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[創作]高校生概論

青いとは、欠落である。故に若さとは、欠落である。

足りないもの同士、出会う。

だからこそ彼らは間違う。

でもそれは必要なことなのだよ。

彼らは青かったのだよ。全体的に。

だからみんな間違ってるな。 

だから心配いらない。

あなたが血迷っていれば、彼らもまた血迷っている。

そこで愛を持つ者がいれば、

それは自己愛の宝に映るな。

しかし年配の方から見れば、劣等の猪に見えるだろう。

分かりやすく言おう。

若さとは、足りないということだ。

故に若い者は間違えるのだ。

しかしそれは必要な間違いだ。

間違いを通してしか、成長は待っていないから。

もしそこで自己認識をできている人間がいれば(自分をよくよく知っている人間がいれば)、それは周りの彼ら彼女らから憧れの対象となるだろう。

自分もそうなりたい、あの人みたいになりたい、そう思われていることを自己愛の宝という。

しかし年配の方から見たならば、

それはハングリーそのものだ、と言う。

ハングリーとは、「欲しい。」と思っている人物像だ。

高い年齢層の方から見ると、劣等の猪に見える。

故に自己認識をする者は、若い者には自己愛の宝と映り、分別のある大人の方から見ればハングリーの獣、に見える。

もし、自分が仮に、本当に仮にモテているということがあり得るのだとすれば、それはうつ病を経験し、そこを生き抜いたからだ。

先人の言葉を借りて、

疑いぬいて生きる意味が分かった人間は(うつ病を経験した人間は)、若者には自己愛の宝と映り、年配者には劣等の猪と映るだろうということ、

それ故尊敬と保護、恋と愛、部下と上司に恵まれるだろう。

尊敬、恋、部下は若い者からの贈り物、

保護と愛と上司は年配者からの贈り物である。

これすべてその本人が、"真剣だったから"だけである。"本気だったから"、だけである。

このこと以外に因果の因はない。つまり原因はない。

そうしてそのため、高校は青春である。乗り越えられた、青春である。

それはもう、欠落しているのではない、満ちている。

満ちている高校生である。

彼女も彼も、みんな自信を持つ。

これが本来の、高校生概論である。

※この作品は現代の精神病理から考察を始め、本来その子たちにどんな未来が許されていたのかをもう一度考えてみた結果見えた世界の記録である。精神病理によって死を彷徨いながらも、一命を取り留めた筆者が自分なりの精神的な深化によって見えた世界の記述である。故にこの書物は筆者自身が「足りない」ところを通っているため、何か外部からこうしなさいという押さえつけをするための書物ではない。むしろ自分の内に語りかけ、自分の内に還ることを教える、"背中を押す"書物である。またそうであればいいと、筆者は切実に願っている。これらの"青い"生活を、あなたのその心で十分に、たくさん、どっぷりと浸かって、味わってほしい。そうすることによって大人になるとやりたいことがやれなくなる、という言説の嘘を、あなたは見つけることになるだろう。

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