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精神障害者の紡ぐ言霊 

※閲覧注意※
この記事は、日本の、社会、人間、価値観を、障害者という部分にスポットを当てて書かれたものです。人間の、個人個人の考え方、認識がある上で、わたしの、勝手な独白と受け取って頂けると幸いです。


未だに耐えぬ障害者への偏見、差別…イジメ、殺人。


記憶に新しい、相模原障害者施設の残忍な殺人事件。


加害者は、

障害者は生きている意味がない


テレビのニュースで、知った、加害者は、動くことも、話すことも、何も出来ない、ただ、ベッドで寝たきりの生活をしている障害者は、社会にとって不必要である、と。


だから、そんな価値のない人間は、自分が消してやるというような事を述べています。


加害者にとっては、それが正義、自分は障害者の居ない、平和な社会を築くのだと、供述しています。


なんの価値もない、生きていて意味のない人間なんて、この世に存在するのでしょうか?


某ニュースで知った、言葉を発することの出来ない障害者。

その方が、ある日、


「………あ……あ………」

と、発します。


ご両親は自分のお子さんの、始めて発した言葉に、この言葉を聞くために生きてきた。そう仰っていたそうです。


わたしは、この障害者さんは、ご両親にいつも見守ってくれる事を、心の中で感謝していたのでしょう。口から声が漏れたとき、その想いが、叶ったとき、ご両親も、障害者のお子様も、生きている意味を体感したのではないのでしょうか。


人間は、ただ、生きているだけで、存在価値、意味、があるのだと思います。


それは、健常者も、障害者も変わらないと思います。


今回、何故、わたしがこのようにデリケートで且つ、重たいテーマを記事にしたのは、ひとえに現代社会から、未だに根強く蔓延はびこる、

知的、

精神的、

身体的、

その他、いくつもの障害者への偏見や差別を抱く方が、一人でも減って欲しいからです。


人間の考え方は、人それぞれです。


なにが、正しくて、なにが間違いなのか、その区別は、生きている人の数だけある、即ち無限ループだと思われます。


それでも、わたしは偏見、差別のない、心の優しい人々の社会であってほしいのです。



精神障害者  ふありの書斎




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