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大人の定義と選択



今日も6時間のアルバイトを終えた。ありがたい6時間。
といっても、ジムの受付でほとんどが挨拶と掃除とたまに談笑で過ぎていく。そんなアルバイトで特に感じたことがある。一言で表すことが難しいが「大人について」とでもまとめようか。(就活でもアルバイトで得たことを話したが、こんなことは言えてない)


アルバイト先のジムは、高校生から使える。なので利用する人のほとんどは社会的に「大人」と認められた人たち。「大人とは」について、アルバイトを始める18歳まででぼんやりとは、形成されていたと思う。ただ、アルバイトを始めてそんな形は、とてつもなくぼんやりとしていった。


よく言われる「体だけ大人になった人」が多く感じた。ぼんやりとした「大人」というものに当てはめて感じたことではあるが。挨拶を返さない、決まりを守らない、こちらの話を聞く気がない等。そのせいというべきか、おかげというべきかどんどん「大人」に靄がかかっていった。


「大人」って何だろう。「成長」とは。


考えた時、真っ先に思い浮かぶのはどうしても両親だ。一番身近な年上。「育つ」中で一番見てきた人。しかし、自分が年を取るにつれて(就活をしたからとも思うが)大人というより親感が増していく。仲間感?実家感?(一人暮らしをしたことがないくせに)「この人も学校行って、仕事して結婚して」とかいろいろ勝手にさかのぼると尚更感じる。そう思うと、私が「大人」と感じるのにはある程度距離感が必要なのではないか。


尊敬する人にも近いのかな。一つ思い浮かんだ。
「なんでもいいを自分にとって必要・最善の選択にできる人」
例えば、何も考えずにスマホをいじる時間をジムに充てる。挨拶してもしなくてもいい相手に、挨拶をする。そういう、なんでもいい(自由?)に対して、選択ができる人が「大人」ではないか。また、これの逆もあり得るんじゃないか。「必要・最善の選択」がジムや勉強などの行為に思えもする。しかし、何も考えずスマホをいじってダラダラするのは違うが、深く考えた結果スマホをいじることにしたなら「必要・最善の選択」になる。挨拶をしなくてもそう。ということは、「大人」だ。それも正解だろう。


関係ないかもしれないが、頭に残っている言葉を紹介。何で聞いたか忘れたが、「映画を作ることは絶賛されるが、見ることは時間の無駄とまで言われることがある。これは、消費をないがしろにしている」ということを聞いたことがある。上のスマホをいじる行為はこれに当てはまるのではないか。あまりないがしろにしてはいけない。


ほんとに少しだけ、自分の中で「大人」というものが形作られた気がする。
ただそれより、「大人らしさ」は安易に人に当てはめるものではないとも感じた。もしかしたら、無礼な態度でもそれはその人にとって「必要・最善の選択」なのかもしれない。それは、私には分からない。結果の前に「大人らしくしろ」ならまだしも、結果に対する評価で「大人らしくない」は適切なのかな?

もしかしたら、これから「大人ならこういう選択をすべき」というのに気づくかもしれない。ただ、今はここまで。


まだまだ、「大人」の探求は終わることはなさそう。俺は、良い「大人」になれるかな。


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