「いっすーくるま」です。単車の事故編⑥

私は、こんな状態で果たして転院など出来るのか?不安な気持ちで一杯になりました。しかし、1週間後、転院は、叔父が運転するロングワゴン車で、当初の予定通り決行することになってます。野球部で負けない根性は、身に付けてますが、果たして耐えられるか?・・・・筋肉と骨を牽引している圧迫からの痛みを我慢するしかありませんでしたが、大腿部を団扇で扇いでもらうと少し痛みが和らいだのです。母親にお願いして扇いでもらうと就寝出来ましたが、また、痛みで目を覚してしまうのです。時計を見ると30分ほどしか寝ていませんでした。また、扇いでもらって就寝。この繰り返しです。本当に母親には、迷惑を掛けっぱなしでした。だから心からの感謝が出来たのです。
右足を馬蹄けん引したままの患者を、救急車ではなく普通乗用車に乗せて転院するなど、まさに無謀な計画でした。その計画に携わる人間は、医師でも看護師でもない一般の人達でした。全員が初体験です。
さあ、いよいよ転院当日です。午前中には、父親の同僚5人が病院へ駆けつけてくれました。そして、父親と母親、運転手の叔父が加わり合計8人が集合したのです。ここに私が加わり9人乗りのワンボックスカーに乗り込んでの戸塚から地元への道のりでした。
午後1時を少し過ぎると担当医が、看護師さんと共に姿を見せました。まず、最初はベッドからストレッチャーへの移動です。担当医は、こんな説明をしました。
「私が、馬蹄けん引している右足を、足の乗ってる台ごと持ち上げますので、皆さんは、右足と身体が平行な状態を保てるように持ち上げてください」
要は、足と身体を平行に持ち上げるのが絶対条件でした。足が上で、身体が下になれば大腿骨の骨折部分にズレが生じ激痛となります。父親と叔父、5人の同僚の方々へ緊張感が走ったようでした。担当医が、それぞれの持ち場所を決めてから合図を出しました。
「では、皆さん、私が「はい」と言ったら持ち上げましょう」ちょっとした間の後に「はい」という声が響きました。足と身体が持ち上げられましたが、総勢8人で16本の腕です。初めての体験に、心が1つになる訳がありません。どうしても担当医の持つ足が、先に上がっていきます。
「早く身体を上げてください」担当医の声に、皆な必死になって身体全体を持ち上げてくれました。
大腿骨の激痛に「いてぇー、いてぇー」と大声を轟かせながら、私は、太腿が英語のZみたいに曲がっているのを見ました。ストレッチャーへ移動した所で、私の大声は止まりました。この時、母親も含め、病室の沢山の人達と看護師さんも涙を流していたのです。(どうして、そんな痛い思いをしてまで転院しなければならないのか?)と。ストレッチャーに横になると、「ホッ」とするほど痛みが無くなりました。ゆっくりと押されたストレッチャーは、病院の玄関を出ると、さらに進んで、馬蹄けん引したままの私が運ばれるロングのワゴン車の前で止まりました。それは、救急車ではなく普通乗用車なのです。私は、また、どんな痛い思いをするのか?怯えていましたが、ワゴン車の後部座席を全て倒して平らになった所へ、ストレッチャーの足を折り曲げた状態で乗せてくれたのです。だから、悲鳴を轟かせる事はありませんでした。このストレッチャーと右足の台は、後日、叔父さんが、戸塚の病院へ返却する事になりました。
私は、見送りの方々へ、手も足も振ることが出来なかったので、最高の笑顔と思いっ切りの感謝の言葉を叫んでいました。「命を救って頂き、ありがとうございました」
そこに居た看護師さん全員が、涙を流して居たのです。今日の転院の手伝いに来た方々も同乗してくれたのですが、そのうち4人は、私が右足を載せている台と滑車を通してぶら下がっている5キロの重りが、倒れないように、そして、揺れないように押さえてくれていたのです。車がゆっくりと走り出しました。果たして私は無事、地元の病院へ転院出来るのでしょうか。頑張れ、いっすーくるま。
皆さまには、大変に申し訳ございませんが、事故や怪我の状態をリアルに表現しています。読むのも気持ち悪くなる場面が多いと思います。もう少しの辛抱をお願いします。ここを耐えて頂ければ感動的な物語へとなっていきます。

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