『奥州合戦記』補遺もしくは生き残った者の掟

 11世紀の中頃、陸奥国(現在の東北地方)で大乱が起こった。前九年の役である。この地方の豪族である安倍氏が朝廷に刃向かったことで起きた戦争で、敗北した安倍氏は滅亡したわけだが、生き残った者たちがいる。
 安倍宗任あべのむねとうという武将と、その弟や子供たちである。
 敵に投降した安倍宗任らは京へ連行された後、四国や九州に流され、その地で一生を終えた。流罪になったとはいえ、処刑されずに済んだのである。
 平安時代初期に安倍氏と同じく朝廷と戦った蝦夷の指導者アテルイとモレが降伏後に処刑されたのと比べると、甘い処罰と言える。それは祟りを恐れたためだろうか? よくわからない。だが、迷信深かった平安貴族が自分たちの手を汚さずに済む選択をしたのは確かだ。
 西国へ流罪となった安倍宗任たちは、どのような暮らしをしたのだろうか。東北人の彼らにとって西日本の夏は耐え難い苦しみだったと想像する。だが、昔と今とでは日本の天候が変わっているかもしれないので、何とも言えないな~とは思う。冬は過ごしやすかっただろうし。とはいえ、何しろ罪人なので快適な生活ではなかったと思う。けれど、それなりに充実していた日々を送っていたような気がする。
 死んだ者たちの分も生きねばと誓ったのだろうか、安倍宗任たちは流刑地で子孫を増やした。流罪となった男たちは、そこに愛の流刑地を築いたのだ(←懐かしいなオイ)。
 その有名な子孫に九州北部の武士団である松浦党まつらとうがいる。近年に入りニューカマーが現れた。山口県選出の衆議院議員、安倍晋三元首相である。同氏は安倍宗任から数えて44代目の子孫とのことだ。
 これを安倍氏残党の流罪を決めた都の貴族が聞いたら驚くと想像する。首相は、当時の太政大臣や摂政・関白といった地位だと思うからだ。朝廷に対して謀反を起こした罪人の子孫がくらい人臣を極めるとは想像できなかったに違いない。
 その想像力の欠如を私は笑えない。私は安倍晋三元首相が暗殺されるとは考えてもみなかった。事件の一報を聞いたときは、本当に驚いた。信じられないことが起こると思った。その衝撃は安倍晋三氏が安倍宗任の子孫だと聞いたときに似ていた。約千年の時を越え、安倍氏の無念が晴らされたと当時は思ったものである。
 最後に安倍宗任のエピソードを書く。都に連行された彼を貴族たちは馬鹿にした。梅の花を見せて「これはなんでごじゃる、言ってみるでごじゃる、ほらほら、早く言ってみるでごじゃるよ、これは何の花だって聞いているのでごじゃるよ」とウザ絡みしたのである(脚色あり)。
 それに対し安倍宗任は和歌で答えた。

わが国の梅の花とは見つれとも
大宮人は如何か言ふらむ

 この見事な返答は都の貴族たちを顔色なからしめた……と安倍宗任のWikipediaに書かれてある。それは『平家物語』に記載されたエピソードらしい。私は『平家物語』を教科書とマンガでしか読んだことがなく、そこには書いていなかったので、事実なのか分からない。事実ではなかったとしても誇り高き敗者の気概が感じられて痛快だ。『平家物語』を世に残した名もなき琵琶法師たちは物語の面白さを知り尽くしていたと褒めておく(←偉そうだなオイ)。
 この逸話は前九年の役の終わりを締めくくるに相応しい。だが前九年の役を記した『奥州合戦記』(別名『陸奥物語』または『大和和紀』間違えた『陸奥話記』)に収録されていないようなので勝手に補足した次第である。

#あの選択をしたから


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