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自筆の手紙を送ろう

 デジタルが主流の社会となり、手紙を書くことが少なくなった。年賀状はパソコンに一任という人は、私だけではないだろう。若者の年賀状はSNSに置き換わり、年賀はがきの売れ行きが悪くなってきているようだ。しかし、特徴ある自筆の手紙や個性豊かな絵手紙を戴くとやはり嬉しい。その手紙から溢れる柔らかさや温かさは、視覚的なものと文章の内容の両方が混ざり合い、何となく心が安らぐ。年月と共に色あせても、読み返すことで、再び安らぎを与えてくれるものである。  
 高校生の時、後輩からもらった手紙は、今でも実家に大切にしまいこんでいる。40年近く経った今、ボールペンで書いたインクの文字は薄くなってきているが、読み返す事で甘酸っぱい思い出と共にその時代の自分にタイムスリップさせてくれる。さて私が彼女に返信した手紙は、残っているだろうか。今は亡き人の手紙も、読み返すと生前の姿を色鮮やかに回想させてくれる。有難い励ましの言葉は、今の自分にどう反映しているか再認識させられ姿勢を正す。走り書きのメモや、苦言を呈する手紙の文字は、その筆圧や筆跡が内容とともに筆者の心境をストレートに訴えかけてくる。誤字脱字も、パソコンの入力ミスよりは、書き間違いの方が奥ゆかしく、つい笑みがこぼれる。  
 コロナ禍で、デジタル技術を利用することが当たり前となってしまった。新しい生活様式というフレーズで、日常生活のデジタル化が進み、私たちはそれに埋もれている。便利なのは理解できるが、なんとなく無機質な冷たさと薄っぺらさを痛感する。ビデオメッセージなどがリアルタイムで可能になったが、見えない人を創造する楽しさが手紙にはあると思う。昔の雑誌に文通募集といった記事があったこと、今の若い人は知らないだろう。現在で例えると、あまり良い表現ではないがSNSの出合い系みたいなものだろうか。でも昔の文通募集は健全なイメージだった。手紙が醸し出す風情がその健全さを表現していたのではないか。昔も文通から始まり結婚に至ったカップルがあったようで、その点では出合い系と似てはいるが。  
 やはり、手紙の素晴らしさを再認識して、次の世代に繋げることが大切だ。私はなるべく自筆で手紙を書くことに努めようと思う。

#未来のためにできること

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