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多数決は正しい結論を導くのか(5)

 講義型授業から参加型・対話型授業へ、ティーチングからファシリテーションへ、授業の主役を生徒さんへの移行は、それなりにしんどい経験でした。今ではアクティブラーニング、探究、主体性という言葉が広がってきていますが、当時はまだまだ。
 参考文献も少ない中、模索と試行とを繰り返します。
 そんな中、夏休みに行った「センター試験過去問演習」が一つのヒントになります。14年分を過去から現在という時間軸で読むと、社会の価値観の変化が可視化されます。
 そこから、自分なりに「近代論」を構築してみました。夏休みはこの勉強に費やし、夏休み明けの授業で、これを「授業&大学入試現代文対策オリエンテーション」として実施してみました。

近代論のポイントを3つにしてみる

 まず、近代の起点を「二元論(デカルト)」にしました。
 神中心(一元論)から、人間中心(二元論)への移行です。
 
 次に、「自由・平等・博愛」を少しだけ掘り下げました。
 ・能力の高い人にとって、自由は天国。
  能力の低い人にとって、自由は地獄。
 ・能力の高い人にとって、平等は地獄。
  能力の低い人にとって、平等は天国。
 ・博愛では、個人の気持ちは満たされない。

 そして、こんな軸を提示しました。
 ・封建主義⇔実存主義
 ・実存主義⇔構造主義
 ・構造主義⇔ポスト構造
 ・生命倫理⇔環境倫理

比較という言葉が通じにくい

 わかったのは「比較して考える」という言葉が通じにくくなっていること。生徒さんに、「比較=優劣・善悪・好悪を決める」というイメージしかない人がいること。「比較=対立」なのです。
 すると思考はこのように進みます。
 ①優劣・善悪・好悪を判定する
 ②劣の排除・悪の糾弾が結論となる
 ③筆者の主張を「劣・悪」と判定した場合、その判定の正当性を立証しようとする。たとえばこのような指摘。
 ・筆者の主張が「一般論と完全な対立構造になっていない」
 ・筆者の主張が「比喩と一致しない」など
 もちろん、こういう視点・こだわりは「クリティカルな思考」を導く可能性を内在していますから個人的には歓迎です。ただ、「競争的な発想」「白黒思考」にとらわれ、「本質」「論点」がずれているような…。

 一方、「比較=対比」というイメージを持つ生徒さんもいます。すると思考はこのように進みます。
 ①共通点・差異点の整理
 ②それぞれの特徴の明確化
 ③弁証法的発想へ
 対比から「筆者の主張・意図」を類推できれば、「説明はわかりにくいし、適切ではない箇所もあるけど、言いたいことはわかる」となります。課題発見・課題解決に進むこともあります。
 
 以来、二項対立という言葉を極力使わないようにしました。
 対比的なイメージを喚起するため、「絵と額縁」という表現にしました。 
 「絵(筆者の意見)と額縁(一般論)」です。
 問いかけとしては「絵はどっち?」「傍線部は絵? 額縁?」

空気を読む、空気に負ける、空気に従う 

 その頃「空気を読む」という言葉が広がりました。
 「空気を読め」という用法は、「否定・非難・糾弾・排除」に近い印象を受けました。
 ただ、思い出したことがあります。初任校で経験した「荒れ」です。
 それは、高校3年生8名のグループが暴れたことで生じました。8名の暴力的言動に学年全体が支配されたのです。ただ、よく考えてみると「暴力」に支配されたわけではないのです。その「空気」に支配されたのですね。空気によって正常な感覚や思考が機能しなくなり、結果、少数派が多数決を支配したと言えます。
 ここまで来て、自分の中でやっと言語化に至りました。
 多数決が機能不全に陥る要因は「空気」という仮説です。論理は空気に負ける、客観は主観に負ける、論理的な正しさを内在する悪への反論は難しい…そのころ、日本では市町村合併や郵政民営化が進んでいました。ハイジャックされた飛行機がワールドトレードセンターに向かいました。
 つまり、「事実×論理、仮説×検証」を積み重ねた先で導かれた結論であっても、感情論・精神論・不安によって一瞬で吹き飛ばされることがあるということ。世論が空気によって形成された場合、事実や正義は負ける可能性があるということ。日米開戦を決定した「御前会議」の空気はどうだったのでしょう。空気によって戦争がはじまり、論理的な考察による結論のとおり日本は負けたのか…。

実験を試みる

 センター模試が近づいていました。
 生徒さんのよくある悩みに、「見直しの時、③を④にしたら、正解は③だった、悔しい」というパターンがあります。もちろん、逆も。
 そこで、「見直しによって正解になる場合と、そうでない場合」とを模試が終わってから検証しようと声を掛けました。
 集まってくれたのは20名。結果はこんな感じ。
 ・見直しで正解になった
  →最初は何となく選んでいたが、見直しで間違いに気づいた。
 ・見直しで誤答を選んだ
  →最初は根拠に基づいて正解を選んだが、見直しで不安になった。

 つまりこういうこと。
 ・正解は「論理」によって導かれる
 ・「空気」に負けると誤答を選択する
 当たり前のことですが、「事実に基づいた客観的考察」がすべて。そうわかっていても、苦手意識教科ほど、「カン、何となく」で選ぶ傾向がある。それは、「苦手という不安」に起因するのかもしれません。
 でも、進学校の生徒さんですから、得意教科も苦手教科も、時間をかけて勉強しています。その積み重ねが「不安と空気」で一瞬にして吹き飛ぶのは…です。
 その時、一人の生徒さんが、「正解がひらめく時、正解の選択肢が光って見える時ってある。だから、カンとかひらめきって結構大事だと思っていた」
 「でも、正解がひらめく時っていうのは、根拠となる事実から結論までが一瞬でつながる時ではないかな。要するに、根拠から結論までの思考時間が一瞬なのがひらめき」
 「つまり、ひらめきはあくまで思考に分類されるもの。やはり、思考に基づかないと正解にはたどり着けない」

 進学校の生徒さんの多くは、中学時代「成績がよいこと、一生懸命勉強すること」でいじめられたり、見下された経験を持ちます。その時「空気を読む」ことを覚えます。しかし、進学校では、一生懸命勉強することが美徳でよいのです。もう、自分の成績を「偶然・カン」と謙遜する必要はないのです。「努力・必然」と認めてよいのです。
 空気より思考を優先しても、いじめられたり、見下されることはない。
 思考を優先することで、成績も人間関係もよくなるはずです。

                       つづく…

 

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