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講義型ネイティブの授業改善(論点の設定)

◆今回の前提の整理
①人口増の時代の価値観
 「根拠はないが、結論はある」
 「根拠はなくても、未来に希望を持つことができた」
②人口減の時代の価値観
 「根拠はあるが、結論はない」
 「社会課題を解決しなければ、未来に幸福はない」

 昭和の高度経済成長時代は、「根拠はなくても希望を持てば幸福になれる」という価値観があったようです。この延長に「よい大学に行って、よい就職をして…」という言葉もあるのかもしれません。
 すでに現在進行形になっている人口減少・低成長時代は、「根拠(課題)はあるけど結論(解決)はない」というのが個人的実感です。
 やはり、高度経済成長時代の成功の証が負の遺産に転換したことが大きいですね。たとえば「環境問題」とか。この社会課題(負の遺産)を解決しないと未来に希望が持てないという現実があります。課題の放置は幸福実現を阻害することになります。
 
◆責任追及型の思考は解決を導かない
 課題を作った人は「引退している」か、「決定権を持つ地位にいてそれが課題であることを認めない」というのが現状です。
 なぜ、課題であることを認めないかというと、課題が生まれた時代、それは課題ではなく成功の証だったから。たとえば、バブル期に作られた箱物。何が大変かというと、こういう建物は「維持費」がかかる。水道光熱費も大規模修繕も大変。当然、自治体の財政を圧迫するので「廃止・統合」の検討対象になる。すると、建物を作った人々が反対するというパターン。
 しかし、「誰が作ったんだ」という方向に思考を進めても解決からは遠ざかるようです。若者からすれば「あんたたちのせいで、自治体財政赤字なんだぞ!」「その赤字を返すの私たちなんだぞ」という思いがあってもおかしくないです。ただ、責任追及すると「作った世代」は意地を張り、シルバー民主主義(既得権・利益誘導優先の政治・行政)で地域を支配続けようとするでしょう。
 これは、「世代断絶」「地域の分断」という新たな課題を産みます。政治家は選挙で勝つために「高齢者寄りの政策」を優先します。結果、「選挙権のない世代」「労働人口の中心世代」に負の要素が押し付けられるというのが、よくある流れといえるでしょう。
 責任追及にメリットがあるとすれば、「膿を出す」が考えられます。
 決定権を持つ地位にいて、かつ課題解決を阻害しようとする人の排除ですね。

◆解決策から考え始める人々
 高校生のレポートを読むと、多くは「解決策の提案」に終始します。
 「CO2の削減には、ひとりひとりが環境に対する負荷をかけない生活を自覚することが大切」で、その実現のためには「小学校・中学校などでの啓蒙・教育活動が有効」というのがよくある流れ。その他には「選挙に行く、投票率を高める」「政府が補助金を出す」などがあります。
 これらは、世の中によくある意見を借りてきたものに過ぎません。
 また、どんな社会課題に対しても、「個人の自覚・教育・政府の施策」を解決策として提示する生徒さんも少なくありません。
 なぜこのようなことになるかというと、「課題が明確になっていない」「課題の解析度が低い」「論点の設定がない」からと言えます。ちなみに、今3つ原因を記しましたが、これは同じことを言い換えているだけです。
 論点がないので、「環境問題」という課題の解決は「個人の自覚」という一般論・道徳論にしかならないんですね。

◆論点の設定を意識させる
 課題の解析度を高めないといけません。
 私が使ったのは、「メリット・デメリットの網羅」から、「ジレンマ・トリレンマ」を掘り起こすことです。論点のマイニングですね(笑)。
 たとえば、インターネットは暮らしの利便性を高めますが、依存性も高く、犯罪の温床になることもあります。ものごとに内在する「二面性・多面性」の整理が、最初の「発散・収束」になります。
 これをメリット・デメリットなどの言葉で整理し、それぞれの要因まで掘り下げる。すると、要因の共通性が見えてきます。ジレンマの発見ですね。
 要因の共通性から「本来の目的・理想」を再確認し、「現実とのズレ」を確認する。ここが「発散・収束」の2段階目。このあたりから、個々の「論点」が生まれるケースが多かったです。

◆論点が明確になると
 個人の興味や知識・体験によって、解決策の方向性や内容が変わってきます。やはり、どこかで個人の知見・体験と重ならないと、「探究・自分ごと」にならないです。
 さらに、「個々の論点」を集めて結びつけることで、「課題の原因の構造化」まで進めることもあります。これが「発散・収束」の3段階目。
 というわけで、言わんとすることは、「課題を掘り下げよう」「論点を明らかにしよう」「論点を集めて構造化まで進めよう」です。
 これで、「論点のない解決策の提案」というよくある内容から脱するということです。

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