K&Bパブリッシャーズ

サブカルチャー・音楽関係、旅行関係の本を中心に出版しています。 公式ホームページ:ht…

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サブカルチャー・音楽関係、旅行関係の本を中心に出版しています。 公式ホームページ:http://kb-p.co.jp Twitter:https://twitter.com/kb_pub インスタグラム:http://instagram.com/kb_publishers

マガジン

  • Tokyo Undergroundよもヤバ話

    かつて山口冨士夫のマネージャーをしていたカスヤトシアキの取材による、970~80年代の地下にうごめくロックンロールバンドたちの活動を、ロックバンド『藻の月』のVo・Guであるジョージ氏(EX『自殺』『コックサッカーズ『ウィスキーズ』)をはじめとする関係者たちの証言で追う。

  • 水玉消防団ヒストリー

    吉岡洋美(@ysokhrm)の取材による、日本の⼥性パンクバンドの草分け、水玉消防団のヒストリーをメンバーの天鼓、カムラの証言で追う。

  • 北村早樹子のたのしい喫茶店

    歌手、文筆、役者など多彩な顔を持つ北村早樹子さん(@warabisco)が毎回、大好きな東京の喫茶店と、かなり変わった想い出を綴るエッセイです。

  • LIFE IS ART‼ 映画でアート思考をアップデート

    生涯童貞を貫く現代アーティスト、山口明さんがアート映画や音楽映画を解説するコーナー。これを読めば、あなたのアート思考がアップデートできる⁉

記事一覧

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第12話『ジョニー・サンダース台風の中での山…

※想いの残る一瞬の出来事は、映画のワンシーンのようだ/ジョニー・サンダース&山口冨士夫 話/資料提供◎鳥井賀句 取材・文◎カスヤトシアキ 資料写真◎古岩井公啓(Good…

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第11話/鳥井賀句『ブラックプールから見る景…

※ 盟友・ジョニー・サンダースと共に 話/資料提供◎鳥井賀句 取材・文◎カスヤトシアキ 資料写真◎井出情児 資料写真◎地引雄一 資料写真◎鈴木 資料提供/青木ミホ …

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第10話『ROCK前夜/鳥井賀句の音と思想的革命…

取材・文◎カスヤトシアキ ※タイトル写真:80年代に自ら経営していたROCK BAR 『ブラック・プール』 にて 『鳥井賀句さんと新桜台のロック・バーで呑む』  昨年…

水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 

取材・文◎吉岡洋美  水玉消防団活動休止後、ヴォイス・パフォーマーとしてヨーロッパはじめ海外でのライブ活動が多くなっていった天鼓。常に自分の直感と興味にブ…

水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 

取材・文◎吉岡洋美  それぞれメンバー個々の仕事や活動が活発になるなか、1988年のライブを最後に活動休止した水玉消防団。ここからの2回は本連載のストーリーテラー…

水玉消防団ヒストリー第16回 1986—1988年 カムラ山猫、天鼓ソロアルバム、水玉活動休止

取材・文◎吉岡洋美 協力◎糸川耀史、松永もうこ  水玉消防団はセカンドアルバムを発表し、天鼓はメールスで大喝采を浴びた翌1986年。海外からオファーを受けることが…

水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル

取材・文◎吉岡洋美 協力◎松永もうこ 2ndアルバム『満天に赤い花びら』  演奏も活動も「自分たちのやり方でしかできない」(カムラ)し、「あくまでも自分たちの面白…

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第9話『 “SPEED” “FOOLS” “TUMBLINGS”…

取材・文◎カスヤトシアキ 話/野月ジョージ(ミュージシャン) 話/中村俊彦(クリエイター) 話/山口冨士夫(ミュージシャン) 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話/ジニ…

水玉消防団ヒストリー第14回 1983-1984年「筋美連通信」、天鼓NYソロデビュー

取材・文◎吉岡洋美  ‘81年5月末にJORAは閉店したものの、水玉消防団はパンク、ニューウェイヴシーンのなかで安定した知名度を誇るようになっていた。ますますライブ…

水玉消防団ヒストリー第13回 1981年 全国ツアー、すぺーすJORA閉店

取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 ハイエースに機材を積み、26箇所のライブツアー  ‘81年5月、1stアルバム『乙女の祈りはダッダッダッ!』を自分たちのレーベル…

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第8話『青ちゃん“青木眞一”の村八分/後編…

取材・文◎カスヤトシアキ 話/山口冨士夫(ミュージシャン) 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話/恒田義見(ミュージシャン) 話/ユカリ(上原裕・ミュージシャン) 話・…

水玉消防団ヒストリー第12回 1981年「乙女の祈りはダッダッダッ!」

取材・文◎吉岡洋美 「いいときも目もあてられないほど悪いときも、ライブのアップダウンは激しかったけど、気づけばそんな1年を乗り切った」と、カムラも言うように、…

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第7話『青ちゃん“青木眞一”の村八分/前編…

取材・文◎カスヤトシアキ 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話・資料/山口冨士夫(ミュージシャン) 資料/青木ミホ 『江戸時代の日本堤は、最先端のイベント通りであった…

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第6話『“鵺院”〜“The Ding-A-Lings”/中村…

取材・文◎カスヤトシアキ 話/中村清(ミュージシャン) V T R◎Andy Shiono 『真夏の蝉時雨』 子供の頃は夏の日が何よりも好きだった。  蝉が鳴き始め、森を…

水玉消防団ヒストリー第11回 1980 年ハネムーンズ

取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 「これは“声”で私がやれること」天鼓NYでの出会い  ライブハウスや学園祭のライブ出演によって、東京のパンクシーンで水玉消防…

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第5話『Canon〜藻の月へ/中村清●登場!』

取材・文◎カスヤトシアキ 話/ジョージ(野月譲治) 話/中村清(ミュージシャン) V T R◎Andy Shiono V T R◎青山/月見ル君想フ 『The Ding-A-Lingを発見した日』 …

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第12話『ジョニー・サンダース台風の中での山口冨士夫と忌野清志郎』

※想いの残る一瞬の出来事は、映画のワンシーンのようだ/ジョニー・サンダース&山口冨士夫 話/資料提供◎鳥井賀句 取材・文◎カスヤトシアキ 資料写真◎古岩井公啓(GoodLovin’Production) 『ジョニーが冨士夫を呼んでるぜ!』  なんちゃって、「ぜ!」は付かなかったと思うが、かなりキザな言い回しで賀句さんは電話してきたのだと思う。しかし、全世界のジョニー・ファンにまことに申し訳ないのだが、無知な僕はこのとき、ジョニー・サンダースをよくは知らなかった。

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第11話/鳥井賀句『ブラックプールから見る景色/スピード/ペイン/東京ロッカーズ』

※ 盟友・ジョニー・サンダースと共に 話/資料提供◎鳥井賀句 取材・文◎カスヤトシアキ 資料写真◎井出情児 資料写真◎地引雄一 資料写真◎鈴木 資料提供/青木ミホ 『40年前、遊びの輪の真只中で……』   自宅の電話が明らかに盗聴されていた。  受話器を取ると“カチャン”という音がして、その直後から少しくぐもったような音声になる。多少だが聞き取りにくくなるのだ。 「おい!この電話おかしいぞ。盗聴されてねぇか?」  かけてきた友達が怪訝(けげん)そうな声を

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第10話『ROCK前夜/鳥井賀句の音と思想的革命話』

取材・文◎カスヤトシアキ ※タイトル写真:80年代に自ら経営していたROCK BAR 『ブラック・プール』 にて 『鳥井賀句さんと新桜台のロック・バーで呑む』  昨年(2023年)10月の終わりに鳥井賀句さんとお会いした。新桜台にできたばかりのロックバーを指定してきたので、(当然のことながら)どこまでもロック好きなんだなって、改めて思った。まぁ、僕としても子供の頃からの音楽好きで、なんでも聴きまくってきた人生なのだが、賀句さんみたいには、熱のこもったロック・マ

水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 

取材・文◎吉岡洋美  水玉消防団活動休止後、ヴォイス・パフォーマーとしてヨーロッパはじめ海外でのライブ活動が多くなっていった天鼓。常に自分の直感と興味にブレることなく歩み続け、表現の可能性を広げてきた彼女だが、連載最終回は天鼓の水玉消防団休止以降から、ここ最近目を見張るほどライブ活動を行っている現在までを話してもらった。 日本の即興ミュージシャンたちの台頭 ——‘88年に水玉消防団が活動休止になった頃は、子育てと海外ツアーで多忙を極めていたと話されてい

水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 

取材・文◎吉岡洋美  それぞれメンバー個々の仕事や活動が活発になるなか、1988年のライブを最後に活動休止した水玉消防団。ここからの2回は本連載のストーリーテラーで、現在も現役で音楽活動を続ける天鼓、カムラに、それぞれ水玉休止以降から現在までをインタビュー形式にして、連載を締めることにしよう。 まず今回は、水玉休止のあと日本を離れ、現在ロンドン生活が35年となるカムラにその後の音楽活動の軌跡を聞いた。                 ◇            

水玉消防団ヒストリー第16回 1986—1988年 カムラ山猫、天鼓ソロアルバム、水玉活動休止

取材・文◎吉岡洋美 協力◎糸川耀史、松永もうこ  水玉消防団はセカンドアルバムを発表し、天鼓はメールスで大喝采を浴びた翌1986年。海外からオファーを受けることが多くなった天⿎は、ソロのヴォイスパフォーマーとしても国内外で忙しい日々を送るようになっていた。 天鼓「メールスのあとはNYノイズのミュージシャンたちと、ほとんど毎年のようにどこに行っても会うような感じでしたよね。日本以外のライブが多くなって、ヨーロッパから頻繁に声がかかるようになって、デヴィッド・モスのバンドの

水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル

取材・文◎吉岡洋美 協力◎松永もうこ 2ndアルバム『満天に赤い花びら』  演奏も活動も「自分たちのやり方でしかできない」(カムラ)し、「あくまでも自分たちの面白いこと」(天鼓)を重ね続け、必然的に大手レコード会社からのリリース話を断った水玉消防団は、’84年秋、自身のレーベル「筋肉美女レコード」からリリースする新アルバム制作に入る。翌’85年3月、『満天に赤い花びら』のタイトルで発表されたこのセカンド・アルバムは難産の末に完成したという。 カムラ「セカンドは本当に産み

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第9話『 “SPEED” “FOOLS” “TUMBLINGS” “TEARDROPS”』

取材・文◎カスヤトシアキ 話/野月ジョージ(ミュージシャン) 話/中村俊彦(クリエイター) 話/山口冨士夫(ミュージシャン) 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話/ジニー・ムラサキ(クリエイター) V T R◎音源提供/Andy Shiono http://andys-video.com/ 資料提供/青木ミホ 写真/鈴木 ※タイトル画像はSPEED/右端から青木眞一、ケンゴ、井出裕行、ボーイ/Photo by Suzuki 『青木家のルーツから見た、青ちゃんが育っ

水玉消防団ヒストリー第14回 1983-1984年「筋美連通信」、天鼓NYソロデビュー

取材・文◎吉岡洋美  ‘81年5月末にJORAは閉店したものの、水玉消防団はパンク、ニューウェイヴシーンのなかで安定した知名度を誇るようになっていた。ますますライブ・オファーは増え、JORAなきあとは「当時、貸しスタジオのなかでも一番安くて、ほとんどのパンクバンドがそこで練習してたはず」(カムラ)という、大久保のスタジオ・テレコムに練習場を移していた。5人で、毎日のように集まって音出しするのは相変わらずだが、スタジオでは天鼓がメンバーを引っ張っていくようになる。 カムラ「

水玉消防団ヒストリー第13回 1981年 全国ツアー、すぺーすJORA閉店

取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 ハイエースに機材を積み、26箇所のライブツアー  ‘81年5月、1stアルバム『乙女の祈りはダッダッダッ!』を自分たちのレーベル「筋肉美女レコード」からリリースした水玉消防団。これと同時に、バンドはレコ発ツアーを行う。彼女たちのツアーは、毎回、機材を積み込んだ白いハイエースにメンバーたちが乗り込み、運転も自分たちで行う。そうして各地のライブハウスをまわる。 天鼓「と言うか、運転してたのは結局、免許と一番体力のある私(笑)。あとは

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第8話『青ちゃん“青木眞一”の村八分/後編 “ど素人バンド結成”』

取材・文◎カスヤトシアキ 話/山口冨士夫(ミュージシャン) 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話/恒田義見(ミュージシャン) 話/ユカリ(上原裕・ミュージシャン) 話・資料/藤枝静樹(映像作家) 資料/青木ミホ 写真/Akira Mochizuki 写真/井出情児 写真/鈴木 『“ど素人バンド”から“村八分”へ、変わりゆく狭間の出来事』 ◉人間は一生のうちに何度変身するのだろう。  想像していた自分が、想いと同じ人間になっていくとは限らない。もちろん、全く変わ

水玉消防団ヒストリー第12回 1981年「乙女の祈りはダッダッダッ!」

取材・文◎吉岡洋美 「いいときも目もあてられないほど悪いときも、ライブのアップダウンは激しかったけど、気づけばそんな1年を乗り切った」と、カムラも言うように、ライブハウスとパンクシーンへの参入、相次ぐオファーに地方ツアー、ハネムーンズ結成と、怒涛の’80年をバンドはひと通りくぐりぬけ、翌’81年。ライブの場数をハードにこなしていくなか、「ライブハウスでも、“足元の黒い箱はモニターって言うんだ”とか、”ステージ上と観客側では聴こえる音が違うんだ”とか、少しずつわかってきて

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第7話『青ちゃん“青木眞一”の村八分/前編 “ど素人バンド構想”』

取材・文◎カスヤトシアキ 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話・資料/山口冨士夫(ミュージシャン) 資料/青木ミホ 『江戸時代の日本堤は、最先端のイベント通りであった』  青ちゃんは生まれも育ちも『日本提』である。  住所でいうと東京都台東区ということになる。    この辺りは隅田川にほど近く、江戸時代に入るまでは沼沢地が広がっていた。当時の隅田川(かつての荒川)は氾濫することが多く、水害から浅草地域を守るために『日本提』が造られたのだ。  つまり『日本堤』とは、隅田川の

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第6話『“鵺院”〜“The Ding-A-Lings”/中村清●後編』

取材・文◎カスヤトシアキ 話/中村清(ミュージシャン) V T R◎Andy Shiono 『真夏の蝉時雨』 子供の頃は夏の日が何よりも好きだった。  蝉が鳴き始め、森を見上げると、空に浮かぶ雲がぐるぐると回っている気がして、わくわくしたのを覚えている。日暮れ時に景色が赤くなるまで、時間を惜しむようにして遊んだ。家のまえが芝生畑だったので、ずっと寝転んでいたのだ。あの時はいったい何を想っていたのだろう。何気なく雲を眺めていたあの時間は、もう随分と昔のほう

水玉消防団ヒストリー第11回 1980 年ハネムーンズ

取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 「これは“声”で私がやれること」天鼓NYでの出会い  ライブハウスや学園祭のライブ出演によって、東京のパンクシーンで水玉消防団が頭角を表すようになった1980年。もともとメンバーたちが持っている恐れ知らずのエネルギーが楽曲、ステージでも体現されはじめたこの年。これだけでも充分パワーある話なのだが、実は’80年のトピックはまだまだこれだけに留まらない。  まず、1980年の春に戻って話を進めよう。天鼓が「しょっちゅう遊びに行くように

Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第5話『Canon〜藻の月へ/中村清●登場!』

取材・文◎カスヤトシアキ 話/ジョージ(野月譲治) 話/中村清(ミュージシャン) V T R◎Andy Shiono V T R◎青山/月見ル君想フ 『The Ding-A-Lingを発見した日』  何の前触れもなく、サミー前田(※1)から招待メールが届いた。  2015年のことだから、もう8年も前のことである。  その頃、前田とはご無沙汰だったので、久しぶりにもらった連絡であった。だから少しばかり嬉しかったのかもしれない。当日のLIVEへの招待だったので、客入りの