高校の先生としての授業がはじまる その2

進路の相談を受ける

 進路指導部所属でした。
 机は、職員室と進路室とにあって、できるだけ進路室に常駐してくださいと言われました。企業の採用担当者の対応や、生徒の相談を受けるのです。
 ある日、進路室に来た生徒さんの相談はこんな内容。
 ・看護師になりたい。
 ・でも、勉強ができないので、みんなに反対される。
 ・家族は看護師になることは賛成だけど、学費を出す余裕はないという。
 与えられた命題は、「勉強ができなくて、お金もないけど、看護師になりたい」です。これをどう解決すればよいでしょう。
 ちなみに、予備校時代の命題は「勉強はするし、そのためのお金ならいくらでも出すので、〇〇大学に合格させてください」でした。

偏差値的価値観は地方でも…

 ある日、スーパーのレジの女性に「お世話になっている○○の母です。娘をよろしくお願いします。」と言われました。それ以降、買い物をしていると「あんたが東京から来た新しい先生かね」と言われることが増えました。「町の子供たちをよろしくお願いします」と挨拶され、恐縮しました。
 一方で、「あんた〇〇高校の先生なんだってね」と言われることもあります。これは、あまり良い意味ではありません。学力の低い学校には、学力の低い先生が来るという認識があるのです。偏差値が、その人の価値や評価に影響する傾向は、東京でも地方でも同じか…。
 しかし、数カ月前までの私は、その価値観に加担していたと言えます。一方で、自分の学力は高くはないという自覚もありますし、出身高校・大学の偏差値も、高いものではありません。
 そこまで考えて、「看護師になりたいけど、どうすればよいか」と訴えてきた生徒の顔が浮かびました。
 

人柄というもの

 もちろん、医療従事者にミスは許されません。医師の言葉を理解することも必要です。それを支える「学力」は大切です。
 一方で、患者に寄り添う「人柄」も大切です。
 彼女の学校生活を観察していると、コミュニケーション能力があり、分け隔てなく人と接し、周囲を明るくする力があります。患者目線でいえば、こういう人が看護師に向いていると感じました。しかし、成績とお金とが足りません。
 予備校から学校に転職した今、成績とお金のない人に加担すべきかもしれないと思いました。そこには、地方にもあった「偏差値信仰」への反感もありました。

看護師への道

 結論から言えば、彼女は看護師になりました。
 結婚して、子供は今高校生で、現在は地元を離れ、県庁所在地の公立病院で看護師として勤務しています。
 あるベテランの先生に、「あの子、どうにかしてあげたいんですけど、どうすればよいですかね」と相談したのが始まり。その先生は、「あなたが本気ならいいけど、生徒がバカだからと言って途中で投げ出したら怒るよ」と言って、そしてこんなことを教えてくれました。

・本校から高等看護学校に進めた生徒はいない。
・本校から看護師になるには、まず地元医師会立の「準看護学校」に進み、そこで勉強して「准看護師」の資格を取る。
・その後、「高等看護学校」に進み、看護師の資格を取る。ちなみに、準看護学校の入学資格は「中学卒業」。また、もし看護師の資格は取れなくても、地元であれば「准看護師資格」でも働ける。
・通称「就職進学」という方法がある。まず「地元の病院に就職」し、その後「準看護学校の入試」を受ける。受かれば、病院で働きながら学校に通える。学費は本人の給与から支払われるので家庭に負担はない。その代わり、看護師としてその病院で何年か御礼奉公しないといけない。
・入試の数学は私がみるので、あなたは、作文・志望理由や面接などの面倒をみなさい。本気だよ。

 放課後の進路室で個別指導が始まりました。
 ある日、彼女はノートを上下逆にしていました。上下逆で、普通に文字を書いています。
 「すごいね」というと、「この方が楽なんです。読むときもこの方が読みやすいんですけど、怒られるから…」
 そこで、進路室での勉強や、私の授業では「逆でいいよ」と伝えました。
 そう、彼女はバカではなかったのです。見える世界が、上下逆なだけなんです。彼女の見える世界を尊重した結果、彼女の学習スピードと成績は上がりました。この件は、担任他学年の先生とも共有し、理解を求めました。

 


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