やりたいこと

最近自分のやりたいことの像が鮮明ではなくなっている。一応"弁護士"っていう職業をやりたいこととしているけど、職業とは別に生きていく上で何をしたいかが明確に定まっていない。

少し自分の性格と思考とかを考えてみる。

とりあえず自分が面白いと思ったことばかりしてきたのが今までの自分だ。逆に面白くないと感じたことはほぼやってこなかった。"やらなければならない"ものに関してはやったが、そうでなければ一切やらなかった。

言わば、我儘だ。

頑固と言ってもいいかもしれない。それは重々承知している。自分の中に"自分ルール"的なものがあって(それは言語化できるものと言語化できないものがあるんだけれども)、それに合わないものはほぼ拒絶状態に近い反応を示す。まあ、最近は改善はされているが適応するまでは長い時間を要する。

あとは割と気分の浮き沈みが激しかったりするかもしれない。ただこれは表向きには出さないようにしている。出して仕舞えばそれは周りを疲弊させる原因になってしまう。例外として長い付き合いを通して完全に心を許している人の前では内に抱えているものがもろに表に出たりするが、これも稀である。

人によってはこれを「人間味の溢れる人で面白い」と言ってくれるわけだが、単に我儘だと思われても仕方がない。

これを踏まえた上で話を本題に戻すと、自分が生きていく上で明確に何をやりたいかという話だが、もちろん答えは出ていない。よく『目標を明確に定めて、それに向かって頑張るべき』なんてことも聞くが、賛同しかねる。全否定するわけではないが、今の自分の考え方に合わないのだ。人生において"所謂"成功を収めるためにはとても重要なことではあると思う。しかし、それに面白さを少なくとも今は感じられない。今自分が面白さを感じていることは「目の前にあることをただただ全力で楽しむ」それのみだ。定まっているではないかと思われるかもしれないが、明確にという点に着目すると、何を対象にするかが抽象的なため、明確ではないとしている。

目の前にあることを全力で楽しむ、その延長線上に弁護士とかがあればいいかなくらいに思っている。だから今は弁護士でも気づいたら教師になっていたってなんらおかしくない。要は一般的な考えと逆ベクトルで考えるんだな。一般的には「ゴールの点から逆算して同一直線上にある無数の点がそれまでのステップのポイント」なんだろうが、自分は「面白いことっていう無数の点があって、それを辿った結果何らかの職業がそこにある」っていう感じ。

理想論すぎるとか言われるかもしれないが、理想論で何が悪い。現実的思考が大切なのは認めるが、現実思考ばかりで折角の一生をつまらない形で終わらせるなんてことはしたくない。少なくとも現実思考が最前列に来て仕舞えば、自分にとってそれは死んだも同然なんだ。

人生における成功の仕方はある程度定められているというのは確かかもしれない。だが、それはどこかの知らない人たちが勝手に作り出した偶像にすぎない。そんなものに囚われる人生なんてごめんだ。この人生の主役は自分だ。自分の在り方は自分で決める。


毎度毎度答えのはっきりしないことや、抽象的なことばかりに悩んでる気がするが、それでいい。悩みに悩みまくってその上でいつか生きてる間に答えが出せたらラッキー程度。それでいい。

目の前にあることを全力で楽しめればそれでいい。

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