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離任式のできごと

 持ち上がりではない3年生の担任となって、クラス全員が卒業式を迎えることができました。就職の内定、各種・専門学校の合格も勝ち取ってくれました。学年の担当教員2名が生徒の荒れで離脱するという状況下で、心身ともにボロボロでしたが、中心となった生徒たちも卒業し、懸念されたお礼参りもなく、私は異動が決まりました。離任式でこの学校ともお別れです。

離任式の朝

 離任式は朝10時からです。
 私は通常に出勤し、職員室と進路室にある机をもう一度掃除しました。
 あと、お世話になった先生に御礼の品を渡しました。進路部長とか、いろいろアドバイスをくれたベテランの先生とか。
 離任式が始まる前、異動する先生たちは校長室に集まります。
 会場の準備ができたら、教頭の先導で会場に向かい、壇上に座り、挨拶をして、生徒会の生徒さんから花束をもらい…という流れです。
 午後にはPTAや地域の方へのあいさつ回りがあり、夜は教職員の送別会。
 長い一日です。

 校長室に入ると、なぜか、そこに8名の暴れる生徒たちの何名かがいました。ボス格のC君がいます。なぜか制服を着ています。私のクラスだった、A君、B君、D君はいません。
 「ええと、今日は、お世話になった、ご迷惑をおかけした先生が異動されるということで、ご挨拶に来ました」
 
 教職員の異動情報は数日前の新聞で公開されています。異動する中には、3学年の担任から2人(一人は私)、あと生徒指導部長がいます。巷の噂では、3学年が荒れたことの責任をとって飛ばされた、8名のせいで先生がいなくなる…と言われていたそうです。

 C君は花束を持っていました。
 生徒指導部長の名を呼び、お世話になりました、すいませんでしたと言って花を渡そうとします。生徒指導部長は、笑顔を作って、ありがとうな、お前も元気でなと返して受け取ります。
 …そうか、これが大人の対応だよな…と思いました。
 私の名が呼ばれた時も、笑顔を作って受け取りました。
 この儀式が終われば、もう話題はありません。こちらもお礼を言ったらあとは座っているだけです。一刻も早く、視界から消えてほしいです。
 重い空気を察したのか、では、体育館に行きます…と言って彼らは出ていきました。
 生徒指導部長は、もっていた花束を目の前の机に置き、「何しにきたんだ」とつぶやきます。見たこともない険しい表情をしています。 

離任式が始まる

 壇上から見て、左側に新2年生、中央に新3年生、そして右側に卒業生が整列しています。隣の生徒指導部長が「卒業生多いね」と話しかけてきます。説明が遅くなりましたが、生徒指導部長と私とは2年間、担任・副担任でコンビを組ませていただきました。東京から来た私に、この地域のことを教えてくれたのはこの先生でした。お世話になっただけでなく、腹をわって話し合える関係でもありました。「先生が異動することを惜しんで、卒業生がいっぱい来ているんですよ。今日の主役は先生ですよ。」と返しました。
 生徒指導部長が担任の時のクラスの卒業生がたくさん来ていました(その時の副担任が新米時代の私)。社会人になっているはずなのに、休暇をもらってきたそうです。
 ちなみに、離任式の主役は、在校生の担任の先生であることが普通です。担任を持たない部長職や私のように卒業した学年しか関わりのない教員は、壇上でのあいさつは一言程度で、あっさりしたものです。
 離任式が終わると、再び教頭の先導で退職者・離任者は退場します。
 私の前を歩いていた生徒指導部長が、担任時代の卒業生に囲まれました。大人になった卒業生が話しかけ、花束やプレゼントを渡しています。もみくちゃになっています。
 すると、今度は私の方に来る人たちがいます。少し身構えました。お礼参りという言葉もよぎりました。しかしそうではなく、この1年担任させてもらった生徒たちでした。きれいな服を着ていました。気が付くと囲まれていて、卒業式の後のHRのように写真を取ったり、近況を報告してくれたり、就職のためにもう上京していて、今日は来れなかった友達から預かっていると、手紙や贈り物をいただきました。
 気が付くと、吹奏楽部の演奏はとっくに終わり、在校生はそれぞれの教室に戻り、体育館には、私と生徒指導部長と、卒業生だけになっていました。
 当たり前のことですが、卒業生はみんな私服です。
 でも、8名グループの中でこの場にいる数名は制服です。そして、彼らはだらしくなく体育館の壁に寄りかかっています。

離任式に集まった卒業生が教えてくれたこと

 先生、飛ばされたって本当?
 あいつらのせい?
 本当に辞めるの? 東京に帰ってしまうの?
 やはり、いろんな噂が飛び交っているようです。少なくとも私に関しては、いずれも正しくありません。異動希望は出していました。希望は叶い、この県で教員は続けます。そんなことを伝えてからこんなことを言いました。
「今日は、本当にたくさん集まってくれてありがとう。お世話になったのは私の方で、頑張ったのはみんなで、この1年のことを思うと、みんなから責められても、殴られても、刺されても文句言えないと思っていました。在校生の授業は持っていないから、あっさり終わると思っていたのに、みんなのおかげで、さみしい思いをしなくて済みました。至らない担任を支えてくれてありがとう。無力な担任ですいませんでした。みんなを守れなくて本当に申し訳ありませんでした」
 すると、ある生徒がこんなことを教えてくれました。
「今日は、先輩から招集がかかったんです。生徒指導部長の先生が担任していた先輩たちからです。あの8人が、生徒指導部長や先生に、何かするかもしれない。だから当日は卒業生をたくさん集めてガードするぞという連絡です。」
 なかなか…、恐ろしいやら、ありがたいやら、何とも言葉になりません。
 すると私のクラスだった一人が、「もう卒業したから言うけどさ、私たち、先生の味方だよ」と声高に、彼らに聞こえるように言います。
 すると生徒指導部長のクラスだった卒業生が、「なに~、先生にたてつく生徒がいるのか。それは誰だ。教えてくれ。悪い子は俺たちが〆てやるから」と言うと、先輩たちが歓声を上げます。
 その中には、この学校での最初の授業で、「先生、ひらがなの『あ』ってどう書くんだ」と質問してきた、リーゼントの彼もいました。今は、地元のスーパーの鮮魚売り場で働いている彼は、リーゼントにネクタイ。私を見てあいつら俺がボコボコにしてやるからと言わんばかりに、人を殴る動作・蹴る動作をおどけながら私に示します。
 生徒指導部長と私が並ぶと、卒業生たちは自然と、その前に集まりました。
「みんな今日はありがとう。みんなも知っていると思うけど、私(生徒指導部長)と、この先生(私)とは、担任・副担としてコンビを組んでいました。今年は、生徒指導部長と学年とでコンビを組みました。たいへんなことが多かったけど、とても楽しい一年でした。私こそ、生徒指導部長として、責められても、刺されても仕方ないはずなのに、この学校最後の日に、卒業生にこんなに集まってもらって、感謝の言葉もありません。本当にみんなありがとう。そして、僕たちが大好きなこの学校を、これからもよろしくお願いします」。そういって深々と頭を下げました。
 私も頭を下げました。
 大きな拍手が聞こえました。
 体育館の出口に向うと、壁に寄りかかったままの彼らと出口との間に卒業生が立ち、壁を作っていました。

後日談

 そのあと、体育館で何があったかはわかりません。
 噂によると、その場で先輩たちに言葉で〆られ、ボス格だったC君が泣いたそうです。
 
 新しい学校での勤務が始まりました。
 住まいは、学校から少し離れた場所にしました。学校と同じ地域で暮らすのは、もうしんどいです。
 通勤は車で40~50分かかります。でも、東京の通勤ならこんなもの。
 満員電車よりましですし、元々車の運転が好きな私には、気分転換にもなります。天気の良い日は、回り道をしてドライブを楽しむこともできました。
 ただ、心身はかなり疲弊していました。
 医師からは、身体の異常は精神的なものからきていると考えてよい。何かありましたか…と言われ、話すと長くなりますけど…というと、カウンセラーを紹介されました。そこにしばらく通いました。
 新しい学校での2年目、担任を外してもらい、少し楽になりました。
 そんな時、また亡霊のように彼らが私の前に現れるのです…。

                つづく…。

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