット。それらを地面に敷き詰めて、ひとまずはリングの完成とする。

 人目で石の質を見抜く観察力や、鮮やかな手際でスムーズにリングを作り上げていく様は、小気味が良く、他のキャラクターにはない独特の情緒がある。

手が綺麗
ドラゴンボールファイターズではこの技を使える
とりあえず完成させて後から気になった
部分を修正するという考え方は大事
この記事もそうやって作った

 工場見学のような楽しさがあるからクセになって何回も読み返してしまう。リング作りは絶対に初めてのはずなのに妙に小慣れた感じを出せるのもセルの知能あってこそだ。

 ドラゴンボールはすごいパワーを持った超人同士が闘うとこうなりますよ。という凄まじい描写が鳥山先生の超画力で描かれる。このシーンはすごいパワーとすごい知能を持った超人がインフラ(施工・建設)に携わるとこうなりますよ。という描写がすごい。

 Youtubeとかに【瞬き禁止!見返したら止まらない最速神業職人芸〇〇選!】みたいなタイトルで、熟練の職人がものすごい手捌きで工芸品や食品を作り上げていく動画がある。あれにドラゴンボールフィルターをかければこういう描写になる。

 タイトルをつけるとするなら

 まさに究極!セルの鮮やかなリング形成!

みたいな感じだろうか。セルが尺稼ぎで1話まるまるリング作る回みたいになっちゃった。

 完成したリングがこちら。天下一武道会より広めのスペース、飾り気などのこだわりも光る。

実は飾りつけ意外にも改修点が多い
全体像

 目立つ点としてはリングの角にトゲが配置されている。それ以外にも微妙に違いがある。

比較


 マス目が細かくなっている。マス目部分を囲う枠ができている。リングとトゲの下に大きな土台がある。最初にできた部分と比べて、結構手が加えられているのだ。

 恐らくセルは一回リングを作ってテレビ局に行き、帰ってきた後にもう一度リングを作り直している。ここまで手を加えるのなら最初から作り直した方が早い。

 セルの念動力をもってしても、一度ブロック全部浮かす→土台を設置する→その上からもう一度ブロックを置く。という手順が必要になる。しかも、左下とか右にある岩が邪魔。もう一度更地にした方が絶対に早い。

 マス目を囲う枠も先に作ってその中にブロックを敷き詰めていく方が、サイズ調整がしやすいだろう。角にトゲを設置することを考慮するならばなおさらだ。

 完成したセルリングの造形は、実は天下一武道会の武舞台に寄せている。

画像は第二十三回
マス目の細かさとマス目の部分を囲う外枠に注目
並べれば一目瞭然

 セルはテレビ局から帰ってきた後、とりあえず作ったリングと記憶にある天下一武道会の武舞台を見比べて、(なんか違うな……)と思い、作り直したに違いない。

 私もこの記事を作成するにあたって項目ごとに見直して文章量を削ったり増やしたり、段落を入れ替えたり、表現を変えたりしたからセルの気持ちはすごくよくわかる。

 ここまで入れ込んで作ったリングなら、防衛軍に破壊されたくない気持ちもよくわかる。

こういう人間臭さもセルの魅力

・完全体セルと悟空の組み合わせ

 そんなセルお手製のリングなのだが、セルが一番闘うのを楽しみにしていた相手・孫悟空からの評価はボロクソであった。

第四ニヒルで放たれる辛辣な言葉

 なぜ悟空はここまで辛辣だったのか、自分なりに考えてある一つの仮説が思い浮かんだのだが、この記事の趣旨に沿わないため次回があれば次回にまわす。

 完全体セルと超サイヤ人第四段階の悟空、この二人が立ち並んだ時の緊張感は凄まじい。セルと悟空、お互いに強者との闘いを楽しむ二人だからこそ生まれる独特の空気が発生する。

 セルと悟飯ではなく、セルと悟空なのだ。セルと悟空でなければ、あの緊張感は生まれない。

 他のドラゴンボールのどの対戦カードでも、悟空とセルに匹敵するような空気感を持つような組み合わせはない。

「こいよ」「ああ……」この二人がお互いに闘争心を示すのにこれ以上の言葉はいらない。

 たったこれだけの短い言葉の掛け合いでここまでの緊迫感を出せる対戦カードを他に知らない。

「オレ」じゃなくて「オラ」なんすよ

 なぜセルと悟空のやり取りはここまで独特な空気感があるのか。それはドラゴンボールのキャラクターの中で、セルは悟空以外で唯一悟空らしい要素を持ってるキャラクターだからだ。

 セルがトランクスとベジータを殺さなかったのも、更なる実力の向上を見込んでのことだ。これはかつて悟空がピッコロにとどめを刺さずに見逃した理由と同じだ。より強くなって自分を楽しませてほしい、この点においてセルと悟空の意図は一致する。

 セルゲームを開催したのも、ただ単純に強者との戦いを望んでいたからだ。完全体になったセルは悟空由来の言動が目立つ。

 悟飯とセルではあの空気感が生まれない理由として、悟飯は悟空と全く似ていない。悟飯はサイヤ人の血を引いてはいるが、争いごとを好まない穏やかな性格だ。

 ただ悟飯はブウ編の時の天下一武道会に参加するのを楽しみにしていた。ボージャックの映画の時の天下一大武道会の時もボージャック一味と出会うまでは武道会を楽しんでいた。

 悟飯は闘いそれ自体が嫌いなわけではない。第二十一回から第二十三回の天下一武道会のような勝っても負けても遺恨が残らない、純粋な力比べとしての闘いは好きだが、自分が負ければ世界が終わってしまうような状況での殺し合いとしての闘いが嫌いなのだ。

 悟空はある程度、自分が負ければ地球が終わってしまう状況においても、闘いに楽しさを見出すことができるが、悟飯にそれはできない。故に闘いを楽しむ者同士の空気感は生まれない。

 そして余談だが、ベジータとトランクスの親子は似ている部分がある。

 トランクスは礼儀正しい好青年であり、ベジータとは一見全く似ていないが、自分の実力を過信して疑わないという根っこの部分が似ている。外見はブルマ似だが内面はベジータゆずりの部分がある。

左下のトランクスのセリフは普通にベジータも言いそう
青筋を浮かべた表情にもかなりベジータの血を感じる


要所要所で輝くZ戦士地球人組の人間力

 個人的にはここが一番のセル編の魅力と行ってもいい。むしろ、これを語りたいがためにこの記事を作った。というのが私の本音だ。長い記事になってしまったが、この項目だけどうか覚えておいてほしい。

・人間力の定義とその例

 人間力とは何か、それは前述したリット星の下りでも見られるクリリンの「敵と打ち解けることのできる人柄」や、それ以外にもヤムチャの「他者を思いやる優しさ」サタンの「自分の命を顧みずに死地に踏み出す勇気」などを総称する。わかる人にとっては人間力という表現はしっくりくることだろう。

ほとんどの人間がフリーザの地球襲来に気を取られて
ヤムチャとベジータが一緒にバーベキューを
しているという事実に気づかない

 人間力は戦闘力とは対の概念と私は捉えており、ドラゴンボールにおいてはセル編以外にも度々目にするが、特にセル編は複数のキャラの人間力がストーリーに深く影響している。ブウ編はサタンの人間力の独壇場だ。

 このシーンのクリリンは本当にすごい。もはや倫理の授業に出てくる偉人のような人徳があるのだ。何がすごいのかというと、クリリンとベジータは約二ヶ月までは「殺す殺される」の関係だったのだ。

 特にクリリンはヤジロベーの刀を持って本気でベジータに止めを刺そうとして、悟空の制止によってギリギリのところで踏みとどまった。

 結局クリリンはベジータを見逃したが、仲間を殺された恨みをギリギリで抑えたのが表情からわかる。

悟空のわがままを聞き入れて刀を手放すクリリン
左上のコマに注目してほしい
鳥山先生といえばバトルの描写や
メカの描き込みが目立ちがちだが
キャラクターの表情を描くのも本当に上手い

 こういう因縁のある相手に自然体で会話ができるクリリンは本当にすごい。これがクリリンの人間力である。

・セル編におけるクリリンの人間力

 完全体セル対トランクス戦後、16号の頼みを聞き入れるシーンにおいてクリリンの人間力は発揮される。

ここでトランクスが自分の憎しみを抑えること
ができたのも、クリリンの人柄
つまり人間力があってこそだ

 2枚目右上のトランクスのセリフ、表情をよく見てほしい。

「ふ… ふざけるな…!」「きさまもドクター・ゲロのつくった人造人間だ…!!」

 あまり語られることが少ないが、ここのトランクスは悲しいほどまでにトランクス自身の持つ憎しみを露わにさせている。

 それも仕方のないことだ。トランクスにとっての「ドクター・ゲロのつくった人造人間」とは「自分の父親と師匠、その仲間を含む大勢の人間を殺し、未来の世界を滅茶苦茶にした極悪人」に他ならないからだ。

 無論、16号はそのような極悪人ではない。むしろ16号が未来の17号18号と出会えば、容赦なく二人を破壊するだろう。

 しかし、トランクスは16号が自然や命を大事にする姿を見ていないため、極悪人として見ても仕方がないことだ。

 その極悪人が(過去のとはいえ)母親のいるカプセルコーポレーションまで行こうとしているのだ。トランクスからすればたまったものではない。憎しみのこもった表情とセリフがでてくるのもうなずける。

 しかし、クリリンは16号の頼みを聞き入れ、カプセルコーポレーションまで連れて行った。この際クリリンがトランクスを説得するのだが、このセリフが本当にクリリンの持つ優しさ、人間力が滲み出ている。クリリンの人間力がトランクスの憎しみを和らげたこの場面はとても感慨深い。

 この場にクリリンがいて本当に良かった。トランクスとベジータだけなら、トランクスが憎しみを抑えきれずに16号を破壊していたかもしれないし、ベジータがそれを止めるというのもどう考えても想像できない。

 さらにすごいのが、クリリンには人造人間たちに「悟空を殺すのをやめてくれ」という説得を試みた上であっさりと断られた、という背景がある。

ここでクリリンが交渉にでたのは
クリリン以外のZ戦士が戦闘不能にはされたが
殺されなかったからだろう
他の仲間が殺されなかったので悟空
ももしかしたら殺されないかもしれないという想定の交渉
クリリンはこの時点である程度人造人間を信じている
でなければこんな交渉はできない

 にも関わらず、クリリンには16号を連れて行き修理を頼んだ。その行動の根底にあるのは、クリリンの優しさという人間力だ。

この後の悟空とのやりとりも好き
あの口数が少なくて感情の起伏も少ない16号を
こんな風に笑わせることができるクリリンの人間
すごくないですか?

 そして修理後にレッドリボン軍のマークの上からカプセルコーポレーションのシールが貼られてるのも細かいが好きなシーンだ。これはブルマとブリーフ博士の人間力だ。

 さりげない描写だがこんな風に、画面にこそ映ってないがそのキャラクター(この場合はブルマとブリーフ博士)の人となりを間接的に表現する描写(要するに直接作中で描かれていないがこのキャラクターならこんな時にこういうことをするだろうと納得できる描写)を描ける漫画家というのは意外と少ないのではないだろうか。

 クリリンのとった行動が巡り巡ってセル編におけるピークともいえる名シーン、悟飯の覚醒へと繋がっていくのだが、悟飯覚醒にはさらにミスターサタンの人間力が必要となる。

 さらに、クリリンの人間力がドラゴンボール史上最も輝くシーンがセル編にはある。

 悟空が自爆寸前のセルを界王星へと自分もろとも瞬間移動し、地球を救った後のやり取りだ。

 ドラゴンボールで最もシリアスなシーンは凶戦士ベジータがデブのブウ相手に自爆をするシーンだが、ドラゴンボールで最も地獄のような空気が流れたのは、悟空がセルと共に消え、悟空の気が完全に消滅したシーンだ。

 ここは本当に筆舌に尽くし難い空気が流れている。2枚目のZ戦士たちの表情から、いかにセルゲームの影響が大きかったかが推し量れる。

 恐らくこの時点でクリリンとヤムチャは武闘家を引退しようと心に決めてしまっているだろう。ベジータももう闘わないことを考えているに違いない。

 大人になって読み返すとこのシーンが本当にグッとくる。他のZ戦士が己の力の無さを嘆いたり、悟空を失った悲しみに打ちひしがれている中、ただ一人クリリンだけが悟飯を気遣うことができた。

 この役目はクリリンにしか果たせない。悟空との付き合いの長さならクリリンよりヤムチャの方が長い。悟飯と最も深い絆で結ばれているのもクリリンではなくピッコロだ。

 しかし、悟空と悟飯、この親子ともっとも深く関わったキャラクターはクリリンである。クリリンと悟空の付き合いはサイヤ人編開始の時点ですでに10年以上もある。

 正直言ってクリリンは悟飯を責めることのできる資格がある。クリリンと悟空は、悟飯が生まれる前からの付き合いだからだ。

 クリリンも悟空を親友と呼び、悟空もクリリンを一番の仲間と呼ぶ。それほどの間柄なのだ。そしてその友情がいかに厚いものなのか、悟飯は目の前で見ている。しかし、クリリンは悟飯を一切責めない。

サイヤ人編の悟空とベジータが闘う前
短いながらも悟空とクリリンの友情を
しっかりと感じとれるやりとり

 そして悟飯もナメック星においてはクリリンの機転に何度も助けられた。悟空がナメック星に到着するまで悟飯が生き延びられたのはクリリンのおかげだ。

 悟空とクリリン、悟飯とクリリン、クリリンと孫親子の交流の積み重ね、その集大成こそが悟空が死んでしまった後のクリリンのセリフなのだ。

 悟空が自らの死で地球を救った後に、悟空の意思を汲んで、悟飯を慰めることのできるのはクリリン以外にいない。

 クリリンが声をかけなかったら恐らく悟飯は立ち上がることすらできなかっただろう。それどころか大きすぎる罪悪感があり、他の仲間に顔向けすらできなかっただろう。

 悟空からの忠告があったにもかかわらす、自らの力に溺れてセルにとどめを刺さずに必要以上に痛めつけた結果、セルが自爆をして悟空が地球を守るために犠牲となる、という最悪の事実から、少しでも悟飯が立ち直れたのはクリリンのおかげだ。この気遣いがあるとないとではこの後のセル超完全体への心構えが全く違う。

 悟空の一番の親友であるクリリンがうずくまる悟飯の肩を叩き、慰めの言葉をかけ、悟空の死に関しては何一つとして責めなかったからこそ悟飯の心は救われたのだ。

・ミスターサタンの人間力

 魔人ブウはミスターサタンがいなければ倒せなかった。ミスターサタンがいなければ超元気玉は完成しなかった。

 それと同様にミスターサタンの存在自体が悟飯覚醒に繋がるキーパーツとなっている。

 セル編においてミスターサタンが人間力を発揮したのは、やはり16号の頭を悟飯の前まで運んだことだ。

 セルジュニアがZ戦士を襲い始めたのをきっかけにアナウンサーは逃走を決意する。彼らも目の前で繰り広げられた闘いを見て、セルとZ戦士は自分たちとは違う世界の住人だということを、否応なく理解させられた。

 ここでのアナウンサーの「ミスターサタンは人間のチャンピオンであり、化け物どもの闘いには到底叶わない」という旨の発言をサタンは否定しない。


闘いに参加することこそできないが
地球を救うために自分にできることを
精一杯やり遂げるサタンの姿は本当にカッコいい
この時点でサタンはもう世界の救世主なのだ

 ミスターサタンの人間力とはここで逃げ出さずに16号の頼みを聞き入れ、遂行した点にある。

 悟空たちZ戦士とミスターサタンの関係性はしばしば子供と大人に例えられることがあるが、これは空想と現実と例えることもできるだろう。

 人が空を飛び手や口からエネルギー波を出し、殴られた相手が岩をいくつもぶち抜いて吹っ飛ぶなど、悟空たちZ戦士の超人的なバトルはまさに空想の世界だ。

 対してミスターサタンは我々と同じく現実の世界の住人だ。舞空術も使えず、エネルギー波も出せず、それらをトリックと断じて疑わない。瓦を14枚ほど割った程度の力量を世界チャンピオンとして誇示する。

 そんなミスターサタンがセルゲーム開始前のようなギャグではなく本気でセルに挑めばどうなるかは一目瞭然だ。

ギャグ補正抜きで何の力もない一般人が空想世界の
化け物に闘いを挑むとこうなるという例
エグすぎ
こうなる危険性があったにも関わらず逃げなかった
サタンの勇気が悟飯覚醒へ繋がった

 セルかセルジュニアに殺される危険性があったにも関わらず、逃げ出さなかったのは格闘技世界チャンピオンとしての矜持だ。この矜持こそが悟飯覚醒への最後の一押しとなり、世界を救ったのだ。

クリリンが16号を
カプセルコーポレーションに連れて行く

ブルマとブリーフ博士が16号を修理し
自爆装置を取り除く

破壊された16号の頭部を
ミスターサタンが悟飯の前まで運ぶ

16号が悟飯に助言を与え
セルに踏み潰される

悟飯が超サイヤ人2に目覚める

 こうして見ると悟飯覚醒への流れはZ戦士の人間力が絶妙なバランスで支えになってる。話の縦軸を使って超元気玉を作るという表現ができるだろう。

最序盤からフリーザ編を置き去りにするパワーインフレを繰り返しつつ、その頂点に至るためにはインフレ合戦に参加しないキャラの人間力が必要不可欠だった。以上が私個人が思うセル編の醍醐味である。

・ヤムチャ

 セルゲームに参加したZ戦士の中で悟空との付き合いが最も長いのはヤムチャだ。あまり目立ってはないが悟空死亡後において、ヤムチャはずっと泣いている。

 ヤムチャも悟飯を慰めても違和感のないキャラだが、大きすぎる悲しみ故にそんな余裕はなかった。

クリリンに慰めてもらってもまだ負い目を
感じているから足取りが重い悟飯とその前を歩いて
仲間たちと合流するクリリンという構図が心に沁みる
悟飯のためを思って他の仲間と
悟飯の間に入るクリリンの気遣いが光るコマ

 そしてヤムチャと悟空にも厚い友情がある。フリーザ編終盤、悟空がナメック星を脱出するかどうかの瀬戸際でヤムチャが発したセリフを踏まえると、ヤムチャがずっと泣いていることに説得力がでる。

この時の悟空は超サイヤ人になったことで
口調が荒々しくなり別人のようであったが
ヤムチャの持つ友情は変わらないままだった

 そんなヤムチャの人間力が出る場面、前述の通りやはりベジータの怒りをトランクスに伝えた場面を紹介する前に、隠れた名場面を伝えたい。

 セルを倒した後、神殿で神龍を呼び、Z戦士たちはセルに殺された人々を生きかえらせた。そして二つ目の願いで悟空をなんとか生きかえらせようとしたが、これは叶わなかった。

 Z戦士はどうにかして悟空を生き返らせようとするが、当の本人がそれを断った。故に神龍への二つ目の願いが保留されたままになる。この時の神龍の哀愁漂う姿は、神々しく威厳のある神龍もやはり鳥山先生の作る世界の住人だということを我々に知らせてくれる。

 とりあえず何か二つ目の願いが何かないかみんなで話し合ってる時に、ヤムチャが提案したのがこの願いだ。

オッパイが一つ……とか言ってた頃の
ヤムチャはどこへ行ってしまったのか
知らん間にプレイボーイになっちょる

 ヤムチャは今の彼女にちょっと高級なネックレスを贈るため、二つ目の願いを使おうとする。

 今までの人間力の紹介と違って、ギャグ一色だが本当にこの場面は良い。ここのヤムチャの何がすごいかというと、こんなタイミングで彼女のため神龍にネックレスをお願いする、なんてことが言えるのはヤムチャくらいなのだ。

 ここでヤムチャが神龍への願いのハードルを地の底まで下げたことにより、次のクリリンが17号18号の体内の爆破装置を取り除くという願いを言うことができたのかもしれない。確証は持てない。

シリアスバトルが続いた後のヤムチャの笑顔は沁みる

 そして、トランクスが未来に帰るシーンでのベジータとの無言のやり取り、ベジータの不器用な家族愛とそれをしっかり受け取ったトランクス、この人気の高いシーンが生まれるのにもヤムチャの人間力が必要だった。

 ここでのヤムチャのすごいと点、ヤムチャにとってのトランクスとは元恋人のブルマと自分を殺したベジータの子供だということだ。

 トランクスからすればヤムチャは少し面と向かって話すのが少し気まずい相手なのだ。トランクスは礼儀正しいのでなおさらだ。

トランクスはヤムチャとブルマが
昔付き合っていたことを知っている

 トランクスにとってのヤムチャは母親の昔の恋人なのだ。元々敵同士だった関係とはまた違う人間関係の気まずさあるが、ヤムチャはそんなこと全く気にしない。これがヤムチャの人間力なのだ。

 ブルマと破局を迎えた後のブウ編においても、ベジータが自爆したのを知って悲しむブルマを気を使うヤムチャが見られる。

これができるのがヤムチャという男

 ヤムチャにとっての別れた後のブルマとは、自分を捨てて地上げやのチンピラとくっついた女ではなく、別れても人間関係を続ける大事な友人なのだ。

 そして、殺された相手のベジータとも一緒にバーベキューをするくらいの仲なので、ヤムチャがトランクスを悪く思うところは一切ない。トランクス側は性格もあって少し気まずいだらろう。

 ヤムチャにとってのトランクスとは甥のような存在だったはずだ。どこかのタイミングでヤムチャからトランクスに話しかけて精神的なわだかまりを無くし、仲良くなったに違いない。恐らく時期的にはセルゲーム開始前の九日間だ。

そうでなければあの礼儀正しいトランクスが母親の
昔の恋人を前にこんなくつろぎ方をするはずがない
アニオリだけどセルゲーム告知放送待ちのシーン

・未来のブルマの人間力

 そもそもセル編が始まったきっかけとはブルマの人間力だ。ブルマが絶望の未来においても人造人間への抵抗を諦めずにタイムマシーンを作り上げたのがセル編の始まりだ。

 未来のブルマの人間力のすごさ、それは絶望の未来においてもブルマというキャラは我々読者がよく知るブルマのままであったということだ。

 未来のブルマは外見こそ老けてしまっても、その内面は一切変わることがなかった。トランクスのいる未来の状況はあまりにも絶望的だが、それをきっかけにブルマが負の感情を見せるようなシーンは作中ではなかった。

 長い付き合いがあり絶大な信頼を寄せている悟空が死んでしまっても、夫のベジータが死んでしまっても、ピッコロが死んで頼みの綱のドラゴンボールがなくなっても、他のZ戦士が次々と死んでも、悟飯が死んでしまっても、我々の知るブルマの人物像は全くブレなかった。

 現代のブルマはベジータが死んだ時やヤムチャが死んだ時も泣きだすほど悲しんでいた。だから未来のブルマも悟空が病死した時も、ベジータやヤムチャが死んだ時も泣くほど悲しかったに違いない。

 しかし、作中及びトランクスの前(未来のブルマの登場シーンがほぼ全てトランクスとの会話)ではその悲しみを引きずっている様子が一切見られない。年齢を重ねて落ち着いてはいるが、基本的には悟空とボール探しの旅に出たあの時のブルマのままなのだ。

 どうせ地球ごと粉々になるのならフリーザを一目みてやろう、というセル編序盤に見せた芯が強さはどんどん絶望的になっていく未来においても全く変わらなかった。

 もしブルマが未来の状況に絶望して人格が歪んでいたら、なんてことは想像したくもない。そうなってもおかしくはないが。

 トランクスがあそこまで真っ直ぐ育ったのは悟飯のおかげもあるがブルマの果たした役割も大きいだろう。

未来の世界がドラゴンボールとしての空気感を保っていられたのも、ブルマが絶望の未来を変えるためにタイムマシンを作った発明家であり、トランクスの母であり続けたおかげだ。

衣装と髪型がころころ変わるおしゃれなブルマが
必要な時には作業服を着るってのがすごく良い
はっきり言って滅茶苦茶カッコいい
ブルマの芯の強さを象徴しているのがこの作業服姿だ


・最後に

 ドラゴンボールが絶大な人気を誇る理由としてキャラクター性が一貫していることが挙げられる。その中でもセル編は特にキャラクター性の見せ方が絶妙であり、それが物語を解決させるキーパーツとなっている。

 以上が私が語りたかったセル編の最大の魅力だ。少しでもセル編が好きな読者が増えることを祈り、この記事を終了させていただく。最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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