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冥い(くらい)時の淵より

二  3

何故、由希は失踪したのか--
若原の胸をその問いが重苦しく締め付ける。
愛し合っていた、と思う。
心変わり、とは思えなかった。
判らぬが、彼女に失踪させた理由が
あったのだろうと思う。
それなら何故、一言、自分にそれを
言ってくれなかったのか--
いや、その理由まで言わなくとも良い。
何故、別れも告げず消えてしまったのか?--

あと、残された手がかりはあるだろうか、と
若原は考える。
どんな些細なことでも良いと思った。
広瀬由希に関して、
自分がまだ知らない部分はなかったか?--
歩きながら若原は、もう1度、今までに
知っている資料を整理しようと努力する。

広瀬由希、20歳。
昭和35年、10月8日生まれ。
両親は、熊野を少し東に入った所で
コーヒー専門の喫茶店を開いている。
経済的にも悪い方ではない。
家族の仲も良い。
由希は1人娘で、大切に育てられた。
去年、若原と同じK大文学部に入学。
現在2回生。
この10月に20歳になったばかりである。
どう考えても、平凡な学生のイメージしか
浮かばなかった。
家庭にも恵まれ、現在恋人のいる平凡な女子大生が、
非現実的な、まるで『神隠し』のような失踪を
遂げるなど、思いもつかない。
よく動く明るい由希の瞳からは、
今回のような事態を招く、若原も知らない
謎の部分など窺えよう筈がなかった。

謎か--と若原は呟く。
もう1度、由希のおフクロさんに
会ってみよう、と思った。
由希と一緒に暮らして来た人だ。
俺など知らん、由希の昔の話が聞けるかも知れない。
そして、ひょっとしたらその昔の話から、
彼女の行方を知るヒントでも出て来ない、とも限らん--
若原は、藁にでも縋る気持ちでそう考える。
いずれにせよ、それはまた明日の話だ。
今夜はとりあえず村上と飲もう。
ひょっとして村上が何か情報を得ているかも知れん--
若腹は足早に『馬酔木』に歩いた。


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