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仮面ライダーファイズが好きだったことに気付いた人のパラダイスリゲインド感想

どうも、記事を開いていただきありがとうございます。
今日、仮面ライダーファイズの新作映画、パラダイスリゲインドを劇場で鑑賞してきました。感想を共有できる人が身近にいないので、とにかく書いてみようと思い何年か振りにノートを更新しています。ネタバレ全開で今回も感じたままに綴っていきますので、まだ見ていない方はご注意ください。
重ねて、今回は感想の9割方が酷評になってしまいそうなので、不快に感じる方は読まない方がいいかもしれません。「それでもいいよ!」という方は是非最後までお付き合い下さい。それでは始めます。



 
 今回の映画の感想を簡潔にまとめると、「あまりにも酷い。これはファイズなのか。何を見せられたのか。」というところである。では何故そう感じたのか、最大の理由は今回の映画がファイズという作品の大切なところを思いっきり外してしまっているからだ。
 私は「仮面ライダーファイズ」の根底にあるのは「夢を持つこと」、「自分と違う存在と共存すること」の二つだと思っている。これらのテーマを様々な登場人物の視点で良い面も悪い面も描いたことがファイズの最大の魅力であり、今作でそこが深堀りされることを期待していた。だが、どうもその辺りが放り出されてしまった感が否めない。

 まず一つ目の夢を持つことについて、テレビ本編で多くの葛藤を乗り越えて辿り着いたはずの「人間とオルフェノクの共存」という夢に対する巧の意志が弱すぎる。上映時間の関係で20年間のあれこれを描けないのは仕方がない。しかし、今回の映画を見る限りでは「自分の死期が近づいたことで心が折れ、生き延びる術が見つかったのでそちらを選んで長年の仲間を裏切った人」にしか見えない。映画の途中までは「口では疲れたとかどうでもいいとか言いつつも、何かスマートブレイン側に寝返らざるを得ない事情があるんだろうなぁ」と見ていたのだが、終わってみれば本当に言葉以上の裏はありませんでしたというオチ。「これが本当にあの乾巧か?」と言いたくなる程に弱すぎる。少なくともテレビシリーズでの巧は自分が損をしてでも誰かのために行動する男であり、根はすごくいいやつだった。しかし、そこがぶれてしまうと最早ただの口が悪くて愛想のない嫌なやつになってしまう。「それが夢に破れた中年のリアリティだ」と言えばそれまでだが、はっきり言ってそんなリアリティを私は求めていない。20年振りに再会したヒーローが目標を失って自暴自棄になっている姿は正直なところ見たくなかった。昔はスマートブレインに従うくらいなら死んだ方がまし、と言える力強さがあったのに、、、と思うばかりだ。
 さらに、この状況からの立ち直り方もとんでもなく酷い。ここまで散々に言った巧の弱さも、立ち直り方次第では大きな盛り上がりに向けての前振りになり得る。実際、映画の中盤くらいまではそうなるのだろうと思っていた。
 だが、蓋を開けてみると「気持ちの弱っている真理にすがり付き、一線を越えたことでなんとなく立ち直った人」になってしまっている。繰り返しになるが、「これが乾巧?いやいや、何かの間違いだろ」と思わずにはいられない。この後に旧ファイズで一見格好良く敵を倒したところで、こちらはどういう気持ちで見ればいいのか、としか思えなかった。ラーメン屋のシーンで海堂が言っていた「お前がやらせてれば、、」という発言の通りになっているし、「なんとなく心を入れ替えた風に見える」という台詞もやはりその通りで、不要なリアリティに巧のキャラクターが押し潰されてしまっている。
 違和感があったのは巧だけではない。真理に関しても美容師になる夢はどうしたのか、と言いたくなるし海堂のラーメン屋で働いていた若いメンバーも何か夢や目標を持っているわけでもなく、何のためのキャラクターだったのかいまひとつはっきりとしない。個人的には夢ばかりを語る年齢ではなくなった巧や真理が若い世代に夢を託すとか、若者の夢を守るために奮闘して散るとか、そういった何かしらの結論や落とし所はあったように思うが、結局描かれずじまいの投げっぱなしというのは許しがたい。

そして二つ目に自分と違う存在との共存について、これに関してもファイズの続編として酷いという他ない。
 真理がオルフェノクに覚醒する、というのは今作の中でもかなりインパクトのある展開だが、これは失敗だったように思う。そもそも20年前に巧や木場が望んだ理想は人間とオルフェノクの共存であり、どちらか一方の勝利ではない。あくまでも共存である。だからこそ、人間とオルフェノクが一緒に暮らし、規模は小さくともその理想を実現していこうという意志が存在していなければ物語としては成立しない。にも関わらず、今作では最終盤に真理が啓太郎の甥に「オルフェノクになれば?その方が戦力になるし」という発言をするシーンがある。これを見た瞬間私は「終わった」と思った。それまでは0点だった評価が完全にマイナスになり、見なかったことにしてしまいたいくらいにがっかりした。これはもうデリカシーがないとかどうとかのレベルではない。自分も少し前まで「理屈じゃなく人間で居たかった」と言っていたくせに立ち直った途端に「お前もこっち側にこいよ!」ってどういう神経なのか。テレビ本編では人間とオルフェノクは違う存在で、壁があった。だからこそそれを乗り越えようとした啓太郎と長田さんのシーンにも味わいがあったのだが、今作おいては「一緒になっちゃえばいいよね!」くらいの扱いである。段々とクリーニング店がただのオルフェノク一派に見えてしまい、これまたどう思えばいいのか分からなくなってしまった。さらに付け加えると、巧と真理が一線を越えるシーンについても同じことが言える。テレビ本編やパラダイスロストでは人間とオルフェノクという壁を越えた精神的な繋がりがこの二人の重要なポイントだった。だが、今作ではオルフェノク同士になったことでより深い関係になりました、と言っているようにどうしても見えてしまう。どうせこのシーンを入れるなら真理は人間のままであるべきだったと思うのは私だけだろうか。

こうして振り返ってみると、やはり今作は「勝手な理由で離反した巧風の誰かがなし崩し的に戻ってくるまでの茶番劇」としか言えず、ファイズっぽい何か、以上の価値があるとは私には思えない。
 ここまで酷いと細かい設定のアラも気になってしまう。草加ロボは真理がオルフェノクになるのを待つ必要はないし、さっさと全員やってしまえばよかっただろ、とか社長ロボを北崎の見た目にする必要ないだろとか、そもそも延命の薬を打つまで巧が何年も生きていたこと自体どうなんだとかそんなところである。流石にただの愚痴のようになってきたのでこの辺りにしておく。

 数少ない良かった所を挙げてみると、序盤のタイトルが出るシーンでファイズ本編の映像が流れたところは素直にワクワクしたし、巧がどこかに行ってしまいそうだと感じた真理が「マヨネーズ買ってきて」と伝えるシーンは会話の端々にファイズらしさがあり、妙に懐かしく思えた。(テレビ本編で戦えなくなった巧の為に猫舌の治し方を真理が調べていたシーンを何故か思い出した。)
 ここまで酷評を続けてきたが、この記事を怒りのままに書いているうちに「俺って想像以上にファイズが好きだったんだなぁ」と再確認することができたので、それだけでも良かったと思うことにしたい。
 

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