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続∶午睡とピクニック #5


 カタッと小さな音がした。
 ぼくの心臓が早鐘を打ちはじめる。
「あなたは少し待っていてね、こゆりちゃん。少し、あおいに言っておかなければならない事があるの」
 姉さんの声だ。
「…碧」
「姉さん?」
 ベッドの上に、ストールを抱きしめたまま、黙り込むぼくの背中に、姉さんが、そっと手を伸ばし、上下にさする。
「私、帰らせてもらうわね。目的の話も出来たし、十分だわ。それから…」
 姉さんは、ひと息ついて、にっこり微笑んだ。
「おめでとう。ふたりの幸せを祈っているわ」
という、良く分からない言葉をぼくの耳元でささやく。そして、妖艶な笑みを浮かべながら、我が姉ながら、どうしたらいつも意味深な台詞を言えるのか分からなかった。
 姉さんは、フフッと笑って、入れ替わりに、いつものキャミワンピース姿のこゆりが、おずおずと部屋に入ってくる。
「…あおちゃん」
 いつもの、か細い声音で、こゆりが、ぼくの名を呟く。
「…こゆり、君をあの暗い部屋から、ぼくの腕の中に連れ去ったのは…間違いだったのかな…」
「そんなことない。ごめんなさい…ごめんなさい…あおちゃん…」
 ふわっと野の花のブーケのような、あまい匂いが、ぼくの背中ににしがみつく。
「謝らなくていいんだ。こゆりは、何ひとつ悪くないよ」
 

白いお花、大好き

「そ…それなら、あおちゃんも謝らないで」
 こゆりは、ぼくが抱きしめているピンクのストールを見つめ、
「…あおちゃんは…あおちゃんは…ずっとわたしを大切にしてくれた。それなのに、わたしはMO-VEの時みたいに、いつか…いつかあおちゃんにも捨てられる日が来るんじゃないかって。ここを出ていってって、言われないか…ずっと不安で、眠ることでしか忘れることが出来なくて…。そばにあおちゃんが居ないと不安で…怖かったの。あおちゃんが、大好きって言ってくれたときも、嬉しかったケド…こんな幸せも、心の奥から信じられなくて…」
 こゆりは、ずっとうつむいたまま、ぽつりぽつり話す。
「ぼくは、そんな無責任なことは言わないよ。もしも、こゆりがぼくのせいで、失ってしまったものがあるのなら、どんなことでも責任取るよ。だから、ぼくに言って」
 ぼくは、こゆりの薄い肩に、ピンクのストールをふわっと掛け、ぎゅっと抱きしめる。

お気に入りのピンクのストール

「あおちゃんの…バカ…」
「え?」
 キョトンとするぼくに、こゆりが下から見上げて、ぷくっと頬を膨らませる。
「…MO-VEの時に、言ってくれたじゃない。『こゆりの代わりは、一人も居ないよ』って。わたしのこと、大切なら…取ってほしい責任はひとつだけ。これからもずっと、あおちゃんの傍に居させて」
 ぼくは…。
 ぼくは大馬鹿だ。なんで、こんなに大切なこと、こゆりに言わせてしまったんだ。
 涙が頬をつたう。さっきから、ぼくは格好悪い事だらけだ。ほら、こゆりが、びっくりして不安そうな顔になる。     そして、いつもとは逆に、ぼくの頬をつたう雫に、花の蕾のような唇で優しく拭う。
「ぼくは、宇宙一鈍感で、宇宙一の幸せ者だね」
 ぼくは、半泣きの状態で、くしゃっと笑む。
「あおちゃん、大好き」
 こゆりの華奢な身体を抱きしめ、サラサラの透明感のある、髪に顔を埋めた。それから、顔をあげて、背筋をピンと伸ばし、こゆりの小さな手を持ち上げた。
かなでこゆりさん。ぼくと結婚して下さい」

ぼくと、結婚して下さい

 ぼくの求婚に、こゆりはこれ以上ないくらいに、幸せそうに、
「…はい」
と、笑みを浮かべたまま頷きかえしてくれた。
 すると、にっこり微笑んでいたこゆりが、突然、口元を押さえ、ベッドから降りて、口元を覆った。可憐な顔を、苦しそうに歪める。
「ご…ごめんなさい。あおちゃ…っ」
 それだけ言うと、こゆりは数歩後ずさり、身を翻して寝室を出ていった。求婚を断られたわけではない。でもまた、家を出ていくのではないかと、不安になり、ぼくはこゆりの後を追った。
 こゆりは、洗面所にいた。ツンと酸味のある匂い。こゆりは、洗面台に身を屈めて、苦しそうに吐いていた。ぼくは、その光景を呆然と見つめ、やがて少しずつこゆりの傍に近寄り、背中をさすった。夕食に食べたものを全て吐き出してしまうと、こゆりは、ずるずると気が抜けたみたいに、その場にうずくまった。ふと、姉さんの言葉が、頭をよぎった。
『おめでとう』
 そうか。そう言うことだったんだ。姉さんも女の人だ。気づくのが早いのは当然だ。
「こゆり。…これって…つわり…だよね?」
 ぼくは慎重に言葉を選び、こゆりの背中をさすり続ける。こゆりは、小さく頷いた。
「いつから?」
 ビクンと背中をふるわせ、こゆりが小声で、
「…もう、生理2ヶ月きてない…」
と、言う。瞳に涙が溜まり、今にも零れそうだ…。
2ヶ月といえば、ぼくがこゆりをここに連れてきて、少し経った頃だ。ぼくは、トクトク心臓が高鳴り、口の中がカラカラに乾いてしまった。相手は?と、訊きたいのに、声がなかなか出てこない。でも、ぼくは大胆にもこう言ってしまった。
「……ぼくの子だよね?」
 こゆりは、やたら無闇に遊んだりしない。相手が、居るのなら…ぼくでしかない。
「うん。あおちゃんの子…だよ」
 こゆりは、床を凝視しながら、お腹をさすり、小声で訊く。
「産んでも…」
「良いに決まっているじゃないか!こゆりとぼくの子供だよ、沢山沢山愛してあげよう」
 ぼくは、こゆりをそっと抱きしめて、幸福感に浸りながら、こゆりの額に口づける。
「…ありがとう、あおちゃん」
 こゆりが、嬉しそうにフワッと笑った。




続∶午睡とピクニック〜#6〜へ、続く


文     ふありの書斎

イラスト  月猫ゆめや様


※ 続∶午睡とピクニックのマガジンも作成しましたので、途中参加の方は、そちらからもご拝読下さい。




  

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