栗田艦隊レイテ湾ニ突入セズ
エム青年には命の恩人がいる。栗田健男という人物だそうだ。それは誰なのかと尋ねると旧日本海軍軍人で艦隊の指揮官をやった偉い人だと答える。
不思議な話だ。エム青年は平成生まれで戦争を知らない世代である。明治生まれと思われる海軍将校との縁があるとは考えにくい。どういった関係があるのかと続けて訊くと、曽祖父が命を救われたのだと言う。
エム青年の曽祖父は海軍の水兵だった。太平洋戦争に従軍した。戦局が日本に不利なことは、下っ端だった彼にも分かった。死ぬかもしれない、との不安が朝も昼も夜も湧いてくる。考えると腹が痛くなってくるし、気持ちは海よりも青、月月火水木金金と落ち込むが、表には出せない。怖いのは皆、同じだ。自分だけ怖気づくのは恥である。死ぬときは死ぬ。そう割り切って日々の艦隊勤務に汗を流していると出撃命令が出た。
マリアナ沖海戦に勝利した米軍がフィリピンに上陸する。日本軍は反撃を開始した。捷一号作戦の発動である。エム青年の曽祖父が乗艦する軍艦もフィリピン沖へ向かった。
日本海軍は、ほぼすべての艦艇を出撃させたようだが、迎え撃つ米海軍も大艦隊で待ち受けていた。史上最大の海戦が西太平洋上で幕を開ける。結果は日本海軍の惨敗で終わった。戦艦武蔵以下、軍艦多数が海の藻屑となる。
エム青年の曽祖父は生き延びた。栗田中将のおかげである。
栗田中将が指揮する栗田艦隊の任務はレイテ湾に突入し、そこに停泊中の補給物資を積み込んだ輸送船団と上陸した地上部隊を攻撃することだった。事は簡単でない。輸送船団と上陸部隊防衛のための大艦隊がいるのだ。それを排除しないことにはどうしようもない。
そのための作戦は立案されていた。囮艦隊が用意されていたのだ。それがアメリカ艦隊をレイテ湾の遠くへ誘き出すのである。
作戦は当たった。アメリカ主力艦隊は囮艦隊に誘い出され、レイテ湾の守りが手薄となったのだ。敵輸送船団と上陸部隊に大打撃を与える好機が訪れた。神風が吹いた、と言っていい。
後は栗田艦隊がレイテ湾に突入するだけ! だったが栗田艦隊は反転、北上する。北に敵艦隊がいると判断し、そちらを攻撃しようとしたためと言われている。
もしも栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら、どうなったか?
エム青年の曽祖父は、こう考えたそうだ――自分は死んでいた、と。
そのときエム青年の曽祖父は腹膜炎にかかっていた。ずっと腹痛があったけれど、それは腹膜炎のせいだと気付かなかったらしい。我慢しているうちに重症となり、レイテ湾沖から帰還したら遂に動けなくなった。危篤状態で下船し、病院に担ぎ込まれ、死の縁を行ったり来たりして、ようやく回復したら終戦だった。
「栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら全滅していたでしょう。敵に大打撃を与えるかもしれませんが、囮に釣られた敵の艦隊が戻って来て反撃するでしょうから、生きては戻れません。船が沈んで溺死するか、腹膜炎のせいで死ぬかわかりませんけど、曽祖父の生還は難しかったでしょうね。そうなったら子孫である僕は生まれていないです」
だからエム青年は栗田中将への感謝を忘れないのだそうだ。
戦後七十年以上を経ても議論が続く栗田中将の判断だが、その選択で救われた命があったのである。
書き忘れていた。エム青年の曽祖父は有名な戦艦大和に乗り込んでいたそうだ。腹膜炎となった彼がベッドの上で人事不省に陥っていた頃、大和は米軍機の攻撃を受け坊ノ岬沖に沈んだ。
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