続∶午睡とピクニック #1
ブラインドを閉めた部屋に、静かに雨音が聞こえてきた。寝室のベッドで、浴室から上がったばかりの、こゆりのやわらかい髪にまとわりつく透明な水滴を、ぼくはふかふかのコットンのタオルで乾かしていた。こゆりは、頭皮が弱く、ドライヤーが使用できないのだ。
ボディソープのあまい香りがこゆりを包む。それだけで、ぼくは酔いそうになる。
「…碧ちゃん、どうしても眠らないと、いけないの?」
まっすぐな口調に、すこしだけ反抗的な感情がこもっている。
「眠るのが大好きなこゆりなのに、嫌なの?」
こゆりの髪の毛からパタパタ水滴を拭いながら、ぼくは可笑しそうに訊いてみる。
「いじわる。意地悪あおちゃん。わたしも、甲斐くんと翠さんに会いたい。なんで、わたしだけ仲間外れなの?」
「ちょっとした仕事の話だよ。モデル業のね。こゆりには退屈だと思うから、眠ったほうが良いと思うんだ」
仕事の話と聴いて、こゆりは薄い肩をううっと更にちぢこませて、それでも納得がいかないと訴える。
これから甲斐が、昼間買ったこゆりの服を届けに来る。昼間見せる、可憐で儚げな雰囲気のこゆりだが、お風呂上がりに変貌することに、ぼくはまだ慣れない。あまい香りの上気した肌は、キャミワンピース越しでも、ふわっと漂い、その姿があまりにも犯罪的にあだっぽく、とても他の男には晒すわけにはいかない。
今だってこうして、濡れたつややかな髪から覗く、こゆりの顔はほうっと色気があって、ぼく自身、ぎゅっと抱きしめたくなるのを自制しているのだから。
ぼくだって普通の男だ。
「いや」
「え?」
こゆりが薄っすらと瞳に涙を浮かべて、ぼくにガバっと抱きついてくる。
だから…だから…ぼくだって普通の男なんだよ、今の色っぽいこゆりにこんなコトされたら、自制心の箍がふっ飛んでしまう。
「せっかくあおちゃんが居るのに…一緒じゃないなんて、嫌。お仕事のお話でも、あおちゃんの声を側で聞いていたい。…ひとりで残されるのは、もう嫌なの」
こゆりの言葉にぼくの胸に痛みが走る。痛い。こゆりの気持ちに応えてあげることが出来ないことに。
「ごめん。こゆり。こゆりが寝つくまでは、ずっとそばにいるから。…勝手だけど、ぼくの気持ちも解ってほしい」
「…じゃあ、今夜だけね」
「うん…」
ぼくが深く頷くと、こゆりは淡く微笑して、
「約束よ…」
と、呟き、ぼくの腕の中からそっと離れて、ベッドの中に入る。こゆりの、花のようなぬくもりが、すうっと離れていくのが淋しく、自分で決めたことなのに、と薄く笑った。
「お休みなさい、あおちゃん」
*****
雨音に消え入りそうな小さな声でそう呟くと、瞳を閉じ、ぼくの手をぎゅっと握ってきた。ぼくは、その白く小さな手の甲に口づけ、
「約束…するよ」
と、呟いた。
*****
玄関のチャイムは鳴らなかった。こゆりが眠りの国に誘われてから、ぼくはコーヒーを飲みながら、眠気を払い、リビングのソファーに身を預けていた。
「おーい。王子サマ、起きているか?眠っていないよな〜?」
ぼくは、リビングの掛け時計を確認した。
PM 11∶05
「甲斐…。姉さんも」
「おうよ。約束通り昼間買った、お前のお姫さんのドレスを届けに来たぜ」
すると、カラカラと車輪が回転する音が聞こえてきた。リビングの扉を開けると、ホテルでポーターが手押ししているような荷台の上に、花や果実がプリントされた丸箱が積んであった。昼間、ピンクハウスの店員に包ませたものだ。
「甲斐くんたら、一箱ずつ運ぼうとするのよ〜。そんな七面倒な事はするなって私がマンションの管理人にお願いして、荷台を貸して頂いたのよ。お陰で、一回で荷運び終了ってわけ」
口元を手で覆って、ホホホと姉さんが笑って、甲斐の後から現れた。頭は使うもののためにあるのよ、と余裕たっぷりだ。
「有難う、姉さん」
「どういたしまして。あら、コーヒーを飲んでいたの?今夜は碧と、長話になりそうだから私も頂こうかしら」
この場面の雰囲気をガラリと変え征服させてしまう姉さんに脱帽してしまう。そのリビングの隅で、甲斐がが黙々と、ピンクハウスのメルヘン調の箱を床に積み上げながら、これ以上、火の粉が降りかからないように、存在を薄くして動いている。
どうやら、姉さんのコーヒーを淹れるのはぼくの役目のようだ。姉さんは先程まで、僕が座っていたソファーに身体をゆだね、くつろいでいる。
ぼくは、黙々とキッチンに入り、バリスタを再起動させた。
「碧、私、エスプレッソを頂きたいわ。コーヒーじゃなくてね」
「眠れなくなるよ、いつもの様にラテや、カプチーノにすれば良いのに」
ころんと、まるみを帯びたエスプレッソのカップを用意しながら、一応訊いてみる。
「構わないわ。言ったでしょ、今夜は話が長くなるって。思いっきり濃いのをお願いね」
「了解、姉上」
カタカタと鈍い音と共に眠っていたマシンが動き出す。こんな時間に起こされて、バリスタも気の毒だなぁと、黒にペインティングされた頭部を擦りながら、でも、姉さんには絶対服従だし、仕方ないねと思う。
「はーーーっ。荷下ろし終了。碧、俺もひと休みさせてくれ…エスプレッソはいらないからさ」
甲斐が、簡単なストレッチをしながらぼくに、催促の目を向けてくる。ああ、ぼくらが3人揃うと、侍従関係が発生する。
姉が一番、次に、甲斐、そしてぼくは最後だった。
続∶午睡とピクニック〜#.2〜へ続く
文 ふありの書斎
イラスト 月猫ゆめや様
※この作品はコラボ作品となっております。これから1週間、全7回の小説です。
この作品を通じて、皆さまが、少しでも笑顔になって頂けたらと…願っております。
noteクリエイター
ふあり&ゆめや
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