「必要なことは、だた一つだけ」

 "PORRO UNUM NECESSARIUM"

今日は、大学で久しぶりに同僚Sとじっくりお話することができました。
「最近の研究の進み具合、どう?」
という話題になった時。

よくぞ聞いてくださいましたと、トーニー『貪欲社会』(注:日本語訳では一般的に『獲得社会』とされています。)の最終章に関する研究成果について、堰を切ったように伝える私。

S「で、その『最終章』のタイトルは何?」
私「それがラテン語なのよ。for, only, one, necessary….とか何とかじゃない?」(←これまで調べてなかったのかよお前)
S「うんうん、 何ちゃらnecessaryではあるよね」
というわけで、Google翻訳先生の登場です。何ともありがたい時代になったものです。
私「Google先生いわく、ONE MORE NECESSARYだって」
S「なるほど了解。でもそれってさあ、なんか聖句みたいでもあるよね」
私(!)「いやほんとだ、そうに違いないよこれ、ありがとーS!」

「ルカ福音書10章42節」、本記事のタイトルのとおりです。マルタとマリアのたとえ話のところです。

若手研究者が集まる部屋でのこうした会話、直接自分の研究に関係なくとも、お互いの研究内容について情報交換することがいかに大事なことか、身をもって体験した次第です。

その後は、ちょっと早めに切り上げて2人でDepfordまで歩き、午後遅くからカフェでちょい飲み、談話。レオとSにチョーヤの梅酒小瓶をプレゼントしたからだと思いますが、Sのおごりの一杯、アップルサイダーを楽しみました。

それにしてもS、梅酒の小瓶に入っていた梅の実を「小さい脳みたい」って。そんんな風に見えるのね。そう思っちゃったらもう、気持ち悪くて食べられないよねえ。で、梅の実はレオが2個食べる羽目に。


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