【小説】古書店にて

男:お前の欲しい本はここにはねえ!
女:なんですか?急に。
男:お前の欲しい本はここには売っておらんと言っておるのだ。
女:いや、私、あなたに欲しい本の話なんかしてないですよね。
  第一、   ふらっと寄ってみただけで、欲しい本なんてないし。
男:いや、お前には欲しい本がある。
女:もう、何なんですか?
  帰っていいですか?冷やかし失礼しました!
男:ちょっと待て!
女:もう、引き止めたいのか、帰したいのか、どっちなんですか?
男:お前には欲しい本がある。
女:あの、話が戻ってるんですけど。
男:お前は迷っている。
女:はい?
男:まあ聞け。
  迷っていなければ、こんな古書ばかりの古本屋に入らんだろう。
  漫画も最近の小説も置いておらんのだからな。
女:それは一理あるかも。
男:そうだろう、そうだろう。素直が一番だ。
  人間迷っていると、何かに頼りたくなる。
  誰かに行く先を決めて欲しいときがある。
女:確かに。
男:しかし、あんたはそのどちらでもない。
  迷ってはいるが、自分で決めたいのだ。
  誰かに頼って自分の歩く道を決めてもらうなど、微塵も求めていない。
女:当たってるわ。
男:そうなると答えはひとつだ。ただただ背中を押して欲しいのだ。
  それも自尊心が傷つかない程度にな。
女:その通りかもしれない。
男:だから、あんたの欲しい本はここにはないと言ったんだ。
  古書というのは、長い歴史を生き抜いてきたんだ。
  傷付きたくない、だが励まして欲しいなどという生半可な思いでは、
  読めんのだよ。
  駅前に行けばあんたたちの言うところの『普通の本屋』があるから
  そこへ行きなさい。

女は古書を手に取る。

女:これ下さい。
男:何?
女:これ下さいって言ってるんです。
男:やめておけ。今のあんたには毒にも薬にもならん。
  それに値が張るぞ。
女:おいくらですか?
男:2万4千円。
女:安いもんだわ。絶対、元取ってやるんだから。
  はい。2万4千円。
男:うむ。確かに。2万4千円。

女は古書を手に店を出る。

男:毎度あり。

男は笑う。

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