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続∶午睡とピクニック #4


「こゆり!待って!」
ガチャガチャと、慣れない手つきで、玄関の扉を開けて出ていく、こゆりを、ぼくは必死に追った。あんなに小さな身体のどこに、こんなスピード感があるなんて。信じられない。長い髪を左右に振り、キャミワンピースの裾から覗く、ふたつの細い素足で、駆けていく。
 こんなのは嫌だ。
 ぼくから去っていくこゆりを追いかけるのは嫌だ。
 素早い小動物の様に、こゆりはエレベーターに乗り込み、ぼくが追いつく寸前で、扉を閉めてしまう。こゆりはうつむき、表情が窺えなかった。 エレベーターは途中で止まることなく、真っ直ぐ一階に降下していった。ぼくは、隣のエレベーターに乗り込み、急いで一階を目指した。

真実を知ったこゆりは外へ

 一階の、フロントに着くと、ぼくはフロアを駆け、中央の回転式のドアを飛び出した。
 瞬間、ザァーーーッと、雨粒が、ぼくに叩きつけるように降ってきた。
 こんな雨の中、こゆりはどこへ行ってしまったんだ…。
「ッ、こゆりっ!何処?!」
 針のように細く鋭い雨が、容赦なくぼくを叩きつける。
 大きな声で叫んでも、雨の轟音にかき消されてしまう。ふらふらと、360度、身体を回転させながら、こゆりの姿を探す。
 その時、中庭の街灯の下に白くうずまっているこゆりを発見した。ホタルカズラの、瑠璃色の花の茂みの中に、こゆりが、丸くなって倒れている。
「…こゆり!」
 ぼくは中庭の囲いを飛び込み、動かないこゆりに、ゆっくり近づき、そっと身体に触れる。微かに呼吸している。しかし、身体が、すっかり冷え込んでいた。気絶しているこゆりの、小さな身体をすくい上げるように抱きかかえて、その場から立ち上がった。
 雨が、降り続いている。
 ぼくらは、お互いびっしょりに雨に打たれながら、家へ戻った。玄関には、ぼく達ふたりを招き入れるように、姉さんが、玄関の扉を開けて待っていてくれた。
「…あおい…大丈夫?」
 ぼくは、俯いたまま、コクンと頷き、姉の心遣いに感謝した。
「なにか、私にできる事はある?」
 こゆりの、気を失った白い顔色にびっくりしながら、気力を保ち、毅然とした声音で言う。
「取り敢えず、着替えを…あ…いや。バスタブにお湯を張ってくれないかな?このままだと、風邪をひくから…」
「ええ。分かったわ」

女王気質だが、情に脆い翠


ぼく達は、浴室へ入ると、大理石の床に、金の四つ脚に支えられた白いバスタブの中に、こゆりを横たわらせる。お湯の栓を姉さんがひねり、ゴボゴボと温かいお湯がほとばしる。その音は、雨の轟音にも負けないくらい浴室に響くので、こゆりが目を覚ました。
「…わたし」
 まだ意識が朦朧もうろうとしているのか、こゆりはバスタブの縁に預けた頭を、ゆっくり動かしてみる。
「…碧、あとは私に任せて、あなたも着替えなさい。ずぶ濡れで、風邪を引いてしまうわ」
 姉さんの、「あおい」というぼくの名前に反応したのか、こゆりがビクッと身体を震わせた。ぼくは、こゆりに言う言葉一つ見つからず、無言のまま、立ち上がると、こゆりの視線を避けて、浴室を後にした。姉さんと入れ替わる。

 扉を閉め、ガタッと音を立て、背中を預ける。雨に濡れた額に手を当て、もう一方の手で、シャツのボタンを外して、胸ぐらを掴む。

 乱れる呼吸を平静に戻し、壁に手をつけながら、千鳥足で、寝室に入る。

モデルで培った笑顔の碧

 瞬間、先程こゆりを寝かしつけていた時の、あの、こゆりのあまく上気した匂いが、鼻を刺激した。
 自然と、ベッドの上に、くしゃっと、無造作にまるまった、こゆりのピンクのストールに手が伸びた。
 高価な香水なんかスプレーしなくても、可憐な野の花の、あまい香りのストールに顔を埋めて、むせび泣いた。
 サーーーーッと、静かに寝室に雨音が響く。ぼくは、無意識にズボンのポケットから、四つ折りに畳んだ、1枚のポストカードを取り出した。硬い、紙質なので、文面が滲んだり、汚れてはいなかった。
 ぼくは、こゆりのストールを抱きしめたまま、ポストカードの文面を黙読した。

”あなたに着て頂きたかった服が沢山ありました。お仕事とはいえ、あなたの着る服は、魔法のようにキラキラ輝いていて、もっとお手伝いがしたかったです  服の妖精より“

「…こゆり…ぼくはただ、使い捨てのモノ扱いしたMO-VEが、許せなくて…現場で、君に、また出会えると思って、楽しみにしていたのに…。君に会いに…。でも、君は、仕事をクビにさせられて、アパートの一室でずっと泣き続け、眠るだけの廃人になってしまっていた…」
 だから、連れ出した。あの暗い部屋から、明るい光刺す場所へ…この家に。ぼくの腕の中に。
 

白い花と戯れるこゆり

でも、それは間違いだったのだろうか?MO-VEで、土下座するように、先輩スタイリストに頭を押しつけられていた、こゆり。君が、自然と笑える姿を見たかった。きっと、素敵なんだろうと…花のような優しい笑顔が見たくて。
 初めて、服の海に埋まっていたこゆりを見てから、ずっとこゆりが好きだった。




続∶午睡とピクニック〜#5〜へ続く
 


文    ふありの書斎

イラスト 月猫ゆめや様

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