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罪悪からの解放 #1

《誰に何を言われても救われない。死にたがりの女の子の前に現れた、黒法衣を纏ったまとった青年との物語》


#1  

 その日は、連日の晩夏が続き、真夏日が復活したかと思えば、急に秋を通り越した真冬の寒さに、人々は収納ケースから防寒のためにコートやジャケットなとアウター類を引っ張り出す始末だった。
路地に面した店から娘が一人出てきて扉の鍵を閉めた。娘は小柄で物語のヒロインのような美しいと表現できるわけでもない、ごくありきたりな容姿だった。うなじで、切られたくすんだブロンドの髪に、唯一、人目を引く澄んだ碧の眸が印象的だった。また、家の中に長く居るせいか、肌は病的な青白さでか弱気な印象を与えてしまっている。
 一週間前に父が他界し、喪中の娘、エナフィーナは黒の喪服用の装飾のないシンプルなドレスを着ている。腕に下げた、買い物籠を包む布も黒いリネンだった。
 これから夕方の市に出掛け、夕食の食料品の買い出しだった。…が、一人暮らしの為毎日出かける必要もない。それでも、毎日出かけるのは体力をつけるためと、街の活気に少しでも触れていたいからだ。
 自然と視線が下を向く。
 前を見て、堂々と歩いていたのはいつの日までだっただろうか。
 その時。ドンっという衝撃音と痛みで尻餅をついた。石畳に買い物籠がゴロゴロッと転がる。
痛みを堪えて視線を上に向けると、見知らぬ若い男の二人組がニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべてエナフィーナを見下ろしていた。
「っ痛ぇ…」
「どこ見て歩いてんだよ!」
 エナフィーナは、彼らの言葉に慌てて足を揃えて土下座した。両の手を重ねて、そこに頭を押しつける。娘の行動に拍子抜けした二人組はケッとつばを吐き、エナフィーナの頭を掴むと、落胆したように首を振る。
「垢抜けねえ女だな。そんなんじゃ誰も相手にしてくれねえぞ、覚えとけブス!」
「ハハ、その通りだな。兄貴ぃ、こんなブス相手にしてないで、どっかで一杯やりましょうよ」
「おう。その通り、お前の奢りでな」
二人組はゲラゲラ笑いながら、市中に消えていった。
 男たちが去っていってからも、エナフィーナは、土下座を続けていた。街路を歩く人々は、エナフィーナの姿を薄気味悪そうに、見て見ぬふりをして通り過ぎていった。
一時ばかり過ぎた頃、エナフィーナにそっと近づくものがいた。黒法衣を纏い、黒のフードを目深に被っている。神父かとも思われたが、そういう雰囲気でもない。
「…顔を上げなよ。はい、手」
 やわらかい、優しさを包み込んだ声に、ビクッと肩を震わせ、エナフィーナは恐る恐る上をみあげる。
 その人物は、にこにこ笑みをたたえた、まだ少年の面影の残る、けれど怖いくらいの美貌の青年だった。サラサラといい香りのするホワイトブロンドの髪と、神秘的な深紅の眸。長身痩躯の身体を折り曲げて、エナフィーナに手を差し出している。彼の背後から、まだ生後1年も経っていない仔猫が二匹トコトコ歩き、ぴょんぴょんと地面に座り込んだままの、エナフィーナの買い物籠をあさり始めた。
「あーっ!ポテチ!チト!」
 仔猫達は買い物籠からビスケットをくわえて顔をあげる。黒法衣の青年は、片手で顔を覆い、
「しまった…お昼ゴハン忘れてた…」
と、自分の失態に気づく。
「…構いません。これ全部召し上がって下さい。わたしも、そんなに空腹ではないので」
 エナフィーナが俯きながらハンカチに包まれたビスケットを、まるごと黒法衣の青年の胸板に押しつける。
「え…良いの?」
 キョトンと、眸をパチパチさせて訊き返す黒法衣に、エナフィーナは、黙ったまま二回頷き、
「じゃあ…わたし帰るので…失礼します…さよなら」
 いそいそと買い物籠を手に握り、喪服のドレスの裾を翻してその場を走り去った。
「あっ!キミ、名前は!?あ〜う〜行っちゃった」
 黒法衣は、肩を落とし、ホント名前だけは確認したかったんだけどなあ…と呟いていた。
「ま。彼女だろうね…エナフィーナ・ルベア」

罪悪からの解放#2へつづく

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