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罪悪からの解放 ACT.2 #2  

 
  ”命の重みは何ものにも替えがたく、尊く奇跡的な存在である。
故に、命を軽視する者は、その時点で地獄の王に裁かれるであろう“


#2
「あとね、キミに告げなくてはいけないことがある。実のところ、神様の罰とか、償いとか綺麗事は沢山あるけど…仮想なんだよね。そういうのって、人間が勝手に考え、従っていること。もともと神は『愛』そのものだから、罰とかは人間の仮想みたいなものだよ」
 エナフィーナに掴まれた手を離し、両手で大きな輪を作ると華奢なエナフィーナをすっぽり包み込み、
「…それに、僕はキミのような美しい魂を壊すことは出来ない。キミは、真面目で、正義感が強くて、優しくて、自分に厳しい。このままでは、キミ自身が壊れてしまうよ」
 エナフィーナは、寝台のシーツをギュッと握り締めながら、硬い表情を崩さない。そして、ゆっくりと口を開き、「分かっています!…いいえ…覚悟はあります。オーソヴィル様の言う通り、罪を償いつつも、自分の罪は…きっと忘れないと…それも全て受け入れる覚悟で。…わたし…命を断つことに…後悔はないんです」
 エナフィーナは、オーソヴィルから身を離し、自分の感情をオーソヴィルにぶつける。オーソヴィルも固い表情をしていたが、ハーッと息を吐き。
「…キミの家に帰ろう。そして罪の意識を忘れ、生まれ変わった気持ちで、新しい人生を歩むんだ」
 断固とした意志でそう告げると、窓枠の中の絵画のような夜空の月を眺め、
「キミのアパルトマンに帰ろう」
と、淡々と呟いた。

 築20年の、アンティークのような、煉瓦レンガの外壁のアパルトマン『アリアドネ』は、7階建てで、勿論エレベータなんて便利なものはなく、住人は階段を登って自宅がある階までいけなかった。エナフィーナの自宅は5階にあり、年季を重ねれば重ねるほど、昔ながらの味が出て、高級住宅街に負けず劣らずの別の魅力的な住居になっていた。
 時は夜。
 エナフィーナが絶命した晩に戻る。エナフィーナは、ベッドに横になり、気を失っている。胸のナイフをいとも簡単に引き抜いたオーソヴィルは、蛇口でもひねったかのように、赤い鮮血がオーソヴィルの身体にピシャっと音を立て吹き上がり、オーソヴィルの整った顔や、法衣にまで飛び散る。オーソヴィルは、無言のまま、鮮血を享受するかのように、その場を微動だにしない。そして、出血が収まると、短剣から紅の石の塊のようなものを引き出すと、キラキラ光るそれを、エナフィーナの胸元に押し込む。命の光がほとばしる。
 だいぶ古くなったシングルの木製寝台に横たわるエナフィーナが、そおっと眸を開くと、驚愕の表情を浮かべ、絶望的な淀んだ眼球をオーソヴィルに向ける。
「…嘘つき」
 そう呟いてエナフィーナは再び気を失う。
「そう…だね…僕は嘘つきだ」
 自嘲的な笑みを浮かべて、立膝をするとエナフィーナの顔の輪郭をなぞるように手を這わせ、
「…死刑執行人が恋に落ちるなんて…僕は失格者だ」
 オーソヴィルは、ぐっと上背を伸ばし、エナフィーナに口づけようとしたが、美しくスラリと伸びた指と掌でエナフィーナの頭部を抱きしめた。
「…とても美しいこころ…だね」

 キチネットから聞こえてくる騒音でエナフィーナは目を覚ます。
「ぅんん。…なんの音?」
「エナフィーナ、ごめん!朝食作ろうとしたんだけど…失敗しちゃった!」
 その声に、エナフィーナはため息をつき、片手を顔に当てる。
「…余計なことを…」
しなくていいのに…と言おうとして、途中で言葉を押し殺す。これはこれで、彼なりの優しさだからと思えたから。
 エナフィーナは、恐る恐る自分の胸元を見るが、なんの痕跡もない。まして、ナイフの刺さった跡なども。
 エナフィーナは、眸を閉じ、そっと唇に手を当てる。
「…な…に、?お花…の…香り…?」
 繊細で瑞々しい儚い残り香のようなものが、ふわっと香り消えた。エナフィーナは、首を傾げ、どこかで嗅いだことのある香りだ…と思った。寝台の端に掛けてある母から譲り受けたローブに袖を通し、ふわっと纏い、キチネットに行くと、貴重なミルクの密閉瓶が倒れ、ポタポタッと雫を床にこぼしている。
「なっ…何やっているんですか?!」
「あ…朝ごはんを…」
 オーソヴィルが苦しそうに唸りながら床に転がっている。
「それはもう聞きました」
エナフィーナが、ミルクの瓶の中身をを確かめると、はぁと息をつく。心配していた程、減ってはいない。
「…あなた、本当に死刑執行人なんですか?外見はどこかの王子様みたいだけど、中身は結構抜けているんですね」
 そう嫌味を言いながら、エナフィーナは、汚れた床を雑巾で拭き、ついでにオーソヴィルもその場に正座させる。
「家事はすべてわたしがします。邪魔しないで下さい」
 それだけ言うと、エナフィーナは腐り始めないうちに早めにミルクをグラスに注ぎ、買い溜めしていたバゲットをスライスして、裏庭で飼っている鶏の卵をと、大家さんから貰ったベーコンを細かく刻み、スクランブルエッグを作った。
 小さなテーブルにオーソヴィルの分の朝食を用意し、椅子に誘導する。
「え、え、え、。僕の分もあるの?」
 眸をキラキラ輝かせて、オーソヴィルは、椅子に座って
眼の前に広がる、ベーコンと卵のスクランブルエッグやスライスしたバゲット、新鮮な野菜サラダ、ミルクとお砂糖に漬けた苺のデザート。
 オーソヴィルは、両手を合わせて「いただきます」と、言うとどれから食べよううか眸を泳がす。
「だって、あなたとても細いんだもの。黒法衣を纏っているから身体のラインこそ出ないけど、顔小さいし、手首細いし…まともな食事を採っているの?」
 「ん〜僕は仕事に専念するタイプだから…あんまり食べることに意識が回らないっていうか…。でも…こんなにも美味しいごはんを見ちゃうと…ちゃんとしなきゃって思った」
なるほどと、死刑執行人の異常なまでの細身の身体には、そんな秘話があったのか。
「食べながらのままで構わないから聞いて。うちは、レースで生計を立てています。小さなコサージュから、大きくなればベッドカバーを依頼されることもあるの」
 エナフィーナの言葉をBGMにして、オーソヴィルはまるで、音楽を奏でるかのように軽やかに品良く朝食を咀嚼しながら、時折頷き耳を傾けている。
「レースってキミのイメージにぴったりな響きだね」
エナフィーナは、かあああっと顔を真っ赤に染めて、
「全然違いますよ」
と、フイッと顔を背ける。
「あはは。可愛い」
「おふざけはやめてください。と、とにかく僅かですが懇意にしてくださる顧客さまも数名います」
 うんうん、とオーソヴィルは、機嫌よくピンと人差し指を立て左右に振る。
「よく言うよね。誰かに必要とされる自分ほど幸せなことはない、って三文小説にあるようなチープな言葉。キミが亡くなることで、その僅かばかりの顧客は悲しむんじゃないかな?」
 エナフィーナは唇を噛む。オーソヴィルは痛いところを突いてくる。
 床の切れ目をじっと凝視しながら、エナフィーナはゆっくりと語る。
「天国の祖父と父には会えないけど…会えないけど…もう…そういう気持ちにもなれなくなってしまいました…」
 すると、いつの間にか食事を終えていたオーソヴィルが、ナプキンで口元を拭い、
「いろいろ僕なりに考えてみたんだけどね…」
「…え?」
死刑執行人オーソヴィルは、にっこり笑って給仕のようにそばに立つエナフィーナの華奢な手を取り、
「僕のお嫁さんになりませんか?」
と、美麗の顔をやや赤く染め、前代未聞のプロポーズをした。

罪悪からの解放ACT.2 #3へつづく

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