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徒然なるままに 

経験が無いことや良く理解していないことを文章にしたり話をするときは、「たぶん」という言葉が多くなる。

「たぶん、子供の頃から頭脳明晰で私立の中高一貫の有名進学校に進み東京大学に入学出来たとすれば、たぶん、周りにいる友人達も優秀なひとが多かったに違いない。」というように。

そのような環境でboarは学生時代を送ってこなかったし長年勤めた会社にも、たぶん、そういう人はいなかったと思う。
「普通は」、そういう環境にいた人は少数派だと思う。

「普通は」という言葉を使ったがこの言葉は使い方が難しい。
自分の考えを伝えるとき無造作に「普通は〜と思うよ」という言い方をすると「それは普通じゃないよ」と言われたり、また「普通は」って言ってると避難されたりする。

「普通は」は、世間一般をいっているようであるが、実は自分を中心に考えている言葉だ。相手の同意を得るときに同意を得やすくするつもりで「普通は〜だと思うよ」と使うわけだが実際には自分を中心に考えているので同意が得られない。

故に、この言葉は安易に使わない方が無難である。boarの経験からいっても「間違いない」。

「間違いない」という言葉もよく使ってしまうが、本当に間違っていないかは怪しいものだ。
そもそも人は大いに間違うもので、boarも間違ってばかりいる。
その証拠に、今回のこの投稿については、多くの読者に受けること「間違いない」と思って作成しているが、それが大いに間違っていることは、♡の数を見れば明白である。

さて、ここからが本題である。
(えっ ここから?)
仕事の楽しみは目標を決めてその目標に向かってチャレンジすることだと思ってきた。
目標が達成できて個人としても組織としても成果が出せたときに達成感が得られやり甲斐や喜びにつながる。
しかし、ある年齢以上になると(それが何歳かは人それぞれだ。)仕事の成果や会社での評価は重要でなくなる。どうでもよくなり、やり甲斐や喜びにつながらなくなる。それより自分の人生の達成感や満足感について考えるようになり、その実現に時間を使いたくなる。
なぜなら会社や仕事は人生にとって期間限定であり会社を辞めるとそれ自体がなくなるからである。

だから、会社をやめる前に(直前でなく早い方が良い。)辞めた後の生活(年金、貯蓄、保険、投資、自宅のリフォームなど)や趣味、これまでやりたくても出来なかったこと、親や子供のこと、妻や夫婦こと、生き甲斐や健康のことなどをしっかり考えておくことが大切だと思う。

会社を辞めた後の人生を豊かなものにするために、「たぶん」、「普通は」、「間違いなく」、大切なことだと思う。

「boarのnoteに来てくれてありがとうございます。今回も訳がわからない投稿になってしまいました。最後まで読んでくれた貴方に感謝します。」




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