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愛を包むように捨てる

私は、置手紙がなんだか好きだ。
もちろん一般的な手紙も好きだが、置手紙のほうが思いのリアリティさが濃いと感じる。


私の家は、みんなそれぞれで動くことが多く置手紙があることも少なくなかった。
「お昼ご飯だよ」、「お弁当これ」、「洗濯物入れて」

アルバイトでも置手紙がよくある。
「〇〇時~✕✕お願いします」、「○○さんから頂いたので食べてね」

私は、その手紙を見ると謎なスーパーポジティブか思い違いを発揮し、
「自分への信頼、思いが少しでもあってくれる」なんてことを思い込んでしまう。その思いを躱すことはできずしっかり受け取った上で、必ず文字側を内側に丁寧に折り畳み「ありがとう」と込めて捨てる。文字に込められた、よりリアルタイムな思いを紙で優しく包むように。
これが私にできる唯一の、上手な愛の捨て方な気がしている。


冒頭でも言ったが、もちろん一般的な手紙も好きである。
こちらは、置手紙よりも深く広い思いをより熱く伝えることができる。じっくりと考えてくれたと感じるモノであればなおさら熱い。
年を取るにつれ、書く機会も、もらう機会も少なくなるのがつらい。まだこの先かけそうな機会を自分から作ってでも書きたいとも思う。そんなことを思える人と出会えたならうれしい。


そんな手紙は、置手紙と違って捨てられない。捨てるにはいい意味で重すぎて、回収場まで持っていけない。
ただ、置手紙は捨てることができる。この差で置手紙を下にも見れるかもしれない。しかし、私はそこに価値を感じた。

今まで多くの愛を受けて育つ中で、自分から捨てられたものは少ない。中には、受け止められなった愛もあるだろう。そんな中、置手紙は「愛や信頼をしっかり受け止めた上で、捨てることで確立する感謝や責任感」を私に教えてくれた。

そんな、置手紙が好きだ。

今度は、置手紙にしっかりと手紙を書いてみようか。



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