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【詩】 真新しい日

東の空が淡く白んで
地平線から 太陽がやってくる
真新しい1日が始まる

朝の清しい光の粒子を 胸いっぱい吸い込んで
目を閉じて そっと祈る

今日という日が 素晴らしい日でありますように

東の空が淡く白んで
水平線から 陽が昇る
真新しい1日が始まる

全てのものが 黄金色に輝き始め
草木はぐんと 伸びをした

今日という日が 幸福でありますように

東の空が淡く白んで
連なる山々の向こうから 太陽がやってくる
真新しい1日が始まった

眩い光は束になり 凍えた大地を温め始めた
生まれたばかりの赤子のあくびが 白い息になって天に昇っていった

今日という日がどうか平和でありますように
 

やがて光は全てを照らして
命の核を揺さぶった
夜は静かに去っていった

生きろ
生きろ
生きろ

真新しい日がやってきた



真新しい日


この詩ができたきっかけ

友人が突然亡くなった。
自殺だった。
友人にはしばらく会っていなかった。最後に会った時、友人は忙しそうにしながら、休憩の合間カフェでコーヒーを買い求めたところで、たまたま同じカフェに居合わせた私に気づいて声をかけてくれた。
まだ小さな子供の話、仕事の話、過去に一緒に参加していたプロジェクトの話、当時プロジェクトに関わった人が今何をしているかなど、たわいもないけど、友人の話にはいつもどこか熱があり、話ていて楽しかった。
様々なことに、情熱的に取り組んでいたその友人が、様々なことをやり残したまま、突然、一人でこの世を去っていってしまった。
皆の期待を、背負い過ぎてしまったのか、走り過ぎて、疲れてしまったのか、わからないけれど、ある日突然、友人は、私たちの前からいなくなってしまった。

悲しいというか、悔しかった。
何か力になれることが、もしかしたらあったかもしれないと、今更、振り返っても仕方のないことを、考えずにいられなかった。
その友人の喪失が悲しく、残念でならなかった。

残された、まだ小さな子供と、家族と。

やるせなく、悲しく、悔しい気持ちで、友人の葬儀に参列していた。
まだ事態が飲み込みきれず、どこかぼんやりとしていた。

最後に、棺に眠る友人の顔を覗く。
生前の私が知る、情熱に溢れ、ユーモアと思いやりのあったその人は、ひどく悩み、苦しんだ表情で、瞼の閉じきらない虚な瞳で、虚空を見つめていた。

1秒。

それ以上、見ていられたかった。

それでもその1秒が、ずっと脳裏に焼き付いて、離れなかった。

そんなにも、苦しかったのか。
そんなにも、しんどかったのか。

自分に何もできなかったことが、やはり悔しく思われた。
私は私の目の前の生活だけに、一生懸命で、友人の心の中の暗闇にまで、到底想像が及びもしなかった。

人望もあり、友達の多い人だったので、たくさんの人が悲しみ、友人の魂と、残された家族に心を寄せた。

その日からしばらくは、心の中に、答えの出ない問いが、浮かんでは、沈んで、私の中にひっそり影を落としていた。

町中が、喪に服しているように見えた。

友人の葬儀から数週間経って、いい加減に心を切り替えなければと思った。
友人はいなくなってしまったけれど、私たちの人生は終わっていない。

私たちは、それでも生きて行かなければならないし、新しいことは次々に起こるのだ。

自分を奮い立たせるような気持ちで、詩を書いた。

命ある私自身の体温を、言葉に変えて、生きるのだ。

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